てらさき雄介の日記
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2006年04月25日(火) |
公明党・創価学会について |
公明党が、次期県議選の候補者を決めた。ここ相模原市・津久井郡選挙区では、現職1名と新人1名が立候補する。
今や日本のタブーとなった「公明党・創価学会」について、議論することを避けてはいけない時期にきた。彼らの影響力が、一定であるならまだしも、最近上昇していると思う。
メディアや新聞は、学会の影響を受けること大なので、余り期待は出来ない。「反公明・学会」については、いままで共産党のみ論陣を張っていたが、別の視点であっても民主党も加わるべき。
しかし重いテーマだ。自・社・共について述べることは、過去にもやってきたが、公明党について述べることは一定の躊躇を覚える。現在社会のなかで公明党を大声で批判することは、現実はばかられる。もちろん規制はないが、雰囲気というものだ。
最初は原体験から。高校生のときに、祖父母の家にひとりで遊びに行った。浅草発東武日光線に乗ると、隣にすわったオジサンが創価学会の人だった。「オジサンも公明党なんですか?」とマセた質問をすると、「そうだ。必ずではないが、話を聞いて理解できれば支持者になる。」とのこと。
続いて、オジサンは「私の子供も学会だが。近い将来には、お金がなくてもやっていけるようになる。」と宗教観を述べていた。些細な体験だが、私の学会初体験だ。
次は秘書時代だ。守秘義務もあるので、全ては書けないがある程度。私が秘書をしていた伊藤達也代議士は、当時新進党所属議員だった。新進党は新生党(小沢・羽田党)・民社党・公明党・日本新党などが合併して出来た党で、その中で公明党は大きな影響力があった。
伊藤代議士は政策能力においては、明らかに群を抜いていたが、何せ日本新党から初当選していたため、選挙に際して固定票があまりなかった。秘書として後援会づくりもしたが、私が担当しているせいか、なかなか上手くいかなかった。
そこで頼りになったのが、学会の皆さんだ。必殺技の動員をはじめとして、かなりの支援を頂いた。ある狛江市在住の支援者によると、「近所に学会さんが多いから、私が伊藤代議士の応援をしているとわかると、皆から声をかけられるようになった」とのこと。
その後政界は変遷し、公明党は与党になった。これを変節と言う人もいる。私もそう思うが、これを言うには、連立後いささか時間が経ちすぎた。そして公明党の本質を見れば、元来野党よりも与党だ。彼ら本来の姿になったという意味では、批判することでもない。
現に地方議会のほとんどでは、公明党は与党だ。首長が自民系だろうと、民主系だろうと、あるいは共産系だろうと、議会ではしっかり与党になっている。
来春の神奈川県知事選でも、「必ずしも松沢知事の対抗馬を擁立することはしない」という微妙な言い回しで、対抗馬を探している自民党を牽制している。次の知事選で敗れれば、本当に野党になってしまうという防衛本能が、公明党に働いたのだろう。
この‘防衛本能’こそ公明党の行動規範だ。そもそも創価学会が公明党を組織したのも、学会自体の防衛に目的があった。
かつて公明党は細川連立政権に加わった。その時の野党自民党は、政権を攻撃する材料として公明党を使った。「宗教政党が政権にいることは問題だ」と言うのだ。その攻撃は執拗を極め、学会名誉会長である池田氏の証人喚問まで囁かれた。結果会長の秋谷氏の参考人招致で収まった。
このことが、学会をして本当に非自民の側にいて、学会と池田名誉会長を守れるのかという不信感を生んだ。その後新進党は解党になったが、その直接の経緯は、新進党内の公明党グループが離脱の形勢になったことがある。
自民党は社会党と連立し、政権に復帰したが、いかんせん成り立ちも政策も違う。選挙でも‘使える’公明党の方がいいと、かなり早い段階から接触していたそうだ。
そして現在。公明党・創価学会は、目標に向かって着実に進んでいる。現に社会一般のなかで、彼らの批判をすることは憚られるし、地域のなかでも一定の存在感を持ちつつある。「与党になってからやり易くなった」と地域の学会幹部は言う。
かつて私たちが仲間だった頃は、巷で平然と言われていた学会批判が、今はほとんど聞かれない。心の中の声が出なくなっているのだ。
さて民主党も反省点がある。公明党・創価学会は、少し前まで、民主党にも二股をかけていた。前々回の選挙までは、民主党候補を学会が内々で応援していた選挙区もあった。神奈川県内でもだ。
それ故、民主党内でも公明批判が出にくかったのだ。しかし千葉7区の補選を見てもわかるとおり、公明党は最早自民党以上に自民党だ。自民党支持層が8割しか自民党候補に入れてないのに、公明党支持層は「ほぼ10割」が投票している。
ここに至って、改めて私たちが戦うべきは、自“公”であることを決意すべきだ。私は感情的には、学会に含むところはないし、友人にも学会員は多数いる。かつて一緒に自民党と戦った思い出もある。いずれまた一緒にと、思わなかったわけでもない。しかし今はこれまでだ。やるしかない。
延々と述べた。政治の世界において、公明党の影響力を少なくすることは、理屈ではそんなに難しいことではない。投票率を上げればいいのだ。主権者の中での学会員の割合は、そう簡単に増えはしない。皆んなが投票に行けば、相対的に学会票は減っていくのだ。
今日のところは、とりあえず「反自“公”」の宣言まで。
多少の怖さも覚えるが、戦中軍部相手にガンガンやっていた、多くの真の政治家を見習おう。それに比べれば、大したことはない。
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