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2010年01月30日(土)
* アメリカの持つ魔法の財布 文藝春秋の2月号の三国陽夫(三国事務所代表)の ー「黒字亡国」から抜け出そうーが、考えさせられた。 【 円安で、輸出黒字でドル資産226兆は帰ってこない。今こそ「ドル支配」を脱せよ! 】という論旨である。 アメリカは輪転機でドルを刷り、日本は汗水を流して製品をつくり、アメリカに輸出する。その支払金のドルは、 支払われるが、再び本国に還流される。何時か、そのシステムが崩壊しても、損害を被るのはドルを持たされた国。 効率からいえばアメリカの方が効率的。これからみると、日本はアメリカの奴隷国家でしかないのである。 〜〜 ≪ 日本メーカーが、自動車をアメリカに輸出すると、アメリカの消費者はドルで代金を払います。 日本のメーカーは国内で従業員の賃金を払ったり、仕入れ代金を決済しなければならないので、円が必要となる。 そこで日本の銀行にドルを売って、円を手に入れます。この段階でメーカーの帳簿上では輸出代金の決済が 出来たことになりますが、じつは国全体で考えると、決済の実態は完了していないのです。 本来であれば、ドルを買った日本の金融機関は、為替市場でドルを売って円に替えます。 ところが、日本は一九七0年代から恒常的に輸出が輸入を上回るようになったため、市場では輸入のために払った円より、 輸出して受け取ったドルの方が多く出回っています。 量の少ない円と、より多いドルを交換しようとすれば、 必ず円高になってしまいます。 すると外需依存型の日本経済にとっては不利になるので、ドルを持っている金融機関は、 円に替えずにそのままドルとして持ち続けます。ドルであれば投資先として数多くあるし、機軸通過ですからアメリカ以外の 国へ支払いも使えます。 二〇〇八年のデーターでは、輸出額から引いた貿易収支、サービス収支、海外資産の受取金利から 負債の支払利子を引いた所得収支など、これら全てを合わせた日本の経常収支は、年間十六兆円の黒字です。 こうした日米の収支の不均衡は、本来ならば為替レートが変動することによって調整されるはずでした。 円高ドル安になれば、アメリカは輸入を減らすでしょうし、逆に日本は割安感の出てきたアメリカ製品の輸入を増やす。 そうして輸出と輸入が均衡するまで円が高くなるはずです。ところが、アメリカへの輸出を減らしたくない日本は、 円安を維持するためドルを持ち続けた。 そればかりか日本は市場でドルを買い支えてきたため、さらに多くのドル資産を 保有するはめになってしまいました。 その結果、累積した日本の海外純資産は、二〇〇八年末の段階では二百二十六兆円にも 達するものの大半がドル建てです。 この黒字分を円に替えず、ドルのまま放置しておくのは、言わば掛けで売った品物の代金を、 そのまま取引先に預けているようなもの。 いくら売り上げがあっても、それを回収して現金を入手しなければ、 どんな企業であれ、資金繰りが詰まってしまう。それは国でも同じことです。・・・・ ≫ 〜 資本を海外に輸出することは、「お札の詰まった財布を相手に渡すようなもの」である。 その金を、サブプライムローンなどの債権と証するものと、交換するのだから、どうもこうもない。
・・・・・・・・ 2857, 人生を振り返り、俯瞰してみると −1 2009年01月30日(金) 人生を振り返り、俯瞰してみると (似たようなことは何回か書いてきたが再び・・) 0〜9歳は、家庭では躾、学校では集団生活の決まり事を刷り込まれる時期。遊びと学びの基本を学ぶ。 10歳代は、スポーツと勉強を通して、選別されていく時期。とにかく、学ぶ時期。 20歳代は、泥まみれになりながら、社会人としての基礎を身に付ける時期。 30歳代は、それまで蓄積した全てをそれぞれの創造に向けて吐き出す時期。家庭づくりも、創造になる。 40歳代は、人生の八割がたが決まり、一息つけるが胸突き八丁でもある。 50歳代は、大きな人生の回り角、競馬でいうと第三コーナーを回って直線に差し掛かる時期。ゴールを意識する。 60歳代は、人生の豊穣の時で、それまで出来なかったことを新たに始める時になる。余白を埋め始める時期。 70歳代は、人生の整理の時期に入り、全てをシンプルに変えていく時期。 80歳代以降は、一日一生で、毎日を味あう時期。 大まかに10年ごとに意味づけをすれば、こんなものだろう。(私の場合は9年だが、それは次回に書く。) 大きな分岐点は、それぞれの人によって違うから、あくまで目安である。 この中で一番大事な10年間は、50歳代ではないだろうか。 時期的には42歳の厄年だが、 社会的、精神的な要素を含めると「50歳の時点が、人生の折り返し」だろう。 平均寿命の80歳を大きな目安とすると、そこまでの30年の最初の10年が最も大事になる。 50歳頃に読んだ曽野綾子の書に「人生の美味しいところは60歳まで」というのを読んで焦った。 「エッ、あと十年しかないのか、人生の美味しいところは!」と。「それでは十年で何をすべきか?」 ここを充実させておかないと、人生を後悔することになる。 要は何を捨て何を取るかである。 もともと捨てていた世間様の付き合いを更に一歩踏み込んで捨て、好きなことを徹すること。 そして新しい世界を開拓することであった。 捨てるのはマイナーな人間関係。 新しい世界はパソコン・インターネット、色いろ違った分野の読書。徹するのは、異郷、秘境ツアーである。 結果からすると50代前半が異・秘境ツアーに集中。 後半が読書とインターネットと載せる文章書きである。 結果として正解だった。 50歳までに人生の元を取り、60歳までの上乗せが充実感で残った。 せいぜいプチ・ブルレベルとしてもだが。 人生を全体からすると20歳までが大事だが、全てが人生である。 「一日一生」「一期一会」「べきことを、べきときに、べくすべき」とは、良くいったものだ。 ーーーーー 2008年01月30日(水) 2492, 無くてはならぬもの −3 * ? 惜しみなく愛の悦び! 自己を愛するがごとくー 愛の実存的条件 ー ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ] P−72 他者を愛するといいながら,けっきょく私たちはいつでも自分を愛しているのではないだろうか。 もっときびしく言うならば、人間はけっきょく自分を愛することしかできないのではないだろうか。 人間にとって愛は多かれ少なかれ悲劇的性格をおびているが、それは私たちが自分しか愛することができないからだろうか。 そこで私は、あの、イエスの決定的言葉に立たされる。「自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ」 イエスは決して、「自分愛さないで」隣の人を愛せよとはいわなかった。 「自分を愛するように」隣人を愛せよといったのである。そんなことが私たちにできるだろうか。 (字数の関係でカット2010年01月30日) ・・・・・・・・ 2007年01月30日(火) 2128, マンションについて考えてみる (~Q~;) おはよう〜〜 ファ〜 建売にしても、マンションにしても、買う場合の最低の知識が必要である。 といって、それが解れば苦労はない!自分の頭で考えるしかないが、それでも少しは知っていれば、 誰かのように「アパ」から三室も買わないで済んだろう。そこで私の経験から更に「アパ・マンション」と 「マンションの買い方」について更に考えてみる! 何事でも商品である限り荒利を得るのが企業活動である。 当たり前のことだが、まずそこが問題である。それは悪いことではない、商品価値を買うのが顧客だからだ。 アパのマンションが全てが決して悪いとは言えない、むしろ理屈から考えてみて、価値としての理に適っている。 ・バブルで暴落した駅周辺の良好の土地を格安に仕入れ、 ・建設業者を徹底的に叩いて低コスト・低プライスにして、 ・現在の時代感覚に合致したセンスの、 ・広いスペースのマンションを提供しているのは素晴らしいことである。 だから、それが消費者に支持を受けて時代の寵児になった。 しかし問題は合法・非合法にしても、 10~20~30年の時間が経過した時に、それが耐ええるものかどうかということである。 長期的理念があるかどうか、この会社が数十年続くかどうか?も重要である。アパの場合はどうも、 この辺になると怪しくなるのである。そこで、この会社の今後をみるためには過去を振り返れってみてみればよい。 過去を見つづけて、私が知る限り間違いなくノーといえる。そこのマンションを造った部長自ら、 「長期的な視点は一切考えてない建物でしかないない、お勧めできない!」と断言している。 その他のゼネコン関係者からも同様な話を聞いている。日本にマンションが本格的に建てられて30~40年しか経っていない。 その歴史はあまりに少なすぎる。そのため内臓といわれる設備に関して、数十年後を考えると歴史が浅すぎる。 慣れればマンションも良いというが、本来日本は木造住宅で暮らしてきた。 「セメントと鉄の塊の中で住むことが、肉体的・精神的に果たして良いのか?」何か都会のマンション暮らしは、 隠れたマイナス要素が隠されているような気がしてならないと感じるのは私だけだろうか? 今年より、団塊の世代が定年をむかえて住居として、駅周辺のマンションに転居を考えている人が多いだろう。 (字数の関係でカット2007年01月30日) さようならm(__)m ごきげんよう ・・・・・・・・ 2006年01月30日(月) 1763, 人の心は金で買えるか? o(*'▽'*)/☆゜おはよう〜♪ ライブドアの堀江もんが、著書で「人の心は金で買える」と言っていたというが、これについて考えてみる。 「買収されるかされないかは、その額による」という強烈な格言があるが、実際のところそうだろう? これを捩れば「人の心が買えるかどうかは、その金額による」になる。お金の力は絶大である。 金に貧した人の露わな姿を多く見てきた。他人事ではないが。お金は扱い方によって魔力にもなる。 一般的にみると誰もが貧すれば鈍する。金が無くなると人間性まで卑しくなるのが人間の性である。 (#`ε´#ゞ 試しに破産すれば解ることだろうが。「落ちぶれて袖に涙のかかるころ 人の心の奧ぞ知らるる」 心の奥の奥を、冷たさ・優しさ、醜さ、浅さ、深さなどを置き換えてみると解りやすい。 例として「落ちぶれて袖に涙がかかるころ 人の冷たさ初めて知らるる」」というのが現実であろうが。 「人の気持ちを金で買える!」を、単純に否定も肯定も出来ない。TPOSー時と場所と場合とケースーによるが、 それぞれの価値観もある。人によるだろうが、 ・女性が身体を売るのからみれば、気持ちなど売るのは如何ということはないともいえるし ・身体は売っても心は売らないというケースもあるだろう。 茶 (@゜▽゜)_且~~どうぞ w ところで「袖に涙のかかるころ・・」という言葉の検索をしたところ現実の生死の境界線上の人を慰め奮い立たせるHPがあった。 これを明日取り上げてみる。 ゚+.(・∀・).+゚.。oO(おまけ!) 【堀江社長語録】をコピーしておきます。 【2006/01/24 東京朝刊から】 (字数の関係でカット2007年01月30日)  ̄Д ̄)y─┛~~~ホンジャ! ・・・・・・・ 2005年01月30日(日) 1398, 人の話を聞くな! 前回、「相手の話の聞けない人」について書いた。ところが昨日、散歩ついでに「蔦や」の 本のコーナーによってみたところ、何と「人の話を聞くな!:著:堀場雅夫」という題目の本があった。 ナンじゃい、と思いながらパラパラとみたが、大した内容ではなかった。 ーそこで、主観的にとらえたのは、「自信がないから人の話を聞こうとする、しかし人の言うことに殆ど真実を とらえていることはない。それより自分の主観を大事にしたほうがズット良いことが殆どだ」という内容であった。 なるほど一理があるが、といって「聞いてまわらないで失敗した」ことがあまりにも多い我身にとって一理があるが、 疑問を感じざるを得なかった。 そこでインターネットの検索で調べてみたら、 「自己の目標が困難なほど、人に方法を聞く前に自分で考えて行動する事が 真に目的を達成出来る人間へと 昇華できる」 という内容であった。それだけで足りないから、人の話を聞くのだが。 日経新聞の「私の履歴書」の中で故五島昇が、 財界の先輩にいわれた言葉が焼きついている。「五島君、一番大事なことは他人に相談するなよ!」である。 恐らく著者の堀場雅夫も、その言葉が下地にあって、それに加えて自分経験の実感でいったのだろう。 知らない人が、この言葉を表面的にとらえたら大変なことになる。可能な限り情報と人の話を聞き、議論をし尽くした上に、 最後の決断のところでは他人の意見は差し挟んでは駄目だということ。 「言語化」能力の向上が能力のアップになることは否定はできない。 相手の話を聞くということは、 言語化したものを自分の情報にして、自分自身の言語化をして吸収することである。 そして総合判断をすることだ。 それを否定する事ではない。最後の最後は、人の話で判断するのではなく自分の勘で判断せよということだ。 「携帯電話を持った猿」ではないが、何もかも友人に判断を委ねる??が、あまりに多いのだ。 このレベルにむけた言葉と一般の対話を混同してしまう題名。哲学でいうと、経験主義と・・・ということか? ・・・・・・・・ 2004年01月30日(金) 1031, スランプの乗り切り方 人間であるかぎり、誰もがスランプはやってくる。要は、それを如何やり過ごすかである。 一般には、いや私の場合は「亀のようにジッとして時間が過ぎるのを待つ」のが最善であることを経験上、身につけていた。 スランプは軽い鬱の状態といってよい。スランプの時は何をしても上手くいかない。時間さえ経てばプラスマイナスのサイクル でしかないのが解る。ところで、スランプになったという経験がほとんどない。リズムのつかみ方で反転させることもできる。 私の場合万年スランプだから、あえてスランプという必要がないのだが。三流選手がスランプといっているのと同じこと。 スランプとは「調子がよい」のが「悪くなる」状態であるから、もともと調子がよくない人が使う言葉でない。 広辞苑には「一時的に調子が出なくなる状態。不調。不振」とある。朝の仏壇の前のおまいりと散歩で、 一日単位でストレスを解消しているのでスランプにはなることはないが、「自分でそう言い聞かせている」 可能性もある。大体スランプと言ったとしたら聞いているほうから、いい年をして何をいっているのかと笑われてしまう。 といって、あと数年後の60歳過ぎに、初老性鬱病の危険が待っている。書いていて気が付いたが睡眠と同じだ、 「意思と準備と楽観」があればよい。不調の時期があるから好調があるのだ。野球の一流選手も、 もう立ち直れないのではないかという位のスランプがくる。しかし、立ち直った時に絶好調になる。 これが一流選手の大きい要素といってよい。スランプを逆に利用するのだ。ということは、スランプは必要ということである。 「意思と準備と楽観」がしっかりあるからできる。スランプを大きなプラスのノウハウを積む機会に変えてしまう。 長期的なスランプは「枝葉を切って、根を養う」 時期と考えればよい。 ・・・・・・ 2003年01月30日(木) 666,「読書・映画日記」 月に2〜3回はまったく何を書いてよいか呆然とする。逆に言えば9割がたは何か書くことを抱えていることになるが、 実はそうではない。従って常に何を書いてよいかアンテナを張っている。これが一番のプラスの要素になる。 本当のところ止めてしまおうかと数ヶ月に一回の割合で考えてしまう。特に冬の散歩ができないときは、 発想が枯渇してしまう。好きで書いているから続けられるが、仕事や強制されたものだったら苦痛は数倍になる。 毎日書き続けていると考えていることが平易に表現できるようになる。20〜30人に向かって話しかけているイメージで 楽しんで書いているのも事実。書いているとプロの凄さが見えてくる。それはキャリアの絶対量の差からくる。 仕事にして売れなくては食べていけない、ぎりぎりの状態から来るものだろう。 時間とともに深く広くなっていくのは当然の事だ。しかしあるところを突き抜けてしまえば面白いだろう。 今度からこの随想日記に「読書・映画日記」を取り入れることにした。 直近に読んだ本と映画のタイトルとレジェメやコメントを書けば、下手なテーマより内容が充実するし、 テーマが枯渇した時などよい。実際もう既に「4行日記」と「日本経済の破断界」を書いている。 次は「成功する読書日記」である。この本がヒントになったが。 ・・・・・・・ 2002年01月30日(水) 316,一生のうちしなくていいこと 谷沢永一の「一生のうちにすべきこと、しなくていいこと」を図書館で借りてきて、目を通した。 当たり前のことが大部分だが、シナクテいいことから挙げると ・「隣人と親しくする」--「近くの人ほど距離を置け」と父のも同じ事を言っていた。 ・世間体をつくろう ・他人との比較 ・出世競争 ・パーテーの参加 ・嫉妬 ・盛大な葬式ーこれに私は結婚式を挙げたい! ・功績を誇ることーそう嫉妬して見える、見る人の視点は別 ・お金の執着ー稼ぎと使いのバランスが大事 ・自分の過去をクヨクヨ思う 10年前、30年前の事をまだクヨクヨしている。 「恨んだ相手は高いびき」という言葉があるが、高笑いであろう。 ・頼みごとをする。人脈を頼みごとのできる人間関係と信じて疑ってない。 不幸な人の特性が、これである事を最近知った!ー依存性 離婚や事業で失敗した人は依存タイプが多い。 ・借金ー事業で借金以外、恥じである。 ・子供の私物化ーこのあたりがその人品の決め手といってよい。 ・運のない人とのつきあいー運のない男ほど、巧妙に電話をかけてくる。「飲み逃げの??」など、ストリーを作ってくる。 ・卑屈な生き方ー人間皆持っている要素、要はそのコントロール。いまひとつ卑屈な人間ーに近づかない、近づけない。 共通要素は、仕事に恵まれてない人で、オベッカの上手い人間。 そう、どこにもいる、あの男! こういうと、自慢かもしれないが、ほぼ全部クリアーしている。 何処かの「同?会」の連中、 「ほぼ上記の連中が過半数」をしめている!私が嫌うより、要するに俗人、プチブルの生き方の否定ということ。 ・・・・・・・・・ 1月30日 木曜日 1969年 午後、本を読んで過ごす。夕方、予告なしで実家の会社の支店の女店員が二人訪ねてくる。 面食らってしまう。私の常識では考えられない。仕方がない、すぐにホテルを予約をしてやる。 寮にいた佐々木さんと高橋を誘い新宿で食事。その後、ゴーゴーに案内をする。23時に、先に1人で帰寮する。 あの二人、こちらも計画があるのに、何を考えているのだろう。子供なのだろう。あまり考えないことにする。 長岡で、この正月に「調子のよいことを言った」のだろう。無責任の言葉には気をつけなくてはならない。 ぜんぜん試験勉強の計画が狂ってしまう。
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