月の輪通信 日々の想い
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アプコの入学説明会。 さすがに4度目ともなると、親の方は「もう、いいじゃん」と言う気分にもなるが、なんといってもアプコにとっては初めての一年生だ。 いつもより早めに幼稚園まで迎えに出かけ、一緒に歩いて小学校へ向かう。毎朝園バスのバス停まで走って下るこの道が、そのまま4月からの通学路となる。 「だから、今日は車じゃなくて、歩いていくの。」と、手をつながずに一人でさっさと歩こうとするアプコ。まさしくぴかぴかの一年生の気負い充分。
体育館でアプコを新入生お守り係の5年生に引き渡して、なじみのOさんと一緒に説明会場へ向かう。初めての小学校で校内の地理に疎いぴかぴかのお母さんたちを追い抜いて、さっさと運営委員会で通いなれたランチルームへの階段を上る。途中、お会いした教頭先生に「初めての小学校で何にもわからないんですぅ。よろしくお願いしますぅ」とご挨拶してみたら、「何をおっしゃいますやら・・・。」と失笑された。 私は来年でこの小学校9年目。 「どうせなら、一番前の席に座ろうよ。」と挨拶される先生方の真正面の一番前の席を陣取り、Oさんと二人でくすくす笑う。古株母のあつかましさってホントにいやぁね。
今回は珍しく、外部から来た若いカウンセラーの先生の短い講演が用意されていた。なかなかお話しの上手な女性で、現代の子ども達に求められる社会性を引きこもりやニートの問題につなげて語られた。目新しい話ではないけれど、家庭から初めて学校生活へ子どもを送り出す保護者にとっての明解な指針として上手にまとめられた講演だった。 冒頭、講師の先生は「子育ての目的ってなんでしょう?」と問いかけられた。 「種の保存のため」「人に迷惑をかけない子を育てるため」「自分が親に育ててもらった恩を子どもに返すため」 「目的」と言う言葉の意図が曖昧だったため、講師の問いに帰ってきた答えは少しずつ方向がずれてはいたけれど、そのずれの方向自体が解答した人と子どもとの関係のあり方を直接あぶりだしているようで面白かった。 「『自分の老後のため』なんて人もいましたけどね。」と講師先生は笑い飛ばしていたけれど、実際はそれに近い希望を持って子ども達を育てている人もまだまだたくさんいるだろうなとも思う。「自分の果たせなかった夢を果たしてもらうため。」とか「家業を継いでもらうため」とか「老後の面倒を見てもらうため」とか、厳密に言えば親世代の思いや希望を果たしてもらわんがために子どもを育てている家庭が実際にはたくさん存在する。 それは少し前まで当たり前の子育て観だったし、そのことで社会全体が支えられてきた部分は大きい。 私は「自分の老後のために子育てをする」という人を笑わない。
「生まれてきた者には、食べさせにゃならん。 泣いている子どもは、抱いてやらにゃならん。」 「子育ての目的は・・・」と問われて私の頭に浮かんだのはそんな投げやりな言葉だった。 日々の子育てと言うのは本来そんなもの。 高い木になった果実を欲しいと言えば、もぎ取って与えてやり、 道を踏み誤りそうになったら、「そっちはあかんでぇ。」と教えてやり、 凹んで帰ってきたらよしよしと撫でて、「もう一回、行って来い」と送り出してやる。 「子育て」自体にはそれほど大仰な目的はないと私は思う。 結果として、育ちあがった我が子が優秀であったり、人柄がよかったり、社会に貢献する人物であればいいなぁと言う「希望」は果てしなくあるけれど・・・。
講師先生が用意していた「子育ての目的」の答えは、「学校生活を経て社会に巣立っていく子ども達の「社会化」を促す助けとなること」なのだそうだ。 当たり前すぎて反論の余地もないが、次代を担い明るい社会を築く人材を育てるために、子どもを生み、子育ての苦労をする親なんてどこにも居ない。 それでもあえて、「子育ての目的」を答えるならば、私は我が子の幸せのために子育てをする。私の思う「幸せ」が子ども達の思う「幸せ」と一致するかどうかは分からないけれど・・・。
説明会を終えて、アプコを迎えて帰途に着く。 「小学校、楽しかった? 何して遊んだの? 5年生のお姉さん達、優しかった?」 矢継ぎ早に質問する私に答えようともせず、アプコはタッタカ早足で家路を急ぐ。 「どしたの?なんか、怒ってるの?アプコ!アプコ!」 周りに人がいないところまで駆けてきて、アプコは追いかけてくる私にささやいた。 「おしっこ!」 どうやら、慣れない小学校のトイレ、知らないお守役のお姉さん達に、「トイレに行きたい」がいえなかったらしい。 下半身を捩じらせて、草むらに駆け込むアプコの後姿がおかしかった。
フムフム、確かに子どもが幸福に生きていくためには、自分の希望をはっきり相手に伝えることのできる「社会性」は重要である。 実に有意義な講演会だった。
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