月の輪通信 日々の想い
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結婚して十数年。 お正月に受け取る年賀状の数もだいたい決まってきた。 結婚とか、子供が産まれたとか、そういうイベントが落ち着いてくる年代になると、やはり通り一遍の友達関係の賀状は絞られてくる。 その替わり、年に一度送られてくる懐かしい友人の筆跡や、優しい一言を書き添えられた恩師からの便りが心から嬉しく、暖かい気持ちになる。
今年受け取った恩師からの年賀状。 その中に、二人の国語の先生からのものがある。
一人は中学1年の時のN先生。 緊張感のある、とても優れた授業の出来る女の先生で、大変な読書家だった。 生意気盛りの私は、この先生の「個人指導」で中学の三年間、近現代の文学作品を怒濤のごとく読み尽くした。本来中学生に読みこなせたかどうかすら危うい名作の数々をN先生は根気強く勧めて下さり、私も「負けるものか」とばかり、週に10冊近いのペースで文庫本をやっつけた。そして、中学を卒業する頃、私は「N先生のような国語の先生になりたい」と思うようになった。
もう一人は高校1年の時のM先生。 さっぱりした物言いの穏やかな先生で、当時幼い子どものお母さんだった。 入学の時に父が提出した家庭環境の調査書で、専業主婦だった母の職業欄に「家事」と記されていたことを、とても褒めて下さったのを覚えている。 「働く女性」がとてもとてもかっこよく思え、いつも家にいる母のことをどこか恥じるような所のあった当時の私に、先生の言葉は新鮮だった。職場で給料をもらって働く「職業」と同じ重さで、「家事」という仕事が存在していると言うことを私は初めて悟ったような気がする。 教室でのM先生は、厳しい職業人としての教師の顔とともに、妻であり母である女としての大らかな暖かさを持ちあわせていらした。 尼僧のようにストイックでまっすぐなN先生の厳しさに惹かれて国語教師を目指していた私にとって、M先生の柔和な「生活人」振りがどこかじれったく思われることもあった。
大学を卒業して、私は教員採用試験に失敗し、常勤講師として赴任したのは知的障害のある子達が学ぶ養護学校だった。 大学時代に学んだ教育理論や国語の授業研究は何の役にも立たない。 障害を持った生徒達とともに畑を耕す。ゲームをする。歌を歌う。 排泄や食事の世話をし、手足の障害を緩和するための訓練を行う。 体力だけが勝負の教師生活で、私はこども達とともに圧倒的な「生活の力」を学んでいった。 「どんな本を読んでますか。国語教師になるための勉強もわすれちゃだめよ。」 どんどん養護学校での仕事にのめり込んでいく私に、N先生は釘を差した。 しかし、そのときすでに、私はN先生の背中を追いかけたいという気持ちをなくしつつあった。
同じ頃、近くの県立高校で勤めておられたM先生が「養護学校に転任希望を出したいと思って」と私の職場を見学に来られた。 長年高校生に現国や古文を教えてこられたM先生が何故あの時、養護学校への転任を望まれたのだろうか。 詳しくはお聞きすることもないまま、次年度、M先生は本当に私の職場に転任してこられ、恩師は同時に同僚となった。
数年の講師生活の後、私は主人と出会い、遂に「国語の先生」にはならずに、専業主婦となった。 「結婚します、教師にはなりません」と告げたとき、N先生はさすがに「残念」とはおっしゃらなかった。 「あなたの夫になる人はどんな人?やっぱり本をたくさん読む方なんでしょう?芸術家との生活ってどんな風なの?」 まだ、独身を通しておられたN先生の女学生のようなはしゃぎ振りが異様な感じがした。 「私は、読んだ本の感想を語り合ったり、お互いに知的な刺激を交換できる人と結婚したいわ。」 当時すでに「適齢期」はとうに過ぎておられたN先生の語る夢はあまりにも清らかで、「この人は一生一人で生きて行かれる方だなぁ。」と感じたのだった。
陶芸家の妻となり、次々と子ども達を産み、育ててきたこの十数年。 本屋へ行っても、小難しい文芸作品は敬遠して、軽い読み物に走りがちになった。 私が選んだ伴侶も、文庫本と言えば、「睡眠薬がわり」 「知的な刺激を交換できる」関係とはほど遠い。 どっぷりと生活に浸りきった今の生活、二人の先生方の目にはどんな風に映るのだろう。 その後、M先生はご家族の介護のために養護学校を辞され、家庭人になられた。 N先生はいまだ独身で、有能な先生としての道を全うしておられる。
「中学生の頃のあなたの凄い読書力を思い出します。お子さんもやはり読書家ですか?」 今年のN先生の賀状に添えられた言葉はやはり、厳しくストイックなものだった。 「今年が平和な良いとしになりますように。こんな事を祈る年が来るなんて思いも寄りませんでした。」 M先生の賀状には、母であり、妻である生活の中にある祈りが込められている。 女としての行き方を決めるいろいろな場面で、お手本となり導いて下さった二人の女性。 年に一度のお年賀状で、再び青春の日の志や、今の私の生活のあり方を問い直す機会を下さる恩師の存在を心からありがたいと思う。 「あのお下げ髪の女学生が、今はこんなになりました。」 いつまでも胸を張って、先生方に報告出来る私でありたい。 心に誓う七草の朝であった。
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