てらさき雄介の日記
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2005年09月14日(水) |
藤井裕久先生と その一 |
過去この日記では、「藤井先生」という呼び方はしませんでした。議員を先生と呼ぶことへの違和感が、私にも「藤井先生」本人にもあったからです。
しかし昨日の引退表明を受けて、今後は文字通り敬意を込めて「藤井先生」と言います。
今日選対解散式がありました。その中で藤井先生から、議員生活に終止符を打つ旨のお気持ちが述べられました。
政治家を辞めるわけではなく、あくまで国会議員生活からの引退であります。
今月一杯で、相模原事務所も閉めるとのこと。寂しい気持ちで一杯です。改めて過去における藤井先生との思い出を邂逅してみます。
その多くは、今まで余り人に話したことがありません。しかし私自身の新たな出発のため、あえて記していきます。
【藤井裕久先生と〜引退表明を受けて】
明治大学に入った私は政治をより研究すべく、直接政治家の事務所と知り合いになりたいと考えました。
相談したのは、当時自民党代議士の学生秘書をされていた、現秋田県議会議員の大関衛先輩です。雄弁部の二学年先輩でした。
すると縁があったのでしょうか。丁度私と入れ替わりで大学を卒業し、社会人になったH先輩が、相模原市から新しく衆議院議員になられた藤井先生の選挙を手伝っていたとのこと。
早速紹介を頼むと、数日のうちに藤井先生と会える段取りをして下さいました。
衆議院議員会館という所に生まれて初めて行き、第一秘書のFさんに会うと、学校に行きながらでも事務所を手伝ってみないかとのお話です。
正直そこまでの気持ちはなかったのですが、即答で「よろしくお願いします。」と答えたのが、今思えば私らしいです。
数分後に議員室でF秘書から、藤井先生を紹介して頂きました。確かF秘書が藤井先生に私を紹介した口上は、「今後事務所に出入りする学生の寺崎君です。政治志望です。」
すると「そうかい。それはいいことだ。いいことだ。頑張りなさい。いい顔をしてるね。」
初めての藤井先生からの言葉です。後段の“いい顔”はお世辞だったかもしれませんが、若い人が政治を考えていることに率直に賛意を示して頂けたのが印象的でした。
その後F秘書と地下二階の喫茶室に行き、だいたいの業務内容を聞きました。余り意味はわかりませんでしたが、とてもワクワクしたのを覚えています。
数日後に初出勤すると、「衆議院議員藤井裕久事務所 寺崎雄介」の名刺が出来上がっていました。こんな大層なものを、果たして一学生が持っていいのかと思いましたが、ありがたく頂きました。
平成2年(1990年)四月。当時大学一年生。今から十五年前のことです。
続く
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