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2011年03月30日(水)


#La Roja
#Xavi
 チャビ「ものすごくラ・ロハのファンだ」@El Pais PART1   14:54:40, 水曜日 30, 3月 2011


遅くなってしまいましたが、一週間前にEl Pais紙に掲載された、チャビの代表100試合目を記念するインタビューです。このインタビューが掲載された時点では、彼はまだ100試合目となるチェコ戦をプレーしていませんでしたが、彼の代表における過去99試合を総括する、萌えあり感動ありの本当に素晴らしいインタビューです。チャビのインタビューにガッカリさせられることは決してありません。

* * * *


2000年11月15日、チャビエル・エルナンデス・クレウスは代表チームで最初の試合をプレーした。彼は現在、99キャップに達している。金曜日、グラナダにて、もし何も悪いことが起こらなければ、彼はスビサレータ(126)、カシージャス(117)、ラウル(102)らとともに100キャップのクラブの仲間入りを果たす。この100試合はスペインフットボールの近年の歴史を、そしてチャビのパスの軌跡に導かれ、ラ・ロハがヨハネスブルグで世界の頂点に立った道のりを振り返る機会を与えてくれる。


代表での初試合を覚えている?
オランダ戦だった。彼らはおれたちを1−2で打ち負かしたよ、だけどそのA代表でのデビューの前に多くの試合をプレーした。自分の人生を通して代表チームでプレーし続けてきたことにはセンセーションを覚えているよ。

スペイン代表で100試合をプレーすることなんて想像できただろうか?
W杯の期間中に、それまであと数試合しか残っていないことに気づいた。そしてもし監督が望むなら、到達するだろうことに。だけどその前は
もちろんなかったよ。だってとんでもないことだろ? おれはいつかバルサでプレーしたいとだけ思っていたし、そんなことは不可能だという気もしてた。遠い先の話だ。つい最近まで100試合プレーするなんて予想もしていなかった。その件に関してはわくわくしてるよ。

ラ・ロハの大ファンかな?
ああ、すごくね……ものすごくラ・ロハのファンだ。代表でプレーするのは好きさ、そそられることだよ。前にルイス・アラゴネスがおれにこう言った――「こいつは、感情やイデオロギーはともかく、フットボールなんだ。誰がフットボールをプレーするのが好きじゃないっていうんだ?」彼の言う通りだ。フットボールをプレーするのが好きじゃないなんてやつがいるかい? さあね、おれはバルセロナで育った。ここは家だ。だけど代表チームはおれに多くを与えてくれし、成長させてくれたんだ。初めて代表に参加した時、自分がどんなだったか覚えている。そして今のおれがどんなかもわかってるわけだけど、信じられないことだ。

初めての時のことを覚えている?
代表のって意味だよな? ←

もちろん……
16歳の時、11月のトレーニングだった。マドリーで三日間過ごしたよ。監督だったビラが連盟のテオドロ・ニエトにこう言った――「こいつを連れていけ、すごくいいぞ」彼はサンティステバンと共にチームを作った。イニャキ・サエスもいたっけ。彼に対しては多大な敬意を求められたけど、知り合えばとても素晴らしい人だとわかったよ。あと、ラ・レアル(レアル・ソシエダ)の(ジョセバ・)ジョレンテやイケル・カシージャス、ソリアーノ、アランスビア、ベティスのヴァレーラや、オルバイス、ジェステもいた……当時のチームの多くの選手がプリメイラ・ディビジョンでプレーした。あの三日間が基礎だったって思っていた。まるで爛侫奪肇棔璽訌手になれるかなれないか瓩辰憧兇犬如△れにとっては効果があった。

その三日の間に、何度ボールを失った?
いや、いいプレーができたよ、滑らかにね。うまくボールを回して、満ち足りた気分で帰った。だけど失敗ってのは忘れないもんだ……今でも覚えている。ポルトガルでのメリディアン杯に召集されたから、うまくやれたんだったに違いない。ナイジェリアが優勝した。それで、バルサはオクノオと契約したんだ。シマオが大会最優秀選手に選ばれ、おれは二番目だった……あのチームでは、グループが形成され基本が形作られた。代表の常連として呼ばれるようになり、クラブでもプラスになった [チャビ、またしても猜發フットボール事典瓩世箸いΔ海箸鮠斂世垢]



なぜ?
監督はきみを違う目で見るようになり、より高く評価してくれる。チームメイトも同様だ。代表でプレーするようになると、もっと自信もつく。ライバルはきみが、代表でプレーしていることを知っているし、それはフィールド上でも伝わって来て、より多くのことを求められるようになる。そして名声もついてくる。代表になるってのは別物なんだ。ヴァルデスにきいてくれ。プロフェッショナル・レベルでは、ステータスが与えられる……それによって、自分自身により多くのことを求めるようにもなる。というのも、もしハードワークしなければ、もう戻れないと考えるようになるから。

初召集後は、いつも呼ばれるように?
ああ、97年の同じ年、カシージャスや、ソウサ、ウエスカのカマーチョやアルメリアのコロナらとエジプトで行われたU17世界選手権に行った……おれたちは3位に終わり、ロナウジーニョがいたブラジルが優勝したんだ。おれたちはガーナと準決勝を戦った。ブラジルにはマツサレム、ジオバニ……バルサでプレーした小さい選手、ロナウジーニョ、ローマのマンシーニがいた。本当に勝ちたかったよ! 皆すごく血気盛んだった。チームには素晴らしいハーモニーが存在していて、おれたちは有意義な時を過ごした。下部カテゴリについてたくさん話したし多くのことを共有した。なぜなら皆、同じような不安を抱えていたし、人生はそれだけだったから。それに、恐怖によって人はしゃべっちまうんだ。代表では素晴らしい時を過ごしたよ。

なぜイケルは、あなたはとても静かだっていつも言うのかな
それはだって、おれがすごく礼儀正しいからだよ! 彼は危険な男なんだ。リエイダのブラスにきいてくれ。おれたちがカードをするとイケルはいつだって勝つんだ。スリーカードを持ってたってエースが出ちまえば、何だって打ち負かしちまう。で、エースはいつだってイケルのところ巡ってくるわけだ……テーブルの下からね、もちろんさ。代表では遊ぶのが楽しいんだ。おれは大事に接してもらえるしすごくいい友達にも恵まれてるから。


カタラン人であることで、問題を抱えたことは?
まったく。まったく、連盟の中では。そのせいで問題を抱えたことはない。おれは人好きする人間だし、ここには素晴らしい人々がいる。いつだって居心地が良かったしリスペクトされてきた。代表はおれを買ってくれていると感じてる。それに、バルセロナはいつもおれが代表でプレーしに行くことに協力的だった。いつもだ。


バルサ育ちの選手たちが代表チームにもたらすものは?
おれたちはロマンティックでね。基本的に、スタイル、ボールに触ることへの愛情。カタラン人選手やバルサで育った者はボールをとても大切に扱うんだ。マドリーから来た選手は、たとえばだが、とても競争意識が高い。とてもメンタルが強く、決して諦めない。

あなたの(代表への)コミットメントは疑われたことが。あなたがカタラン人であるがゆえに
そうだ、おれに関するくだらないことがたくさん言われたが、でも連盟の中でじゃない。人々はおれがソックスの国旗を隠していることを非難した。この件に関しては首を突っ込むもりはなかったよ、くだらないことだからな。代表ですでに99試合プレーしてるって時に、おれにどんなコミットメントを示して欲しいんだい? おれは16の時からこのチームのためにプレーしてきた。怪我や捻挫を抱えながら……だけどジャーナリストにこうは言えないんだよ――「なあ、聞いてくれ。おれは自分に鞭打ってプレーするんだ」 

代表チームから学んだことは?
いかに競争するか。バルセロナですでに経験していたが、競争レベルにおいて、代表はもうひとつ付け加えてくれる。バルサでスウェーデンのチームと対戦することは、スウェーデンの11人の最高の選手と対戦することとは違う。若い選手なら、アフリカのチームと対戦すればフィールドに出て行った瞬間、「本当にこいつら17か?」って思う。で、もちろん彼らを負かしたいと思う。そういう意味で、スペインはいつもとても競争が激しい。そういや、アフリカはおれにとって素晴らしい存在だ。



なぜ?
エジプトでは3位だった。ナイジェリアでのワールドユース選手権では優勝したし、昨年は南ア大会でも。だがいつも病気になっちまう。エジプトでは急性結膜炎になったし、ナイジェリアではもう最悪だった。39度の熱が出て、スウェットシャツとブランケットに包まって眠ったんだ、ひどく寒くてね。なのに犬のように汗を掻いて。彼らはガブリを部屋から追い出したから、彼には何も感染さずに済んだ。4kgも体重が落ちたよ。で、南アでは、コンフェデ杯の時にヘンな動物性アレルギーにかかっちまって。だけどアフリカはいつだっておれに幸運をもたらしてくれるし、大好きだよ。休暇でケニヤとエジプトに行ったこともある。人々はスーパーナイスでね、好きだよ。

ナイジェリアのワールドユース選手権では、なぜ最優秀選手賞に選ばれなかったんだろう?
いろいろあったんだ。タベラスとプラティニがFIFAの代表としてやってきておれたちを祝福した。で、彼らはこう言った。おれが大会MVPに選ばれ、ガブリが二位だって……ところが授賞式になると彼らは他の選手に、ケイタに賞をやったんだ。オルバイスはおれたちのキャプテンだったわけだけど、こう言ったよ――「ま、ともかく、ディナーに行こうや」それで皆でピッツァを食いにいった。タフな大会だったよ。焼いたスパゲッティを食ったんだ。

ああ〜っなんて面白いインタビュー

なんだって?

つまり、鍋の底にくっついちまうと、真黒になって出てくるだろ? それを食うか何も食わないかだったんだ! おれたちが泊まったホテルでは、シェフがフライパンに卵を落としてそれを手でかき混ぜていたよ。おれはガブリに言った……マーキナ、おまえ食べろよ。おれたちは帰りたかったけど、ロレンサーナが報告するぞっておれたちを脅したんだ。ありゃひどく暴力的なシチュエーションだったな。

あなたは誰とも問題を抱えたことがない。監督とも誰とも?
ああ、おれはそういうタイプじゃない。大勢の監督の下でやったけど、クソ野郎とは会ったことがない。これはおれに限っての話だ。他の人は違うことを考えたかもな。でもおれは問題なかったよ。

カマーチョがあなたをデビューさせた。彼好みの選手があなたと何もなかったと信じるのは容易いことだ
おれを招集してくれた最初の人物はカマーチョだった。ペップが怪我をして、おれはセルジ、ルイス・エンリケ、プジョルとプレーするようになった……おれはセビージャ戦でデビューし、ハッセルバインクとフランク・デ・ブールのゴールで1−2だった。彼はおれに言ったよ、「チャバル、おまえのことは知ってるぞ、トランキロ」彼はおれを、初めてのW杯に呼んでくれた。おれは韓国戦の延長戦で出ていった。パラグアイ戦でもプレーしたし、それから南アとの対戦ではスタメンだった。カマーチョはモチベーターだ。彼は守備的だと考えられているけど、おれたちにはボールを大切に扱わせた。彼といるといつだって警戒していなくちゃならなかった。彼はいつも¡venga, vamos!と叫んでいたし、物事を一歩先んじていた。あの体験はすごく悲しかったな。韓国戦での敗退は本当に不当だった。おれたちはとてもいいプレーをしていたけどフィールドはとても乾いていて……ホアキンとバレロンはすべてをうまくやっていた……素晴らしい試合をしてたよ! だけど韓国の選手たちがいかに走ったか! 彼らはちっとも疲れなかった。おれは、彼らは延長で力尽きると思ってた。だけど彼らは走り続けてPK戦に突入していく中でもまだ走っていた。あの日はタフだったよ。イエロがロッカールームで泣いていた姿を決して忘れないだろう。打ちのめされたよ……あれは彼の代表での最後の試合だったんだ……おれたちはあんな結末には値しなかった。歴史を変えるチャンスだったんだ。
                                                           <続>


コメントもこちらから。私が旅の途中で撮っただいたいが欧米の風景写真が表示されます(地味に交換してます)




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