最強の星の真下

2003年11月15日(土) 観劇。TPOについて。

劇を観に行ってきた。
テアトル銀座で現在公演中の、鴻上尚二演出『天使は瞳を閉じて』ミュージカル版。
10年・・・12年?ほど前に倫敦で公演した演目をミュージカルで再演。

10年前といえば、バブル期である。
その頃にこれをやる。・・・なるほど「アングラ」ならでは。メジャーでは出来なかろうなあ。
失礼ながら、そう感じた。
バブルもはじけ、政治も混迷し、凶悪犯罪が横行する世情不安の今ならば、こういう内容も大勢に受け入れられるかもしれないけれど。

一昔前に倫敦公演でこれを観た倫敦市民は、一体これをどう受け止めたのだろう?

いわば、「終末」と「パラダイス」が基調にあって、「小市民心理」をその上に乗せてあるような、そんな舞台である。

「ここではないどこか」に幸せがあるはずだと、「実は今持っている」幸せを自分の手で叩き壊してしまう人間達の話。かな。
上手く言えない。

登場する人達はみな精一杯生きている小市民たちで、泣いたり笑ったり苦悩したりしながら頑張っている。最後には滅びてしまうのだけれど。

良かった。
また観に行きたい。



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男友達と観に行ったのだが、待ち合わせに現れた友人のあまりの格好に少々閉口した。
学生時代から着ていると思われる草臥れたジーンズ、学生時代から着ていると思われる草臥れた綿シャツ(アイロンなし)。汚れたテニスシューズ。
TPOという言葉を全く感じられない格好である。

ピクニックならその格好でもいいかもしれない。
でもね。銀座で楽しく観劇して、その後はまあ近況報告でもしながらご飯でも食べようか、というスケジュールを前もって組んでいるのに、どうしてこういう格好で来るかなあ。
こちらは「愉しく観劇」用に洒落て行っているのに。
「非日常」を満喫しようというのに、どうしてこうも強烈に「日常」を持ち込んで、しかもそれに気付かないのだろう。

男性にはこういう配慮の全くない人、意外といる。男友達の中にも何人かいる。女友達でこういう配慮をしない人は一人もいないけれど。

この程度の配慮も出来ない人というのは、少々社会性に問題があるのではなかろうか。バンカラと無神経は違うし、無頓着には、それが許される年齢と許される程度というものがあるのだよ。
葬式にそんな格好で来る人はいるまい。それは葬式が「非日常」だからだ。
結婚式にそんな格好で来る人はあんまりいるまい。それは結婚式が「非日常」だからだ。

友人と会うのに、私はそれなりに服装や行く店をどうしようか考える。それは私にとって友人と会うのが只の日常ではなく「愉しみな行事」で、一種の「非日常」だからだ。
それなりに配慮する事は、貴方と会う約束を蔑ろにしていませんよ、貴方と会うのをとても楽しみにしていますよ、というサインでもあり、相手に対する敬意の表出であるとも思う。


友人だし今回は何も言わずに済ませたけれど、せめて、洗濯した時に乾燥まで長い時間が掛かると発生する細菌臭の付いた服を観劇に着てくるのは止めて欲しいなあ。
この人には今までも何度か、TPOに即した服装について意見したことがあるのだけれど。
いい加減そういった事に配慮しなくてはならない歳だろう、と思うのだけれど。馬耳東風ということか。

まあ仕方がない。
私は、観劇は「非日常」として愉しみたいので、次からは観劇に誘うのは止めておこう。
ちょっとこういうものには向いていないようだし。
劇を観ながらパンフレットを貧乏揺すりのようにちらちら動かしていたり、最後の拍手もお座なりだったり。
その割には「凄く面白かった」と言うけれど、とてもそうは思えない。口で言っていることと実際にやっていることが全然一致していないよ。
恐らくこの人はアウトドア向きなのでしょう。



今回ちょっと同行者選定に失敗した、というそういう話。


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桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

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