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■ もう一つの居場所
春が来て桜が咲く。
当たり前の様な自然環境と思っていたら、大間違いである。 冬の間の栄養の蓄えや、根の張り方。 環境の変化などで、当然だと思っていた開花ができずに枯れて行く木もある。 当然というモノはない。 ようは根本が大事。 環境によっては立ち枯れていくモノもあり、満開の花を咲かせる木もある。
昨夜の空手で先生が言った言葉です。
新学期。 進級・進学する子供達にはまた新しい環境が待ち受けています。 辛い事もあれば、楽しい事も待っているはず。 友達でイヤな奴と会うかもしれないし、とっても素敵な相棒と出会えるかもしれない。
根本がしっかりしていれば、回りを取り巻く環境が暖かければ、その困難をも打開する力が備わって行くでしょう。
ウチの支部で空手を習っている子供達には、その環境の一つとして道場があると思います。 それもしっかりと力になってくれるイイ環境。 学校で辛い事があっても、しっかりと稽古に来ている子には、良い仲間がいつもそばにいてくれる環境です。
子供の指導や育成を空手の道場に一任されても困りますが、家庭とは違う愛情を先生はいつも与えてくれています。 子供達が今はそれに気づいてなくても、学校や家庭とは違う環境の仲間同士だという意識は持っているようです。
残念ながら多少手に負えなくなっていたり、持て余し加減の子供を丸投げにしてくる保護者もいて、「空手に行かせとけば大丈夫だろう」とか、「空手をしていれば何とかなるだろう」と思っているようです。 ただ、そういう子は続かなかったり、色々と支部を変えたりして結局は破門になったり退会処置をとられます。 (またはみずからそれらの処置を選ばざるを得なくなる)
空手の道場は子供を校正させる場所ではありません。 家庭がしっかりと子供を育てている上で、心技体を極める場所です。 根本がしっかりしていないのに一任されても、親の思う様な子供にはなりません。
先生とよく稽古を終えてから話をしますが、そういう子が退会を余儀なくされるのは切ないそうです。 得てして、そういう子は自分から「退会します」「ありがとうございました」という最後の挨拶にも来ません。 親が「じゃやめます」で終わり。 本人と話をする事もなく辞めて行くわけです。 「やっぱり、残念でね...」 先生は親ではなく、本人と稽古を共にして来た訳で、非常な無常観を呟きます。 色々と本人の為になる様にと考えたり、手を尽くしたりしても、結局親が本人の意志を尊重させようと「努力」した跡が見られない。 「俺は"あいつ"と最後に話がしたかったんですけどね」 二週間前もため息をついてました。
何人かの退会者を出したうちの支部ですが、その一人一人の顔を思い出せるくらい密度の濃い稽古と愛情をかけてきた先生。 もちろん私も初期からの子供達を全部見続けながら、一緒に相手をしたり、手伝いをさせてもらってきました。
昨夜は新たに一人の男の子が体験入会してきました。 ちょっと...不思議君でしたが(苦笑)うちの次男と同じ新一年生のフレッシュ君です。
卒業して中学生になる女の子や、新入会してくる子供達を見ながら、いつまでもこうしてこの子達を見守って、見送って行きたいなぁと、しみじみ思うわけです。 何年か先に卒業していった子に 「Sさん、まだやってんねんや〜」と笑って言われたいな。
私にとっても空手の道場は、自分を生き生きとさせてくれて、自信をくれるいい環境の一つだと、最近思い知っています。
2008年03月29日(土)
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