てらさき雄介の日記
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2004年06月26日(土) 明治大学校歌を唄いながら、君が代を考える

私は君が代をきちんと唄います。しかし国歌を唄うことが愛国心の表現であるとする意識は疑問です。愛とは内なるものであって、外に出すときは慎重にしなければなりません。

教員が学校現場で君が代反対を訴えることは問題があります。その意見は職権によってではなく、ひとりの主権者として学校の外で言うべきです。

しかしそれが子どもであるならば、強制で唄わせるべきではなく、そのこどもの話しをきちんときいてあげるのが教育だと思います。

今日明治大学の校友会(OB会)相模原支部総会があり、校歌を皆で唄いました。本当にこの唄は大好きです。学生時代にも飲んだ後に、明大前や御茶ノ水の駅や、新宿のコマ劇や区役所前でよく歌いました。周りの迷惑をかえりみず、気持ちよかったです。

何故気持ちよかったか。どうしてまた唄いたいと思ったか。これは皆が自主的に歌っていたからです。

私は付属校出身ですので校歌は高校時代も一緒ですが、当時はあまりしっかり唄っていませんでした。強制されているという意識があったからだと思います。

君が代を大きな声で唄えるこどもが、果たして良いこどもなのかは正直わかりません。しかし社会がそれをこどもたちに唄わせたいとするならば、国歌とは、君が代とは、天皇とは、何かということをしっかり子どもと話すべきです。意味を教えずして、機械的に唄わせている現状が散見されます。

繰り返しですが、私は君が代を唄います。しかし他に唄っていない人を見ても特段どうこう思わないのは、自分のどこかに唄っていることへの迷いがあるからです。

賛成!反対!とはっきり言い切れるほど簡単な問題ではありません。歴史の象徴であるということは、そこに多くの人々の思いが連なっているからです。深い内容ですが、考え続けていきたいと思います。


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