Have a precious life !
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今日から実家に帰りまーす。 荷物をまとめきっていないので、午前中大慌てで準備。 お昼にハングルの勉強会でIさんと待ち合わせ。 お昼ご飯を食べて、それから勉強を始めたんですが、アキラは何分超素人。 字を見て音を読むのが精一杯。 基本的なこと(「〜は」とか「〜を」とか)はTVの韓国語講座で勉強してるけど、日常的に使うような文章や韓国文化についてはTVを見てるだけじゃ追いつかないからね。 お返しというには程遠いけど、アキラからは日本語とか日本文化、歴史をお話。 ところがー! アキラは歴史に疎かった…(ダメじゃん)
江戸時代とかって、将軍の他に天皇ていたの?(みたいなレベルだよ) なので、平成から遡って江戸時代ちゅーのがあって鎖国してたのよ、くらいにしかいえませんでした。 あ、韓国人も徳川15代の話は苦手らしいよ。 アキラだって15人言えねーよ。 ていうか、最初の3人も怪しいくらいだ。 (それくらいは言えるようにしとこう…)
でも、昭和史とかはある程度わかるので、その辺をお話しました。 その9割が戦争とかの暗い話題ってのもどーなんだ自分…。
韓国はかつて日本の植民地だったこともあって、日本の終戦記念日は韓国にとっては独立記念日?解放記念日?なんだそうですよ。 でも、その話題に触れると、それまでにあっていた虐殺などの事件を思い出すということでもの凄く胸を痛めるんだそうです。 「独立したぞー!やったー!」て感じではないそうよ。 ま、多くの若い人達には、もう何処吹く風的な話題なんだそうだけれど。 それは日本も同じよね。 過去の戦争時代の話は、胸を痛めたり憤慨する人もいれば、自分には関係ない、と興味すら持たない人もいるものね。
Iさんがこの話題に少しだけ顔を歪めてしまったことを知りながら、それでもアキラは、「自分が日本人であるから偏った意見になるかもしれないけど」と前置きをして、かつての日本と韓国の関係性についてとか、アキラが韓国に行った時に見た、植民地時代を復元した虐殺記念館??の感想とかを話してみました。 Iさんは少し胸を痛めつつも、アキラが好奇心とか、面白半分とかで話しているわけではない、ということを理解してくれて、しっかり聞いてくれました。 もちろん、アキラは戦争を経験したわけじゃないから、何を話しても平和ボケしている現代を生きる甘ちゃんの素人意見にしかならないのかもしれないけど。
あと、原爆のこととハワイ・ビキニ湾での水爆実験の話をしておきました。 これからも日本に住むなら、どうしてもこれだけは知っていて欲しいと思ったから。 これらは淡々とただ事実のみ、アキラの意見は一切挟まずに。
韓国のテレビで特集が組まれて見たことがあるらしく、その影響もあるのか、原爆資料館に是非行きたいんだ、と言ってました。 彼は、大学では工学部だったそうで、核爆弾の仕組みはよく解るそうです。 仕組みは解るけどそれ以外は解らない、と言っていたので、爆弾の威力の大きさと、もたらした被害が如何程のものだったかを、その目で見て欲しいと思います。 これは、アキラ自信が広島と長崎の原爆資料館に行った時と、戦争について考える時にいつも思うこと。 せめて写真や復元物で見てみて欲しい。 見た上で、「想像を絶するものだ」ということを理解してほしい。 Iさんが、その後どう思うかはもちろん自由です。
あと、日本は地震大国なので、阪神大震災のことも少々。 次回はもう少し明るい話題で日本を語ろう…。
明るい話題ってどんなんだ??
17時くらいに別れて、アキラは実家へ。 駅から実家まで遠いので、いつも車での送迎をお願いしているのですが、その電話をしたら…。 母「あら、もっと遅いかと思ったわー」 ア「はぁ…でも夕飯に間に合うように帰ると言ったと思うのですが…」 母「え?夕飯はうちで食べるけど遅くなるって言ってなかった?」 ア「言ってません(-.-;)」 母「まだ明るいし歩いて帰ってらっしゃい」 ア「え…っ…」 ていうか、もう電話切れてるし!
そしてとぼとぼと家まで歩いて帰ったのですが、家に着いて玄関に灯りは点いておらず真っ暗…。
…娘にもうちょっと優しくしてくれてもよくね? バファリンだって半分は優しさで出来てるのに。 (比べる対象が間違ってる)
2003年04月30日(水) すっかり 2002年04月30日(火) 開店休業
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