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■ 受け売り説法
5月。
3,4,5月と続く我が家の誕生日マンスリー(笑) 今月は次男と私の2人です。
18日の私の誕生日で終わり。で、もうケーキはいつも「いらん」状態。
先日のGW中に久しぶりにいつきさんと会って、飼い猫のたびちゃんを撫でて来たんですが、実家まで迎えに来てくれたいつきさんの「何かケーキでも買ってくか」という提案で、連れ立って行列のできる某ケーキ屋さんに行ったモノの、「もしかしたら私はケーキがあんまり好きではないのかも」という話で盛り上がり(笑) なら買うなよと言いながら、とりあえず食べました。 たまには良いんだよ、たまには。 ホント...半年で1個くらいで良いや。
その前には義母と子供らと一緒に海遊館にいったんだけど、長男が具合悪くて電車に酔ってしまい、せっかく行ったのに(しかも実は私は初めて海遊館へ入った)ずっと長男のトイレ待ち。 次男は義母に預けて見てもらってたので、たっぷり楽しんだ様子。 「ここで見といたるから、もう一回見といで」と義母は言ってくれたものの、GWの海遊館はもう後戻りできないくらい海遊"感"ゼロ状態。 ま、最後は「生サメ・生エイ」を触り放題でしたけど、長男だけは帰宅するまでスーパーのビニール袋を握りしめながら座り込んでました。 この日以来、長男の風邪気味状態がそのあと旦那と私に回ってくる訳ですが..........。
GW明けに仕事とPTA総会などがあり、ボケた頭を振り絞って活動。
もう週末は微熱かかえてフワフワしたまま洗濯。 いい天気、つか夏日でカラっカラ!!
そして昨夜(5/10)の夜。 壁画の事を放送していた番組を観てて、エジプトのピラミッド内に描かれていた死者の書が出て来たとき、 「死後の世界ってあんの?僕は死んだらどこに行くの?」 と、突然長男が言い出しました。 次男も一緒に聞いてくる。
うー........ん、おかあさんも死んだ事ないからわからん。
「生まれて来たんやったら、絶対に死ななあかんやん。怖い」 「そうやなぁ、和馬だけじゃないで、おかあさんもたまにそう思うわ。怖いよな。1人で死ぬんやもんな」
いきなり途方もない言葉を出して来た子供に、なんて言って良いやら。
でも、長男が1人で怖がる必要はないのだ。
「和馬、最近「ブッダ」繰り返し読んでるやん。あの人も"人はなぜ生まれ、死後はどこに行くのか。なぜ人は生まれてくるのか"を一生かけて考えてた人なんやで。キリスト教もブッダの開いた仏教も、エジプトの人も、みんなみんなその事を考えてんねん。死ぬ事を怖いと思うのはみんな一緒やけど、じゃあ何で自分は生まれたんやろ、って考えるねんな」
乳がんで亡くなった長男のお友達のママが、生前こんなことを言っていました。
「人間界は魂が大きく、強く、清くなる為に修行する場所なのよ。神様が"もっと修行して立派な魂になりなさい"といって人間界に送り出す。そこで修行が終わったらまた神様のもとに戻って良いよ、と帰って行く。そう思うと怖くない」
それを長男に言うと 「でも、4歳とか赤ちゃんとか、小さい子が死んだりするやん。あの子らは修行がもう終わったってこと?」 「そうやなぁ、短い間でも、その子の両親とか、周りの人に一杯一杯、幸せや大切な物を残して行けたんちゃうかな?だから神様は"よし、修行終わり"って天国に呼び戻したんちゃうかな?」 「俺も修行してんの?」 「してるんちゃう?楽しい事ばかりじゃなくて、しんどい事とかもしてるやろ?それは多分修行なんやで。和馬は死ぬのが怖いって言うけど、もしかしたら何回も何回も、修行を繰り返してる魂かもしれへんで。前に一杯修行したから、また人間に生まれ変わって、このうちの子に生まれて来て、一応なんの不自由もない平凡な生活ができてるんちゃう?」
ここで長男、少し涙ぐんで 「魂ってずっと続くの?」 「ブッダはそう言ってるな〜。あんた達がお母さんとお父さんから少しずつ同じ物を移して生まれている様に、お母さんもおばあちゃんやおじいちゃんから同じものを受け継いで生まれてるんやで」
次男が 「おばあちゃんの上は?」 「もちろん、群馬にいるひいばあちゃんと、もういないひいじいちゃんからやで。その上にも両親がいて、その上にも両親がいるし、ずーっとずーっと何かを引き継いで今、あんたら2人にバトンが回ってきてん」 「リレーやな、魂の」 「ほんまやな〜、誰一人欠けてもつながらへんリレーなんやで」 「じゃあ、人間の一番最初ってだれ?」
すでに神の領域に話が...(笑)
「神様が作ったとか言う伝説もあるけど、恐竜とか生物の誕生からほ乳類が出て、猿が出て、進化して.......って事やろな」 「そっから今の世界中の人がつながってるん!?」 「そうなるよなぁ」
「生まれ変わりってあるの?」
「そう考えて、ミイラとか作ってるんやね。魂は消えないで生き続けていくっていうのがミイラの考え方やし、ブッダもキリストも復活とか再生とか言ってはる。死ぬのは誰だって怖いけど、"あー、あれもしたかった、これはやめとけばよかった"って思って死ぬより、たくさん生きて"もう満足や"で死んだほうが良いやんか。人間、死にたくても死ねない人もいるし、死にたくないのに死ななきゃ行けない人もいる。それは、もしかしたら神様が決めた修行の期間かもしれへんよ。自分の修行の期間がわからへんからみんな怖いねん。でも、自分で期間が決められへんねやったら、もう生きてる間は一生懸命生きなしゃーない。ただし、人を傷つけたり、痛めたりしたらあかん。そんなことしたら次は生まれ変わられへんかもしれへんで」
こんな事、改めて話をする機会なんかないだけに、聞かれたのが幸い、じっくりと命について話してみました。 それは私自身にも問いかけ、自答していること。
2人ともどこまで理解できたかはわかりませんが、今を生きている大切さを噛み締めてほしかった。
特に長男は語り合った言葉をどう飲み込んだのか。 彼が生きて行く上で、今夜のハハの言葉がどれだけ残るのか。
「ただなぁ、修行が終わったからって、親より先に子供が先に神様のとこに帰ってしまうのは、とんでもなく悲しいよな」
子供達はそう言う私の顔をじっと見ているだけでしたが。
2009年05月11日(月)
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