最強の星の真下

2003年04月28日(月) 自戒。

今日は道徳の時間なのである。



同じ部署に、あからさまな胡麻すりさんがいる。
40代のオジサン。
とにかく上の役職の人に媚びる。ご機嫌を取る。媚びる。ヨイショする。媚びる。猫撫で声で胡麻をする。媚びる。

それでも仕事が出来れば、「まあ人それぞれ組織での身の処し方は違うものだし、それはそれでいいんじゃないの」と思いもしよう。仕事が出来ればね。

ところが仕事はお粗末。自分の職務内容を把握していないのが私の目にも歴然で、一体その歳まで何をやってきたのかと唖然とする。

こういう人が目の前にいると、「胡麻を摺って擂り鉢磨く暇があったら仕事を覚えろ己を磨け!」と言いたくなってしまう。

しかも胡麻の摺り方が誰から見てもあまりにあからさまで、周囲からは軽蔑の眼差しで見られている。

そこまで胡麻すり人生を貫くのなら、せめて上手い胡麻の摺り方くらい学習してもいいのではないか?

何というか、あまりにも不器用な身の処し方で、気の毒ではある。
しかし、そこになんとはない卑しさも漂っているので、同情する前に目を背けたくなるのだ。




自分を客観視する視点って大事だなあと、思う。
自分を外側から観察する視点を持っていなくては、向上、改善の努力も出来ないのではないか?

この40代オジサンの場合は、自分の行動が周囲に「えげつない」と思われているかもしれない、という外側からの視点が全く無いので、胡麻すりスキルの向上もない訳だ。


自分を冷静に外から眺められない場合、「これはこうだったから仕方がない」とか「この時はこういう事情だったから仕方がない」と自分の弱点を自己弁護して満足し、弱点を弱点と認めずに済ましてしまうことになるのではなかろうか。
或いは、弱点の存在にすら気付かないかもしれない。

「弱点が無い自分」という自分像は、とても気分の良いものだ。
自分は完璧で、いつでもどんな時でも他人の方が間違っている。
自分の説は完璧、正論で、他者の言うことは屁理屈、戯言である。

・・・でも、そんな事は、有り得ないのだと思う。
誰でも、どんな説も、どこかが正しくてどこかが間違っている。誰かにとっての真実であっても、その他の人にとっての真実ではない。
誰でも、どこかが強くてどこかが弱い。



醜い自分は嫌だから。卑しい自分は嫌だから。
「弱点が無い自分」は無理だけれど、せめて「弱点の少ない自分」を目指したいから。

自分をきちんと見られる眼を、日々養わなくては。継続は力なり。


・・・何と言っても先日偶像の自分像が破壊されたばかりだ。
自分の事を棚に上げて他人の事を論っている暇があったら、己を磨け。
身近の反面教師に感謝して、我が身を省み粛々と努力しよう・・・。


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桂蘭 [MAIL] [深い井戸の底]

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