てらさき雄介の日記
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2015年06月03日(水) |
進化とは信仰を捨てることなのだろうか |
パソコンで漫画が読める。その機能を使ったことはなかったが、初めて試しにダウンロードした。庄司陽子作の「悲しみの骸」という物語。内容も評判も全く知らない。魅かれたのはタイトルだ。
作者は著名。しかし何とも売れなそうなタイトルだ。1巻目を読むと内容も暗い。テーマが宗教だ。果たして連載時は人気があったのだろうか。しかし数時間のうちに最終巻4冊目まで読んでしまった。
漫画の作りは幼稚。また印象には残るが面白くはない。更に著者の主張が随所に散りばめられており、かえってそれが鬱陶しい。ただし最近考えていることに、どことなくフィットしている。
さて夕方は飲みに行く。賑やかなところがいいと思い繁華街へ。ハンバーガーを食べながらバーでバーボンを飲む。まさに喧騒の中にいる。少し先。10m程の所に社がある。上座部仏教の小さい社。
前を通ると手を合わせるタイ人は多い。1時間程だろうか。しばらく見ていた。いくつかの発見があった。立ち止まるのは女性が多い。また男女とも若い人が多い。礼というよりも祈りという感じだ。
以前のバンコクはもっとそうだった。至る所に祈る対象があった。その雰囲気が心地よくてやってくる旅行者も多かった。生活とは。おカネとは。進化とは信仰を捨てることなのだろうか。酔いながら考えた。
●今日一日
終日所用
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