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2010年01月31日(日)
* あなたと出会って良かった ! 昨日は高校の同級生の葬儀。 150人位の参列者で、同級生は15〜6人位。 通夜は11名で、通夜と重なっている人をならすと22〜3名。 それぞれが背負って生きてきた人生の全体が 垣間見えるのが葬式である。 高校の同級生の葬式といえば、次は誰かと互いに詮索し押し付けあうのが恒例。 ところで葬式で、火葬場の最後の別れの場面が人生模様の圧縮が表出する。 実は、この場面の立会いが好きである。 悲しみと同時に故人と家族の愛が全体を包むからである。 故人の奥さんの絶叫が涙を誘った。 御棺の顔部分の蓋を閉めるとき、奥さんの声が聞こえてきた。 「あなたの奥さんで良かった! 幸せな人生でした。 ありがとう。ありがとう。ありがとうございました。 ありがとう。ありがとうございました。」と。同時に家族全員が号泣。そして娘さんが遺体を焼却炉に入れる直前に、 「いや、入れないで!」と絶叫。 これまで、数かぞえ切れないほど、その場面に立ち会ってきたが、 これほどの感動的な悲しい場面は初めて。 会場の殆どの人が涙を流し、立ちすくんでいた。 奥さんと家族の感情が自然に堰を切ったように出たのである。火葬場からの帰りのバスの中でも涙が止まらなかった。 自分の家族に、果たしてこんなことを言ってもらえるだろうか。 無いだろう! ところで、本人の死に顔は気の毒なほどやつれていた。 すざましい苦痛との死闘があったのだろう。 ご冥福を! ・・・・・・・・ 2009年01月31日(土) 2858, 人生を振り返り、俯瞰してみると −2 63年を振り返ってみると、人生は自分しか歩けない一本道ということがわかる。 その時節ごとに、それぞれの時代背景があり、その度に色いろな人との出会いがあった。 その時どきには、それが全てに思え、またそれしか見えなかった。 前回書いたように、それぞれの年代を上から下へと断層面として眺めると面白い。 断層面としてみると俯瞰がしやすいのである。 「父が現在の私の年齢の時には私が22歳。 そうか父は私を大きな期待と不安を持って見ていたのか!」とか等々。 十年単位の断層を見ていたら、「私の周期は9年」ということが見えてきた。 9,18、27、36、45、54、63歳である。 この時期に大きな節目になっている。 これからすると、次は72歳になる。もしかしたら、あの世への御門が待っているか? それとも今年? ーところで、人生をビルに例えて階層を重ねてみたら解りやすい! 屋上ー 8階ー80歳代以降は、一日一生で、毎日を味あう時期。 7階ー70歳代は、人生の整理の時期に入り、全てをシンプルに変えていく時期。 6階ー60歳代は、人生の豊穣の時で、それまで出来なかったことを新たに始める時になる。 5階ー50歳代は、大きな人生の回り角、競馬でいうと第三コーナーを回って直線に差し掛かる時期。 4階ー40歳代は、人生の八割がたが決まり、一息つけるが胸突き八丁でもある。 3階ー30歳代は、それまで蓄積した全てを創造に向けて吐き出す時期。 2階ー20歳代は、泥まみれになりながら、社会人としての基礎を身に付ける時期。 1階ー10歳代は、スポーツと勉強を通して、選別されていく時期。とにかく、学ぶ時期。 それぞれにフロアーは一年一年ごとの10の回り階段になっているとイメージすればよい。 地下は母親の胎内?、それとも姉・兄? 基礎構造は家庭、そして祖先。 だから家庭は大事になる。 しかし相方との長期の相性は、実際のところ5分5分だから難しい。 相手の家庭を見れば、絶対に止めておいた方が良い人は分かるが。 ・・・・・・・・・ 2008年01月31日(木) 2493, 読書の腕前 −1 [ォハヨ]○o。(>ε<☆)ノ 「読書の腕前」 岡崎武志著 ー 読書日記 面白そうなところを何箇所、書き写してみた。なかなか含蓄のある読書論であり、何度も肯いた。 ーー 川面に多くの舟が漂っている、私たちはひとりひとりが違う舟に乗って流されている。 中には錨を下ろしている舟がある。川の流れを時の流れ、舟を人生にたとえたらいいだろうか。 そして、本を読んでいる時間は、動かぬ舟の中で、川の流れを感じるようなものだ。 川は永遠に流れていく。水がある限り、流れることをやめようとしない。そんな悠久の流れを、 ひととき止めたりを舟の中で感じる。本を読むということは、そういうものだと思っている。 ーー 飯島耕一が「何もつよい興味をもたないことは /不幸なことだ /ただ自らの内部を /目を閉じてのぞきこんでいる。/ 何にも興味をもたなかったきみが / ある日/ ゴヤ のファーストネームが知りたくて / 隣の部屋まで駈けていた。」 「生きるとは / ゴヤ のファーストネームを/ 知りたいと思うことだ」 ーー 読書に費やしたこれまでの膨大な時間を、もっと別の有意義なものに置き換えられなかったのか。 そんなふうに悔やんだことは一度もない。一度もない、といま気づいたことに驚いている。 ほんとうに、一度もないのだ。そうして生きてきたのだ。だから、明日からも同じように生きていく。 ー― 「本を読むことで得る大切な収穫の一つは、他者を知ることだと思います。」色川武大 「読書の楽しみの一つは、私にとってこの他人を生きること、他人になれる喜びかもしれない」遠藤周作 「僕は本を読む労働のための忍耐力をつちかったのである」大江健三郎 本は膨大な人間のモデルを提供してくれる。しかも、相手の忖度を気にせず、 思うまま、自由にそのモデルと触れ合うことができるのだ。 ーー 田辺聖子が読書論の中で、「もし出世と引き換えに何をとるか、ということになったら、それは何か」と、 同年代の友人たちと、あるとき話題になった。さまざまな意見が飛び出した。 いい女房を持つ、硬骨に生きる、世間を捨てて山頭火になる・・。 しばらくして、誰かがしみじみ言ったことに、みんながうなる。 「出世せんでもええ、毎日読みたい本を読んでたのしく暮らせたらええなあ・・」 −− 以上だが、今のところ読書が人間にとって、一番良い習慣である。最近はインターネットという トンデモナイ手段が出てきたが、それでもジックリと他者と対話が出来るのは本である。 この本も、直ぐにアマゾンの中古本を発注したが、まだまだ面白い箇所が多数ある。 バイ(´・ω・ ーつづく ・・・・・・・・ 2007年01月31日(水) 2129, 熟年離婚とセックス Σ(≧д≦)LOVE オハヨウ! 図書館で借りてきた昨年の「文藝春秋・11月号」に、「熟年離婚とセックス(千人調査)」という特集があった。 55歳あたりから急激な精力減退を実感し、歳を重ねるほどに後退?当初は自己存在の喪失の感覚になりかけて 焦燥感になったが、今はバイアグラの力を借りて・・何とか? (●?∀?))ヾ☆*。 こういう話は、気心が知れている人に酒を飲んだ勢いの時にしか聞けない。 といって、下ネタは具体的な話をしてはいけないという男の暗黙のルールがある。 「実際のところ同年代は?」と思ってところ、千人調査のアンケートというから丁度良いタイミングであった。 少し際どい?が、男にとって切実の問題である。このレポートの概要を主観をこめてまとめてみた。 ー調査対象が1947~1951年生まれの男女500人ずつを対象に調査ー (*′з(’Д`●)・:*:・ ・性生活が全くないが、何と52パーセント。年数回が17、5?。 月一が11?。 月2~3回が11?。 週一以上が8,6? 全くない人が半分いる反面、月一以上が3割もいる。なるほど! ・相手が 妻が85?、特定の妻以外の人、12?、不特定が3?。 ・不倫に関しては、83?は無し、過去にいた9?、現在いるが8?。 やはり男が20?と高く、女は6?。収入の額が高くなるほど、不倫の率が高い。 年収1千万以上の男性の三人に一人がしているのに対し、150万以下では、4?になってしまう。 それなりの収入ができると 助平根性がでるようだ。 ・寝室別室が35?。 ・自愛(マスターべション)は、男が過半数を超えた54?、女性はその三分の一以下になる。 −− この世代は、性や恋愛に対するタブー意識を破ってきた性解放世代。 といって、本当に恵まれていたのは都会の文化エリートか、不良といわれた(性の方だけにエネルギーを絞って) 社会的に頓挫した両極端だけの人たち。その世代より一年上ということで、私の同年代は団塊世代の露払いとして、 「競争が少ない幸運?」に恵まれてきた。特に男はその対象が団塊の女性のため、男一人に女がトラック一杯という 需給のバランスで恵まれていたはずだったが・・実際は?、やはり恵まれていた!? 少し年代が下とはいえ、3割が毎月一度以上あるというし、半分以上がセックレスというのも驚きである。 まあ、三分の一辺りというところ? ハイ! 『で、どうした』 「少し安心しました!」 『ほれで?』 「黒田節を思い出しました」 『何、それ?』 「使わないと錆びますと!」 (。・ω・。)ノ? バイ ・・・・・・・・ 2006年01月31日(火) 1764, 袖に涙のかかるとき・・ 「袖に涙のかかるとき」と検索をしたところ次のHPのコーナーに行当たった。 リハビリに励んでいる人達の「名言・名句」だから深く魂に響いてくる。 深い心の底から、人間を、 健常者では知りえない世界を、見つめている。そして「生きている、それだけで素晴らしい!」ことを知っている。 実際に絶望の淵に立たなければ、その言葉の奥行きは解らない。 −− あるHPの ー心に残る名句名言集ーより リハビリに励んでおられる患者さん、家族の皆様から寄せられた ”心に残ることば”を「名言・名句集」 としてご紹介いたします。 同じ障害をもった皆様に、これらのことばが少しでも励みになることを念じております □病気になってみえてくる一番大切なことは、人間の生命が生きてそこにあることが実に不思議な、 貴重なことだと気づくことである。 (西江孝之) そうです。生きているってこと自体がすごいことなんですね。これからは、 生きていることに感謝してまいります。 □言う言葉がないから、よく家内に頑張れ頑張れって言っていたが、失語症なった多くの人達の場合は、 実は見えないところででも頑張っている。 (西江孝之) 私もつい「頑張れ!頑張れ!」といっていました。そんな自分を恥ずかしく感じました。 □君は看よ。双眼の色。語らざれば憂い無きに似たり。(良寛) ことばはでないけれど、主人の表情はとってもすてきです。 字数の関係でカット(2008年01月31日カット) −−− 名言、名句に対するコメントも味わい深い! そして全ての名言・名句が深く心を揺り動かす! 誰もが病に倒れしみじみと、この言葉を味あう日がくる。 そして、如何に人生の表面しか生きてなかったことを思い知ることになる。 他人事ではない! 健常の今日という日々を噛みしめて生きなくては! ・・・・・・・・ 2005年01月31日(月) 1399, NHKと朝日新聞 昨日の朝日新聞の天声人語が時期が時期だけに、少し際どい?内容であった。(後でコピー) 「政治的圧力の有無の報道の件」は、誰がみても朝日新聞の方が正しい。 予算承認という伝家の宝刀を自民党が持っていて、その時の権力者が口を出すのは当たり前。 と言って、修正前の番組内容も酷い偏向内容だったようだ。問題は、政治的圧力をかけたことが悪い。 しかし今は時代が変わってしまった。自民党の権力ボケどもが陰で左右しようとしても、今回のようなことになる。 -字数の関係でカット(2008年01月31日カット) ・・・・・・・・ 2004年01月31日(土) 1032、「リクルートのナレッジマネジメント 」 ー読書日記ー1 図書館で、この本を買ってきて読んでみて、さっそく会社で3冊を買った。それだけインパクトの強い内容であった。 現場からの視点でつくりあげたイントラネットの一つのカタチとしての 凄みを感じとることができた。 「普通の会社なら、3日で首でしょうね」と役員がいっていたのもうなずける。 サブタイトルが「やれるものなら、やってみな」もよい。 下の子供が勤めている外資系の会社のホームページに、 丸ビルにある本社の事務所の写真が何枚か貼り付けてあった。優秀事務所デザイン賞と書いてあった。 机と椅子とノート型パソコンがあるだけ。 ペーパーレスだけでなく、個々人のセクションのコーナーがない。 正月に帰省してきた息子に、「自分のデスクは、どこまで昇進したら もらえるのか」と聞いたところ、 「取締役」だという。 全てはコンピューターの中なら、自分の机など必要がないのだろう。 ナレッジマネジメントも、現場の知恵・情報の蓄積と活用を中心にしたものと、経営戦略を中心にしたものがあるが、 この本は現場の情報や知識の活用を中心にした内容である。 以下はインターネットで検索をしてコピーした。 これだけでも、何回も繰りかえして読む価値は充分ある素晴らしい内容だ。 限りなく金髪に近い茶髪の女、森本百々子が 営業がよろこぶために必要なものはナレッジだったと気づくまでのこと。 ・・・・・・・ 2003年01月31日(金) 667,「成功する読書日記」-読書日記 ー読書日記帳の基本パターンはー 「成功する読書日記」 著者 鹿島茂 ーこの本の引用とレジェメー これに、書き込んでファイルに溜め込む。大学ノートに一冊読んだごとに書き込めばよい。 引用やコメントは初めは無理して書なくてよい、そのうちに自然と書き込むようになる。 とりあえずこれを続けることに意味がある。 ・量がたまってきたら,しめたものである。 ・その為には無理をしないで、事務的に書き続けることだ ・遭遇時情報も大事である。新聞で見つけて買ったとか、図書館で何時借りて何時返したとか。 ・その評価の☆とりも大事の一つ ・レジュメー特に自分がここが印象的という主観でよいから書き留めることー写す ・本選びは、自分の気に入った本屋を数軒決めて、定期的に行くこと。図書館もだ。 ・トイレ、書斎・居間・通勤電車などの本を、そのつど決めておく ・飛ばし読みOK これを続けていくと、たんに読んだ本を書きとめているより、むしろ「収集」しているのではないか という感覚になる。ある程度の量になるとそれがジャンル別になってくる。 そうすると体系化への志向が生まれ、 それ自身が意思を持ち始める。コレクション的になってきて喜びが生まれてくる。 読書日記や映画日記を続けていると、何時しか、コレクションが「開かれる」という現象が起こってくる。 一つに集中していたジャンルに、ある日そこに夾雑物が混じりこんできて、その夾雑物が次のジャンルを導く。 これが繰り返されて色々なジャンルができると、ジャンルそのものの比較検討が可能になる。 SF小説、冒険小説、推理小説、時代小説などなど。そのジャンル相互の類似と差異が目に付くようになる。 そして「小説」そのものについて、批評意識を抱くにいたります。 量がある域を超えると、「質」という問題を意識にのぼらせる様になる。 この量を超えて「質」を掴めたということは,そのまま「抽象」を行ったことを意味する。 「量」というのは、思っているよりはるかに重要である。これを軽んじるものは「質」で躓く。 「量」をこなしてない批評家は信用できない。随想日記を書き続けていて、その感覚は解る。 理想をいえばー 自分では一切本を持たないで、図書館の本を徹底的に利用することである。 図書館から借りてきた本から必要部分をすべて引用しておき、読書ノートを書庫代わりにすることだ。 但し図書館がすぐ近くにあることが条件だ。 ーコメントー 以上が大体のこの本のレジェメだ。これを読んでいて、私の旅行に似ているのに驚いた。アフリカ大陸、 ユーラシア、南米、インド・シルクロード、オセアニア、イスラム世界といつの間にかジャンルができてしまう。 そして今度はどこのジャンルのどこにしようかという見方で選択を始める。そしてジャンルー南米とアフリカの 類似と差異を見たり、アフリカだったら、ケニアとタンザニアの差異と類似が見えてくる。 その為には、とりあえずある量ー回数をこなさなければならない。 この本を読んでいて、何でこれだけ量を読んでいながら読書日記や映画日記をつけなかったか今更悔やまれる。 こういう本の存在を見つけられなかったからだ。実際に何回か挑戦したが、ノートに引用しているうちに、 書く事に気をとられてしまい、そのマイナスが大きく足を引っ張ってしまった。 でも、読んだ本と、著者、出版社、買った動機、借りた図書館、日時位とちょっとしたコメントは書けたはず。 この習慣は必ず身につけることを誓う!! ・・・・・・・ 2002年01月31日(木) 317,あだ名 中学の同級会に出るとは、男は全員あだ名で呼び合う。私は「ハチ」である。小学校は「八ちゃん」である。 ある男が「よく巧いあだ名をつけるもんだ」といった。全くない男が「今考えると、あだ名をつけて貰ったほうがよかった」 そして特に、「おいら」というあだ名の話題になった。無口の愚直の味のある男で「おいら」というあだ名がピッタシ。 誰がつけたという話になった。無口の男が重い口を開いた。おいら「おい堀井お前だ!」 私「エー!・・・嘘だ!」 おいら「中学の一年のときの、皆既日食の時、理科の時間にしき版に墨を塗り、それをとうして見ようとした。 うっかり落としてしまったのをお前が拾い‘落ちてるぞ、誰んだ?’と聞いた。思わず‘おいらんだ’と言ってしまった。 堀井がその時‘おいら’とつけた」全く忘れていたが、それを聞き記憶が戻った!40年の記憶が一瞬で戻る快感であった。 しかし、その人にとってトラウマー心の傷?ーで残っていたのだろう。 罪なことだ? 参考のため同級生のあだ名を他に挙げてみる「カボ、ボラ、せ〜の、六角・・・」 考えてみれば「ハチ」と言われることが一番いやだった。あの年ごろは一番気位が高い。 ・・・・・・・・・・・ 1月31日 金曜日 1969年 8時に起床。起きるのがやっとであった。最後の授業の人事管理である。武沢先生の授業はこれでおしまいである。 ゼミの高木と喫茶ウィーンに行く。彼はこのところ角が取れてきた。面白い奴であった。スウェーデンに恋人がいて、 一緒にヨーロッパに行ったとき別行動で彼女の家に泊まってきた。その後、どうなったか聞いてないが、行動力は凄い。 午後はゼミ。私の人生の最後の授業である。途中、川崎がきて頼んでいたコピーを置いていく。 武澤先生が比較社会主義的発想と問題中心主義的発想について語られた。面白い内容でよく理解することができた。 これで終わったのだ、ああ素晴らしい学生時代が!感慨無量であった。 これからは、いままで培ったものが全て試されるのだ。それを前面に出して発揮しなくてはならない。 面白そうな反面、友人達との別れも辛いものだ。一歩足を出す為には、捨てるべきは捨てなくてはならない。 栄光の未来と前途に行こう!さて、今日は事務管理しかできなかった。明日は価格理論と事務管理である。 予定として、10時起床、2時まで人事管理。15時から18時まで人事管理。
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