てらさき雄介の日記
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母校の卒業式で校友会(卒業生の会)会長として挨拶に立った。以下その内容である。
「在学中何をしていたかは多く記憶があるが、その時々に何を考えていたかは忘れてしまったことが多い。その中でも幾つか今でも印象に残っていることがある。
一つは通学だ。相模原市の上溝からスクールバスの出る西八王子まで4、50分。バスに乗ってから更に4、50分。地元の公立ならばもっと時間が有効に使えたのではと思っていた。
次はバスケット部に所属していたことだ。友人では上手なメンバーもいたが、自分自身はそれほど上達はしなかった。時々辞めようかとも思ったが、友人もいるし、ここまで頑張ったのだからと思い、最後まで活動をした。
更には試験勉強だ。試験前に夜中まで集中的に勉強する。もう少し早くからやっていればと情けない思いもした。
最後がこの卒業式のことだ。もうこの学校に来ないのかと思うと感慨もあったが、寂しさや悲しさはなかった。むしろここを出た後の世界について、期待に胸を膨らませ武者震いのようなものも覚えた。
ふと見渡すと卒業する皆さんよりも親御さんに年が近くなっている。私は第4期の卒業生、皆さんが第20期の卒業生だから、大学生活を入れると16年間社会のなかで生きてきた。たったこれだけで言うのも恐縮だが、率直な感想を言えば、社会で生きていくことはとても面白いし充実している。子どもの頃、高校生の頃想像をしていたよりも何倍も面白い。
何が面白いか。人生の主人公が自分自身であることは生まれながらに誰でもそうだ。しかしこれからは主役だけでなく、演出、脚本、監督、など全てを自分自身ですることができる。これほど楽しいことはない。
しかし逆に言うならば、これらは出来るのではなく、しなければならないのだ。主役を張り続ける意思と信念を失ったとき、そこから自分の人生ではなくなってしまう。残念ながらそういう人を多く見てきた。皆さんが自分の人生を歩んでいってくれることを期待している。
私は明治大学在学中に雄弁部で活動していた。その部訓というか基本方針のようなものがある。和而不同(わしてどうぜず)という漢語だ。人と仲良くすることは大切だし、そうしなければ社会は成り立っていかない。
しかしそれは人と同じくすることを意味するものではない。今も仕事場にこの文字が飾ってある。繰り返しだが卒業生の皆さんが自分自身の人生を歩んでいくことを期待している。」
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