みょうの日記
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2005年05月12日(木) 【ハングル】と【かな】

一連の騒動以来、ネットでいろんなところを回ってみた。その中に興味深いものを見つけた。

ある韓国の方が自国の文化というか国語力について嘆いている文だった。
曰く、『韓国は戦後漢字を捨て、文字はハングルのみになった。そのため、かつて持っていた語彙の80%以上を失ってしまった』
つまり日本でいえば、文章の全てをひらがなかカタカナ表記にしてしまったということで、そうすると語源がわからず、なぜそれが●●という言葉が当てはめられたのかを理解できないまま使っている、というのだ。

漢字を捨てたことによって語彙を無くし、的確に指す言葉を失ったがために、国民レベルで高度な議論を交わすのが苦手になってしまったと、その人は書いていた。

あははは〜と笑ってばかりはいられない。

最近、日本でも少しずつその傾向になっているような気がする。ライトノベルなどではひらがなで表現できるものはなるべくひらがなで、という書き方が好まれる。これを「漢字を開く」というようだ。パッと本を開いて漢字が多いとなんだか難しそうで読む気がしなくなるからというのがその理由だ。
 僕は頃合を見て店に戻った。 より
 ぼくは頃あいをみて店にもどった。 みたいな方がいいってことかな。
そういえば、かつて日本語を捨てローマ字表記にしよう! などとトンチキな案が出たこともあったらしい。論外だ。

ふとそこで思い出したことがあった。小学生の頃の話だ。クラスメイトの一人がある日、自慢げにこう言った。
「私、いろはを全部言えるの」
当時「いろはにほへと(ホントに覚えていたのは「いろはにこんぺいと〜♪」だったけど)」ぐらいしか覚えていなかった私たちは「すごーい」と尊敬した。彼女が私たちの前で諳んじたのを今でも覚えている。なぜなら、あまりに呪文めいていたから。
  いろはにほへと ちりぬるをわか よたれそつねな
  らむうゐのおく やまけふこえて あさきゆめみし
  ゑひもせすん
もちろん、一度聞いたぐらいでその場で覚えられるはずもなく、よくこんなの覚えられたネェなんて話をしたものだった。
しかし後に私はあっさり簡単に覚えられた。この謎の呪文が歌だと知ったからだ。
  色は匂えど散りぬるを 我が世誰ぞ常ならむ
  有為の奥山今日越えて 浅き夢見し酔ひもせず
文章だとわかるとまるで視界がパァーッと開いたみたいに「なるほどーっ」と理解できた。

漢字は難しいけれど、その一文字一文字が情景のイメージを思い描ける大事なアイテムなのだな、としみじみ思う。
一時期流行った小難しいカタカナ表現(アーキテクチャとか)、新しい言葉が出てくるたびに「なんぢゃこりゃ!」と逆切れしかかっていたのも、字を見ただけではイメージがまったくわかなかった苛立ちにあったんだね。


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