闇鍋雑記帳
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こんにちは。おかね坊でございます。
今日は曇天。今にも雨が降りそうでしたので、午前中に郵便局の用足しと、お買い物だけ済ませてきました。 郵便局で記帳などをしている間に雨が降ってきましたので、買い物をどうしようかと悩んでいたのですが、結局開き直ってそのままお買い物。今日は珍しくいい「しこいわし」がでていましたので、明日、鰯の梅煮にでもしようと思います。
お昼ご飯のおそうめんを食べてから、お昼寝。起きてからは、子はDVD鑑賞、ワタクシはネットをして遊んでおりました。 某ソーシャルネットワークに最近参加したのですが、そこでこんなのを見つけました。 このフラッシュを視た時に、なんだか涙が止まらなくなってしまって困りました。 父を亡くした時、そして35日の法要を終えた時の事を思い出してしまったからなのです。
過去の日記にも書いたように、父が亡くなった直後は、事務に忙殺されて涙すらも出ませんでした。泣いている暇がなかったのです。葬式どころか、結婚式まで控えていたせいもあるのでしょう。 そして、明日は愛知から青森に発つという日に、35日の法要がありました。 お寺の仏前で読経を聞いていた時、ワタクシは涙が止まらなくなってしまったのです。それは生まれ育った地から出る寂しさ、1人残った母を置いていく悲しさとは全く違ったもので、それまで身近にあった濃厚な父の気配がどんどん希薄になって消えていったことを感じたからです。 こんな寂しいでもなく、悲しいでもなく、何とも言えない感じ・・・上手く言えませんが、それまでに感じていたものが感じられなくなった感覚。「ああ、これで父は仏様になったのだな」という気持ち、我々の傍から離れていったという実感がそうさせたのだと思うのです。 ーそんな感覚を思い出させられたのでございます。
誰もが出会って同じ道を歩いていても、いつかは別れる時が来る。でも、その人は「いなくなった」のではなく、「ずっとそこにいる」。
そう思いたい。そう思うと寂しくはない。
・・・そんな気持ちを持ち続けられたらいいなと思うフラッシュでした。
それに、ここ最近、婚家の方で流れていたBS放送で、太平洋戦争終結60周年記念だとかで、毎日のように米軍の撮影した沖縄戦のフィルムや原爆のフィルム、海外の戦中時の惨殺シーンのフィルムが流されていて、人が人を殺める場面や、逃げまどう人々が追いつめられて選んだ死の瞬間、理不尽に殺されていく瞬間をイヤと言うほど見せられていて、精神的に参っていたという事もあるのでしょう。
平和ボケと言われても構いません。戦争があった事実は決して忘れてはならない事ですが、これを日常的に見せることは、戦争を知らない後の世代にとっては拷問だと思います。 今でこそ、暴力的な場面や惨殺シーンはNGとされていますが、消せることのない、覆されることのない事実だとはいえ、果たしてこの狂った時代の狂気のなせる業を、毎日のようにお気軽に見せて良いものかと、放映する側は考えたことはないものでしょうか。
死は自分という人間に関して日常的にあるものではないにしろ、どんな形かは分からないですが、生きている限りは必ず訪れるものです。そして毎日何らかの形で命が消えていっています。たまたま戦争という形で命を亡くされた多くの方々のうち、偶然にフィルムに撮影されてしまった方々を、このような形で何度も何度も万人の目に晒して殺めるという行為に対し、ワタクシは非常に憤りを感じ、悲しく思うのです。
それならば見なければ良いのですが、見たくなくても、ふとしたことで見てしまう事もあるのですよ・・・。 視覚的な情報は、強烈なものであればあるほど脳裏に焼き付いて離れません。多分、ワタクシはまた、ふとした時にあれらの場面を思い出しては悲しみ、嫌悪感を募らせることでしょう。
ああ、なんだか埒があかなくなってきましたので、今日はこのへんで少し頭を休めることにしましょう。自己嫌悪&反省。
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