てらさき雄介の日記
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2012年07月31日(火) |
グアム島の戦跡をまわる |
大日本帝国の跡を辿る旅。グアム島を訪問した。珍しく中学生の子どもと2人旅である。
現地では戦跡ツアーを専門でやっている芳賀氏に依頼。(ガイドブックやネットで実名広告を出しているので氏名を掲載)。約6時間かけて島内をじっくりまわった。
サイパン・ロタ・パラオは、当時日本の信託統治領。一方すぐ近くのグアムはアメリカの占領下。ゆえに日本は真珠湾攻撃と同じ日にグアムを空爆、その後上陸して短期間で占領している。
それから約2年半軍政をしいたが、サイパン島玉砕の後に米軍が来襲。悲惨な戦闘が行われて、ここも再び米軍に占領された。島内には双方の上陸地点や激戦地が、当時のまま面影を残したたずんでいる。
さてグアムの観光客は日本人が約8割。しかしほとんどがビーチや買い物がメイン。最近はトレッキングをする人も減っているそう。ましてや観光地化されていない戦跡をまわる人はごく僅か。
しかしそれでも何日かに数名から、ネットを通じてガイドの依頼がくるそう。中には非常に若い世代の人も。関心を持ってもらえて嬉しいと、芳賀氏は途中何度も言っていた。
日本軍のトーチカ→米軍の上陸地点→当時の軍港→横井庄一さんの生活エリア→野戦病院の塹壕→最後の司令部塹壕→日本戦没者慰霊碑→チャモロ人強制収容所→BC戦犯裁判所→同処刑場。多くの場所を見れた。
さて子どもはどう感じただろう。海外自体が始めてなので、余裕がなかったかな。芳賀氏は私よりも、子どもに多く話かけていた。世界平和の実現には教育こそ重要。同じ考えだ。
また芳賀氏、「戦争がいけない。兵隊さんが可哀そう。それだけでは不十分。何故そんな戦争をしたか。何故負ける戦争をしてしまったのか。より深く考えて欲しい。同じ間違いを繰り返さない為に。」
●今日一日
終日私用
日本軍最後の塹壕。中にも入りました。
日本がつくったチャモロ人(現地人)の強制収容所跡。
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