| 2003年11月06日(木) |
生に真摯であること。 |
携帯電話はJ-PHONEを使っているので、アドレスが変更になる。
毎日少しずつメールを書いて、新しいアドレスをJ-PHONE以外の携帯電話を使っている数人に連絡した。
「11/11から」と書くのを忘れた。しまった。
もしかして早速新しいアドレスにメールを出してくれて、宛先不明!とメーラーに怒られている友人がいるかもしれない。
・・・でもまた改めてちまちまメールを送っている内に11日になりそうだしなあ。それも間抜けだなあ。
まあいいか。やってしまったことは仕方ない。地道に「ごめんなさいメール」を書こう。 きっと「相変わらず桂蘭は」と苦笑いで済ませて・・・くれるといいなあ。
----- 先日、柳澤桂子さんの「愛をこめいのち見つめて」を再読。
生物学の研究者として素晴らしい発想と探求心を持って精力的に研究に取り組んでいた若い日に突然の病魔におかされ、その後ずっと辛い闘病を続けながら自分に出来ることを、と、ペンを取られている方である。 病気に倒れることさえなければ、この方の研究はどんな高みまで到達出来ただろうかと思うと、関係のない私ですらとても悔しい。周囲の方はさぞや無念だったのではなかろうか。
彼女の文章には「清冽」という言葉が似合うと、著作を読むたびいつも感じる。
これは病床の彼女と病床のお友達の手紙のやり取りを元に作られた本なのだが、お友達に宛てた手紙の中で柳沢さんは細胞の分化、分裂、癌化、癌治療の種類毎の副作用が起こるのは何故か、などをとても解りやすく説明してくれている。
患者として医療の現場に何を期待するか。 この本の主題だ。 まあしかし下手な文で内容についてここに書き出すというのも、上手く表せず却って歪めそうなので止めておこう。
どの著作を読んでも、主題よりも更に心に残るのは「真摯に生きる」「精一杯生きる」という事を自分に厳しく課している彼女の、その気迫と、枯れることのない科学への情熱だ。
ピンと背筋が伸びる思いがする。
疲れた時。投げ遣りな気分の時。無気力に陥りそうになった時。 「いや、もうひと頑張り出来るはず」と思う。
もう少し頑張ろう。
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