てらさき雄介の日記
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2012年07月08日(日) マダガスカル島でバー

‘日本人の歴史’が大好きである。いわゆる日本史は、国内で起こった現象がメイン。しかし海外で活躍した人たちを忘れてはいけない。

‘安南王国の夢’という本を読んでいる。読み終えたら改めて感想を書きたいが、その冒頭に‘赤崎伝三郎’について若干の記述がある。

うーん。実在の人物だったのか。以前‘孫文の女’に入っている短編‘アイアイの眼’に、同様の人物が描かれていたが、オールフィクションだと思っていた。

時は日露戦争。アフリカ南端の喜望峰回りで日本に向かう、ロシアバルチック艦隊が、寄港したマダガスカル島で約2か月の休息をとる。

同島でカラユキさんとして働いていた日本人女性が、上陸したロシア軍人と接触し、艦隊の詳細を日本海軍司令部に逐一伝達。そのことが日本海海戦の勝利に結びついたとの話。

その背後には、女性に情報を求め続けた、現地で商人と偽装した日本のスパイがいた。そのスパイこそは、赤崎氏がモデルになったいた。

赤崎伝三郎氏は長崎県天草の生まれ。15歳の時に東南アジアに出稼ぎに行き、ベトナム・インドで働くも上手くいかず、ついに当時フランスの植民地であったマダガスカル島へ。

家を改造したバーを経営すると、場所がフランス軍駐屯地の前だったこともあり、次第に繁盛し成功を収めていく。そしてバルチック艦隊が寄港し、バーに多くのロシア軍人が飲みにくる。

さて軍事情報を祖国に伝えた云々よりも、明治の中期に単身東南アジアに向かい、更にはアフリカ大陸の手前マダガスカルで、何と飲み屋をやっていた日本人。ここに感動した。

ちなみに氏は最後帰国し、故郷天草で隠遁生活を送る。その自宅は旅館として今も残り、館内には氏の記念コーナーがあるとのこと。いずれ訪れてみたい。

●今日一日

【午前】
相模原から熱海へ

【午後】
JR東労組横浜地本定期大会/熱海市

【夜】
JR東労組横浜地本定期大会/熱海市

JR東労組の大会


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