月の輪通信 日々の想い
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朝の生協で10㎏の米が届いた。 我が家の米の消費量は一週間に5㎏強。 1,2週間に一度、生協で注文して届けてもらう。 たいがいは、米を切らすことがないように早めに注文しておくのだけれど、時々目算を誤って配送の2,3日前に米びつの中身が底を突きそうになることがある。 ちょうど今週も、あと1食分か2食分、ちょっと心細いかなという感じの微妙な懐具合となった。ご近所のスーパーで調達してきてもいいし、おばあちゃんちで2,3合拝借してきてもいいのだけれど、金曜日の朝には先週注文した10キロの米が届くのが判っている。お昼ご飯をパンにしたり、晩御飯をちょっとボリュームのあるパスタにしたり、微妙な算段でなんとか乗り切る。 たった一日二日のやりくりだというのに、「米びつに明日炊く米がない」と言うのは何となく心細くて、カツカツと追い詰められた気分になるのは何故なんだろう。
届いたばかりの米袋の封を切り、よっこらしょっと持ち上げてライサーに流し込む。さらさらと米が満ちていく音がふくふくと嬉しい。 いつも食べなれた格別上等でもないお買い得価格の無洗米。それでも我が家の米びつにたっぷりと米が蓄えられると心豊かに満たされた思いがするのが何となく自分でも可笑しい。
実家の母はいつもライサーを使わず、流しの下の四角いブリキの米びつから計量カップで1合、2合と数えながらその日炊く米の量を量って入れた。 友達の家で、ボタン一つで一合分ずつ簡単に量れるライサーの便利さを見覚えて、「どうしてうちではジャーッとお米が計れる米びつを使わないの?」と尋ねたことがある。 母は流しの前に膝をついて、いつものようにさらさらとカップでくみ上げた米を計りながら「こうやって一杯ずつ量るのが楽しいから」と笑って答えてくれたのを思い出す。 私自身は新婚の時に頂き物で導入した「ボタンでジャーッ」のライサーで長年愛用してきたけれど、数年前、無洗米を使うようになってから、一旦多めに落とした米を無洗米専用の計量カップで一杯ずつすくって米を計るようになった。 たっぷり蓄えた白米をさっくり掬ってさらさらと器にあける。冷たい米の触感は確かに心地よく、ちょっと楽しい。 育ち盛りの子どもを抱え、日に日に米の消費量の増える家族の時間を毎日汲み上げる白米の数で実感していたであろうあの日の母の嬉しさが今なら私にも判る気がする。
米びつにたっぷりと蓄えがあるという嬉しさ。 それは例えば、いつ使うとも知れないたくさんの便箋や大束の封筒を買い込んで文箱にしまいこむ時のワクワクする気持ち。 当座これといって使う当てもないハギレの布や綺麗なリボンをたっぷり集めて押入れに溜め込む時の楽しい気持ちにもちょっと似ている。 そんな話をしていたら、父さんにもそういう気持ちになる事があるという。 それは数年に一度、大型トラックで陶芸の土が運び込まれたとき。 材料屋でこれから使う釉薬をたくさん買い込んできたとき。 いつ使い切るとも知れない仕事の糧が、ここしばらくはとりあえずたっぷりと身の回りに確保してあるという嬉しさは、じわじわと静かに心を満たす喜びでもある。
一日一日、カップで量る白米の量で今日の日の家族の時間を計る。 ささやかな嬉しさは主婦の特権。 開けたての米を今日は4合。 福岡土産の明太子を、炊き立ての白飯で頂こうと思う。
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