眼鏡が壊れた。7年間使っている眼鏡だが、今回初めて壊れた。 ・・・というか、生まれてこのかた眼鏡が壊れたのは初めてではなかろうか。
ツルのヒンジ部分が金属疲労で折れた。 あ!ヒビが入っている!と気付き、そっと扱っていたのだが、ヒビが大きくなったのか、眼鏡を掛けていても片側だけ下がってくるようになったので仕方なく眼鏡屋さんに持って行った。 お店のおじさんが拡大鏡で観察した後で眼鏡を箱に置いたら、目の前でじんわりと片側のツルの歪みが大きくなり、ぽとっと。ツルが落ちた。 椿の花が落ちる時って、こんな感じかもしれない。
それにしてもまさか金属疲労でヒビが入って壊れるとは、購入時は思いもしなかった。 縁なしだし、落として修復不可能なまでに歪めるとか、眼鏡をしたまま寝て壊すとか、そんなシチュエーションは考えたけれど。 やはり縁なし眼鏡のツルは支えポイントが少ない分曲がりやすいから、金属の負担が大きいのだろうか。
眼鏡を修理に出した。 しかしいつも眼鏡を掛けているわけではないので、換えの眼鏡を持っていない。 壊したことないし。 新しい眼鏡を買うのは、度が変わった時だけだったし。
修理が終わるまで眼鏡なしだ。
それで日常生活は困らないのだけれど。 仕事の時はたいてい眼鏡を掛けているので、無いと少々不便だ。 まあ眼鏡が頭痛の起因になることが多いので、眼鏡を掛けないというのも、それはそれで楽なのだが。 仕事の効率は少しだけ落ちるだろう。
また眼鏡の修理で仕事の効率が下がるのは嫌なので、予備の眼鏡を購入することにした。 今まで予備の眼鏡を買うなんて頭にも浮かばなかったのに、仕事が絡むと即座に手を打つあたり、私も少々ワーカホリック気味かもしれない。
店頭に沢山並んでいる「ブランド物」とやらの眼鏡ならすぐに調整して引き渡せる、という話だったが、流行の形のものばかりである。 最近流行の小さくて横長丸の形のレンズは、私は好きではない。 大体、似合わないし。いや、似合わないことはないかもしれないが、顔の印象がきつくなるので嫌だ。 今の眼鏡ではどちらかといえば眼鏡で顔の印象を和らげる事を期待しているというのに、逆効果は勘弁して欲しい。
全く、なんでこう揃いも揃って同じような形にするかな。 大量生産品なら同じ形にすることでコストが下げられるという利点があるし、仕方ないかもしれない。が。 「ブランド物」とやらはそれぞれデザイン屋が違うはずなのに、同じような印象の形ばかり市場に送りだして、デザイン屋として恥ずかしくないのか? プロ意識は刺激されないのか? それが日本の装飾市場というものなのか? 顔の形は千差万別だし人によって似合う眼鏡の形も千差万別だろうに、同じ形の眼鏡ばかり売ろうとするとは一体どういうつもりなのか? 選択の幅が少ないというのは、文化が貧弱な証拠ではないのか?
・・・と、まあこんなことをぶつくさ心の中で呟き、「換えの眼鏡をすぐ入手」という選択肢をさっさと消去した。
今使っている眼鏡はHOYAの受注生産品である。 7年前に、当時収入の少なかった私としては清水の舞台から飛び降りる思いで、大枚はたいて購入したものだ。 以前、とある地方の眼鏡屋さんで見掛けて気に入った形状で、その後2、3年ほどあちこちの眼鏡屋さんを探してようやく見付けたお気に入りの眼鏡である。 受注生産品のせいか、当時はあまり店頭に置かれていなかったらしい。
レプリカだけれど。あの買い物で、当時4ヶ月くらい掛けてちまちまと貯めた「余剰金」が消えた。 本物は金属部分が18金で出来ていて、とてもではないが今でも買えない。 眼鏡に支払う金額とは思えないからなあ。 いつか成金になったら買いたい。
まあとにかく、気に入っている眼鏡なのである。
それがなんと。同じシリーズが今も作られ続けているのだ。 私が初めてこの眼鏡を目にしてからでも10年は経っているだろう。 HOYAも、よくまあ今までずっと同じシリーズを作り続けてくれたものだ、と思う。受注生産だし、いわゆる「ブランド物」でもないし、そんなに数が出るとは思えないのだが。ありがとうHOYA! 息が長いのは、それだけこのシリーズが彼らの自信作なのかもしれない。 企業はこうあって欲しいものだね。うん。
そして今の眼鏡と同じフレーム、同じ形のレンズを、色違いで注文。
・・・いや、本当は全く違う眼鏡にしようかな、もう一つは縁ありの眼鏡でもいいな、と思っていたのだが。 「流行の形」のレンズばかりで、試着する気も起きなかったというのが正直なところだ。
いいんだ、別に。同じので。
新しい眼鏡の出来上がりは10日から2週間後。 修理は1週間で出来るらしいから、この1週間は眼鏡無し。
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