月の輪通信 日々の想い
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ゲンはメロンが大好物だ。 メロンと名のつくものなら、網目があるのもないのも、完熟のもまだ熟れが浅いのも大好きだ。 スーパーで時々買う網目のないお安い亜流のメロンでも、回転寿司で回ってくる薄くカットされたメロンでもいい。メロンソーダだって、メロンパンだって、メロンシャーベットだって大好きだ。 10歳の誕生日に「これからの夢は?」と聞かれて、「メロン丸ごと一個喰い!」と即答するほど、大好きだ。 目の前にメロンが出されると、ゲンの顔は嬉しそうにふにゃふにゃに緩む。そして、ずるずるしゃぷしゃぷと実に美味しそうに食べはじめ、向こう側が透けて見えそうなくらい、丹念に食い尽くす。 その至福の表情がなんとも可愛い。
今年、新年の帰省で一番のサプライズは、メロンだった。昨年秋の絵手紙の時にはメロンのおねだりを「かぼちゃはどうですか?」と、はぐらかされてちょっとがっかりだったゲンに、父がなんとまるまると立派なメロン(網目つき!)を3個も買っておいてくれたのだ。おまけに、一緒に帰省してきた大阪の弟まで、お土産にマスクメロンを持参。都合、4個の「最高級」メロンがゲンの目の前にならべられたのだ。 「この4個を、どんな風にして食べるかは、ゲン、お前に一任する。4個全部一人で食べてもよし。皆に分けて一緒に食べるのもよし。いつ、どんな状況で食べるかも、お前次第やで。」 父は面白そうにゲンに嬉しい難題を吹っかける。 ワクワク、ウルウルと4個のメロンを抱きかかえるゲン。 まさに王様の気分。
とりあえず一番熟れた一個をスパッと半分に切る。 その半球をお皿に載せ、「みんなも食べていいよ。」と言い残して、自分はそそくさとメロンにむしゃぶりつく。 残りの半分と2個目の半分を切り分けて、皆でお相伴。周りが8分の1の標準サイズのメロンを食べはじめた頃には、ゲンのメロンは既にあらかた実を食べつくして、綺麗なボール状になっている。 「はいはい、こういうものが欲しいんでしょ。」 と、ストローを用意してやると、待ってましたとばかり、残った果汁をちゅうちゅうと吸う。 お行儀悪い事、極まりないが、ゲンの顔の嬉しそうなこと。
「ゲンにもなぁ、自分が王様だぁと思える機会を作ってやらな、なぁ。」 と父が言う。 4人兄弟の3人目。 どうしても最初にライトの当たるオニイオネエや、末っ子姫のアプコと違い、どこかふらふらと脚光を浴びない所で気散じに居場所を見つけている観のあるゲンの事を、父は面白がって見ていてくれる。 この間の絵手紙の時には、珍しいゲンのおねだりをユーモアでさらりとかわしたくせに、やっぱり、ゲンがひがみはしないか、へこんではいないかと気遣ってくれていたのだろう。 4人兄弟という環境の中で、一人一人の子が「僕は王様」「私がお姫様」と思えるような特別な扱いを受ける何かしらの嬉しさを、父は時々運んでくれる。ありがたい。
1個のメロンがあれば、みんなに均等に分け与える。 我が家の子ども達は、小さい頃から分け合うことの大切さや楽しさをよく学んでいる。 けれども時には、持ちきれないほどの美味しいものを独り占めして、王様気分でむしゃむしゃ食べるのも楽しいものだ。 みんな一緒の仲良し兄弟にも、「僕が一番!」「私だけ特別!」の嬉しさはある。 そのこともよく知っているから、いつもなら一人だけいい目をしたり、ズルをしたりする事を厳しく糾弾するオニイやオネエも、メロンを独占して悦に入るゲンのことを、今日は咎めない。 「こいつ、ホンマに幸せそうな顔して喰いよるなぁ。」 と余裕の発言でニコニコと見守っている。
結局、2日間の帰省中には全部のメロンは消費し切れなかった。 「のこりはもってかえって喰うつもりやな。」と言われて、そそくさと自分でメロンのお持ち帰りの支度をする。 「忘れ物ないね。」 と確認していると、母が「ゲンちゃん、もう一個メロン残っているよ!」という。最初にお仏壇のひいばあちゃんにお供えしていた分のメロンの存在をゲンはすっかり忘れていたらしい。 「ゲンよ、お前は引き算があんまり得意でないのとちがうか。」 と父が笑う。 「ありゃりゃ」と慌てながらも、怯まずもう一個のメロンを帰り支度に加えるゲン。おじいちゃんおばあちゃんのために半分残していこうかという気遣いもさらさら浮かばないらしい。 そういう欲張りぶりも、今回に限り、可愛い。
帰宅後も、ゲンは一人で2個のメロンの配分を取り仕切っている。 と、いうより独り占め状態だ。 私も父さんも、ちびっこのアプコですら「ゲンのメロン」のお相伴をねだったりしない。ゲン一人が何度か半球状のメロンをしゃぶしゃぶと楽しんでいる。 ゲンの王様気分はまだまだ続く。
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