2024年10月11日(金)
* この年齢になってみて気づくことの多い! 付かず離れずをモットーにしていることもあり、人間関係に囚われることが 少ない。これは学生時代に25室のシェア・ハウス的な寮にいたことが大きい。 500坪の屋敷に9の字のように庭を囲んだボロ平屋。そこは早稲田の事務 の理事をしている50歳代の夫妻。姉妹の4人家族の屋敷。早稲田大学に 近い野鳥が鳴き渡る閑静な住宅地。九州から福井、福島、秋田、新潟などの 出身者/// 平屋で、9の字の折れたところが炊事場に、両端にはトイレが。 ・・・兄弟が4組も居て、和気藹々とした空気感があった。苦学生が多くて、 早稲田騒動もあり、殺伐としていたが、映画に出てくるような、学園生活 があった。 政治家の子息が何組か存在していたが、左翼的な学生はホボ零。 自室で真面目な読書三昧という空気があった。教養課程のアパート暮らし の同級生にとって、それは羨む環境だった! しかし早稲田闘争の殺伐とした、空気感が確かに存在していた。 三食は自前で、近くの肉屋と、八百屋でキャベツと白菜、を買込み、 その日暮らし。それでも、明治生まれの節約暮らしの御陰で、何とことは ない。男やもめ暮らしを楽しむ精神は、充分にあった。40歳の頃、同居していた母親と、家内が欧州旅行をしている間も、それを楽しむ余裕があった。 途中で、子供が寂しさのあまり、グズるのを叱りつけて、何とか乗越える 余裕があった。 それも昼間にお手伝いのオバサンが下地を整えてくれた こともある。確かに商売屋の生活は大変だが、日々が非日常。日常は、 そうそう続かないことを肌身で知っていた。良いことも、悪いことも、 続くことはない。変化が日常で、最悪も挟み込むこともである。八十年 近くの娑婆で、辛いことが多々あったが、その数倍は良いこともあった。 毎日は変化、変化の日々が自然・・・ ーー * ほらきた! 心筋梗塞の定期診療で、「この治療は、何時まで続くのですか?」と 担当医に聞いたところ、『ほらきた!』とばかりに、『ズーとです」の返答。「悪くもなく、予兆も出ず。このままです!ある日に急に死ぬというのも なく、悪くなるといいうのもなく、そのままです。これが、この病の特徴です。」 ああ、そうですか?と、何やらタブラカサレた感の宣言。まあ、仕方が 無いという老人病と言うこと・・・?
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