てらさき雄介の日記
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2013年10月23日(水) 今、キリングフィールドに立って

思い出というのとは違う。ショッキングという意味で忘れられない場所がある。そこを目指して旅をしているので、事前の心構えはしているのだが、実際に立ったとき想像をこえた衝撃を受ける。

今日訪れた‘キリングフィールド’も、一生忘れられない場所になるだろう。一度は来たかった、いや来なければならないと考えていた。同じアジア、それほど遠くはない。しかし42歳になっての訪問である。

プノンペン市内から車で約30分。人影も多くない郊外、現在は‘慰霊施設’として静寂のなかにある。幸いにも日本語案内のイヤホンマイクがあった。約2時間かけてゆっくりと中をまわった。

同名の映画を幼少時に見た。これもショックだった。そこからは農作業をする強制収容所という印象が残った。しかし違った。単に人を殺す為だけにつくられた施設。まさに処刑場だったのだ。

ふたつ新たな事実を知った。クメールルージュは子どもを徴用し処刑人に仕立てた。しかし選ばれなかった子どももいた。処刑された人の身内である。復讐を恐れた政権は、その子どもや赤ん坊まで全て殺していた。

もうひとつ、処刑には銃を使わなかった。弾が高価だったからとのこと。農作業で使うオノやクワを振り下ろす、生えている大木に頭をたたきつける。生きたまま穴のなかに落として埋める。

カンボジアの当時800万人の総人口のうち、実に300万人以上がポルポト政権5年間で虐殺された。人間の所業ではない。しかし大昔の話ではない。私が生まれた後のことだ。

何故このようなことが起きたのか、その原因を突き止めなくてはならない。「歴史の評価は歴史学者に」と言う人がいる。しかし違う。政治家こそ評価を下さなければならないのだ。

‘ルワンダ’の涙を見ただろうか。アジアやアフリカ、それ以外の地域でも殺し合いがある。その根絶を目指すのが政治。かの国で過去に起きたことを、自らの問題として考えるべき。その先に希望があると信じている。

●今日一日

終日所用


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