昨日、LC感想をUPしてから203話を読み返して思ったこと。 ラダマンティスの右の瞳が黒く描かれてるの、単に死にかけだからかと思ってましたが、ひょっとしたらあの状態はアイアコスが水鏡に戻ろうとしてた時のあの表現と同一のものなんだろうか。魔星ではなく人間の意志が強い状態、とか……。 ラダマンティスの場合、元から仕える主を求めていた人だから、魔星の軛から解き放たれたとしても、冥闘士だからじゃなく一個人としてとことんハーデスのために戦いそうだとは確かに思う。 でも、若い頃の人間生活してた頃のラダマンが既に今の白瞳と同じ表現だからなあ。あの時点で覚醒してたってなら話は変わってくるけれど。 ああもう、どういう意味での黒瞳なんだか、判断に苦しむわー。ラダのアレがアイアコスにとっての水鏡状態だったら、水鏡の参戦確率が上がってくれそうな気がしたのだけども。
今週のラダを見て、次頑張りますとか言ってるから勝てないんだよ!……と思う一方で、どうしようもなくて次回送りにしたのに、結局勝てなかったんだよなというのが物悲しく感じられます。 聖闘士については、逆に、長生きできない自分が最後まで戦えなくても仲間がいる・次の世代がいるという発想することを責める気にはならないんですよね。シオンVSルネの「歴史的な勝利」という言葉もすごく好きだ。 それは、そういった積み重ねで最後に勝利することを原作読者として知っているからかと思ったけど、そうじゃなくて、聖闘士側は本当の意味で礎となっていくしかなく、自分が出来なかったことを次へ次へと託す形になるのに対して、冥闘士側は魔星が同じだと同一人物判定がつくからかも。 「今日できなかったけど明日頑張るわ」に見えちゃうっていうか(苦笑)。 でもやっぱ、すごいかっこい。その辺差っぴいてかっこいい。こういう逆転の兆しっぽい描写ってもうそれだけでドキドキする。 ゴイスむかつくけど、いい相手と戦えてたんだなあ、カルディアもレグルスも……。
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