てらさき雄介の日記
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2007年09月16日(日) 親分子分は勘違い

自民党総裁選で福田氏が圧勝する形勢だ。麻生派以外すべての派閥の支持を得ている。これを“派閥政治の復活”と評する人もいるが、自民党には元々厳然として派閥があるのだ。

‘人間は3人集まれば派閥が出来る’という意見もあるが、自民党の派閥はそれとは似て非なるもの。派閥の正式名称があり、事務所があり、更にはそれぞれ政策集までつくっている。良くも悪くも単なる仲良しクラブではなく、権力闘争をするための集団だ。

民主党の場合は、それ程ではない。あってもまだ仲良しクラブの範疇。それが良い目に出るときもあるが、一方派閥の功罪で「功」の部分も出ない。もちろん派閥は、なければ無いほうがいいので、無理してつくる必要はない。

司馬遼太郎の幕末感のうち、薩摩と長州の分析は興味深い。薩摩は‘お先師’に従う文化。藩主に対する忠誠心が強く、西郷隆盛や大久保利通のようなリーダーが出たのもそれ故。一方長州は‘君と僕’と言い合ったように、兄と弟はいても上下関係ではない。高杉晋作や桂小五郎に至っては藩主の命令無視も数回、御前会議での意見も喧々諤々。

維新後に、西南戦争で多くの薩摩人が西郷とともに決起したのと、萩の乱で前原一誠のみ孤立し自滅したことの違いは、この文化ゆえと論じているのは、あながち空論でもないだろう。

さて私は長州の方が好きだ。最近一層そう思う。映画などで見る親分子分には憧れるときもあるが、政治は不義理と不人情の世界。唯一金銭やポストなどの利権などが介在した結果、一時的に忠誠が成立するときもあるが、その行く末は余りにも儚い・・・。

そして何よりも、私たちは主権者に対してのみ頭を垂れればいい。忠誠というならば、公務員たる私たちの主人は県民であり市民だ。間違ってはいけない。

それでも‘親分、子分’と言うならば、「自分は親分足るに相応しいか。」「子分足るに相応しいか。」そして、「最後まで運命をともにする覚悟があるか。」を自らに問い直すべきだ。

【今日一日】
休暇


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