sizukuの日記 sizuku 【MAIL】【HOME】
- 2002年01月24日(木) sizukuは何者だっ!!!
世の中やっぱりおかしいよ。
弱いものが損をする。正しい人が損をする。
そんな世の中になっている。
私は白血病になった。4年生の12月下旬に即入院。
それからきつい治療を繰り返し、放射線も浴びた。
放射線を頭に浴びたあとは、頭痛が酷く、酷く体もだるく
生きた心地がしなかった。
かつらをかぶったけど、やっぱり本物の髪が欲しかった。
退院した時に担任の先生に公表してもらった
「しずくさんは、頭を保護する形でやっていくので・・・」
みんな優しかったよ?気を使ってくれたよ?
でもね・・・
みんなが気を使ってくれる事でわたしは余計傷ついていた。
やっぱり髪がないって事再認識させられたから。
気を使ってもらうたびに。
実を言うとさ、8か月の入院よりそのあとの通院の方が辛かった。
2週間おきに、治療をする。点滴の凄くきつい黄色と赤の液体。
思い出すだけで戻しそうになる。
今でもレモンジュースや、アセロラジュースは飲めない。
1週間目は治療の日。3パックくらい点滴する。
どんどんどんどん気持ち悪くなる。
終わったころにはまともに歩けない。
私が通ってた市民病院は遠かったから母と電車で通っていた。
そこからタクシーに乗って病院へ。
だから、タクシーの中では迷惑をかけられないって思って
必死にこらえた。もちろん電車もそうだけど。それで家に帰ってから
げーげー吐いた。吐いたって言うより・・・吐き続けた。
黄色い点滴だからもどしたものまで黄色になる。
尿は赤いし・・・また気持ち悪くなる。
母がすぐ布団を敷いてくれる。母もとなりに布団を敷いて
二人で寝た。母は仕事があるので10時には眠りにつく。
私は気持ち悪くて眠れない。並たいていの気持ち悪さではない。
精神がおかしくなるような感じだ。
寝る前に母が布団の周りに透明なビニール袋を20っこほど
口を広げて並べておいてくれる。
そこに1回ずつもどしていく。足りなくなると洗面所に走る。
もどすものが無くなるのに、まだ訴える私の胃。胃液が無くなってからからになってるのにまだ、まだ要求している。
このままだと水分摂取できなくて体が危険になるかもということで
頑張ってお茶をムリして飲んだ。胃液で解けたのどの粘膜がひりひり痛んだ。
死んだように何日も何日も寝こむ。
例えると高熱をずっとだし続けて、死にそうな感じ。
それが2週間近く続く。やっと学校に行けると思って
2、3日行くとまた治療・・・・
治療治療治療治療治療治療治療医療治療治療・・・・・
勉強は遅れるは、友達には会えないは、髪が無い事を馬鹿にされるわ
散々だ。
それが中学1年生まで続いた。
でも負けず嫌いだったから、頭が痛いくせに、体がだるいくせに
人の5倍くらい頑張って勉強してた。
そうしたら今度は操鬱になる・・・
はっきりいって、白血病の1000倍辛かった。
白血病なんてへでもないって感じだった。
私が私じゃなかった。
手が震えてた。自分がした動作を3秒後に忘れる。
全ての機能が低下し、心に悪魔が住みついた。
常に不安と恐怖だ。
みんな無くなっちゃえば。。地球が消えればノストラダムスの予言
だけが頼みの綱だった。
けど・・・・
私は生きることしかできなかった。
やっと少し落ちついてきたと思ったらさ
今度は虐待の事思い出しちゃうの。
そんで逆恨み呼ばわりされんの。
「いつまでお母さんを苦しめる気?」
とかマジで直に言われんの。
でも私には、体力も、気力も、お金も、支えてくれる人もいないの
でも生きてんの。
頑張ってるの。
どうしたら今日1日を楽しく過ごせるか、
どうしたら家族と言い関係でいられるか、
体調悪くてもやっぱ家事はちょっとしちゃうしさ
体調が悪いから外に出られないしさ
体が素にもどんないからさ
将来が不安だし
いつまでも 親のすねなんかかじってたくないし
したいこと いっぱいいっぱいい〜〜っぱいあるのに・・・
会いたい人もいっぱいいるのに
私は幸せなんだと思う。
だってちゃんと家もあるし、両親ともに元気だし、
う〜〜んお小遣いだって月8000円貰ってるし
わがままかな・・・
ふう・・・
ほんとはさ〜
もっと前向きなことかこうと思ったのに
何だか書いてて自分で泣けてきちゃった
でもね、わたしはさ大人じゃないからまだ精神的に楽だと思うんだよね
精神病で働けない大人は、社会の偏見や、自己嫌悪で辛いと思うんだ。
ものすごくね。
それに私は白血病になったのにここにこうして生きている。
生きているんだよ?
素敵じゃない?
亡くなった人達の分まで、頑張って生きなきゃって思う。
この前さ、遠い知り合いのひとがさ苦しんでるって聞いて
おおなきしちゃったんだよね。
深くは話せないけど。
虐待の事で苦しんで、頭パニックで
友達の家に保護してもらってるぶんざいでさ
触ったら崩れそうな精神状態なのに笑っちゃうよね・・・・
今私にできることはこうして日記を書きつづけること。
それから美味しいご飯を食べて、自分を大切にして
毎日何か楽しみを見つけて過ごす事。
困ってる人がいたら助ける事。
そうそう、この前東京に家逃げした時にね
道端で今にも死にそうな顔をしてうずくまってるおばあさんを見つけたの
顔に怪我してるみたいで、ただ事じゃないなって思った
凄い臭い匂いで、服装もホームレスっぽかったし
無視して通りすぎいちゃおうかって思ったんだけど
やっぱり声かけちゃった。
「どうしましたか?大丈夫ですか?」
って聞いたら
「あそこの角の食堂に生きたいの。それだけなの。つれてって」
って言うのね。うずくまって歩けないくせに。
「じゃあちょっと待ってくださいね。」
って言って、その辺のお兄さんを2人呼んで助けを求めた。
でも対応のし方が甘いんだよね。救急車呼ぶときはもっとはっきり大きい声で
的確な指示出さなきゃいけないのに。
私がかわって、場所とおばあさんの状態を説明。
東京だからね・・・10分くらいかかった。
そんで、隊員の人(女性&男性)ふたりかけつけてくれたんだけど
「救急車だけには乗りたくない」
って言い張るのね。そこで私が言った台詞。
「私が心配だから、お願いだから、ちょっとっだけ様子見てもらって
そのあとご飯食べようよ。ね?」
知らないうちにおばあさんの背中さすってるし・・・・
隊員の人が血圧耳で測ろうとしたら
「あんたらにはさわってって欲しくない!!機械は嫌だ!!」
っていうからさ〜
「私のおばあちゃんも同じの使ってるよ。ちょっとだけ我慢して。お願い。」
とかいってんの!!自分でもビックリ。
確かにおばあちゃんは「手首」で血圧はかってた(大ばあちゃん)
4年も前に亡くなったんだけど・・・
やっぱり、人の命って尊いもの。
生きてるって、凄い事。素敵な事。素晴らしい事。
あなたが生きているだけで、誰かの心の支えになってるかもしれないし
それを守ろうとする専門の人達が(医者や救急隊員)が何人もいる。
世の中おかしいけど、あったかいね♪
だから・・・生きて欲しいな。
♪♪♪♪♪
私は文章を書くのが相当好きみたいです。
なのでもう1つエッセイを追加します〜。
あたしが保育園や小学校低学年だったころのお話★
今日の朝窓をあけたらさ〜
冷たくってキュッて身が引き締まるよーな
ひんやりひらひらしたマントが私の部屋をとおってったんだよねー
ううん!!冬だな〜〜〜!!!
あたしが保育園のコロ
ジャングルジムの中の一番したで
焚き火ゴッコしたんだよね
小枝を何本か積み重ねて
そこにてをかざすのォ!!
あったかいはずないんだけど
なんかあったかいきがした(w
可愛いよねえ。。。
ぷぷぷ
あたしが保母さんになったら
一緒にやってそうだな〜
泥遊びとか
マフラーづくりとかさっ
それにしても今日は本当にいい天気!!
雲1つない青空っ!!!
こんな日に「魔女の宅急便」のキキに
なりたくなるんだよね〜
空飛べたら 気持ちいだろーな〜