2009年04月07日(火)
『三位一体モデル』中沢新一著 読書日記
* 煉獄の発明 キリスト教の資本主義にとって、都合の良い「煉獄」を発明した。 中世にこれを発明したのは、実に都合の良い大発明にある。 それまでは天国と地獄しかなかった。しかし、この発明で、いったん地獄に落ちた人が 煉獄に地獄から這い上がれば、上から天子がやってきて、天国にむかえてくれますよ、と、 こんなことを言い出したのである。こういう経緯を経て、資本主義が動き出したのである。 これは恐らく商人のために考えられたもので、動物の殺生などに従事していた職人たちも、 その恩恵にあやかった。それまでは彼等には、まったく救済がなかった。 だから、生前、極悪非道の金貸し商人だった人が、死後に、煉獄の山を苦労して登り、 天国に行ったという話しがでっちあげられるようになった。
こうした経緯を経て、西欧州の資本主義が動き出した。ガシャガシャと動き出したのが13〜14世紀。 それから、16,17世紀を経て、19世紀にフル活動をするようになった。 もし煉獄とうの考え方がなかったら、今日の西欧資本主義はなかった、といえる。 ようするに一神教である限り、資本主義の潜在力は抑えられてしまう可能性があった。 発達を可能にしたのは、それに加え、増殖の原理を飲み込んでいたからである。 キリスト教は、西と東に分裂したが、東のギリシャ、ロシア、東欧のキリスト教圏では 資本主義は実現できなかったのも「三位一体」の理解法にあったのである。 1990年代まで続いた東西対立の、いちばん深い根っこの部分にも「三位一体」は関係している。 さらには、現在のロシアの経済が何故あんなに混乱しているのか、また、70?80年前に。 その地に何故社会主義なるものができたのか。これも、この三位一体の歴史問題と関わってくる。 ーー 煉獄という言葉を知ったのはロシアの文豪ソルジェニツゥインの『煉獄の中で』である。 地獄の一歩手前のところと解釈していたが・・・
・・・・・・・・・・ 2560, ホモ・ルーデンス ?2 2008年04月07日(月) (*´∀`)」" おはよう☆彡 子供の頃、無我夢中で遊んでいた頃の楽しさ、あの時の無我夢中の気持ちが人生の中で大きな位置を占めていたのである。 人生の要諦、「よく学び、よく遊び、よく働く」のうち、一番満足度が高いのは、「よく遊んだこと」である。 ただし「よく」である??。 まずは遊びの本質と定義について書いてある部分を抜粋してみよう。 ?? ー文化は遊びのなかにはじまるー 遊びは文化よりも古い。動物は人間とまったく同じように遊びをしている。 遊びの基本的な要素のすべてが、すでに動物の戯れのなかにはっきりとあらわれている。 子犬が遊び戯れているところを観察してみさえすればよい。 子犬は一種の儀式めいた身振り、動作で、たがいに気を引きあったりする。 相手の耳を血が出るほど噛んではいけないという規則も守っている。 まるで恐ろしく怒っているかのようなふりをして見せる。 もっとも重要なことは、子犬はこれらすぺてを明らかに嬉々として楽しんでやっているということである。 このように動物の場合と同様、人を夢中にさせる力、〈面白さ〉のなかに遊びの本質があり、〈面白さ〉こそ、人間にとって もっとも根源的なものである。人類が共同生活をはじめるようになったとき、その行動にはすべて最初から 遊びが織り交ぜられていた。 たとえば、人類の最初にして最高の道具である言語である。 言語によってものごとを表現したり、伝えたりするという行為はいつも遊びながら行われるのである。 どんな抽象の表現でも、その背後にあるのは比喩であり、いかなる比喩のなかにも言葉の遊びが隠されている。 *遊びを定義すると 遊びとは、ある限定された時間および空間のなかで行われる、自発的な行為もしくは活動であり、 自発的に受け容れられた、絶対的な拘束力を持つ規則に従っている。 遊びの目的は行為そのものにあり、それは、緊張と歓びの感情を伴い、 また〈これは日常生活とは別のものだ〉という意識に裏づけられた、何ものかをめぐる闘争ないし表現である。 このような遊びが地球上のあらゆる地域に同じような形式や観念のもとに存在することが確かめられているが、 このことは、人間に遊びという機能が先天的に与えられているということの何よりの証拠である。 ?? 日本文化の典型の、茶道とか、華道は、遊びなのか、それとも修養なのか? 前記の内容からしたら、遊びそのものということが出来る。 ひと時の安らぎの茶のひと時を、茶道という文化に高めたのだから粋である。 パソコンのインターネットも、携帯電話も子供や若者の遊び心から飛躍的に普及した。 ホモ・ハーベン(働き蜂人間)だけでは人生はつまらないだろうが、仕事を遊びまで昇華させれば、良いだろう。 死を直前にした人間で、もっと働いておけば良かったと後悔する御仁は少ない。 もっと色いろなことをして楽しみたかった!という人が大部分である。 。・∀・)ノ ホナ! ・・・・・・・・・ 2007年04月07日(土) 2195, ファンタジー文学の世界へ ?1 オッ(*^○^*)ハ?ヨウサン! 「ファンタジー文学の世界へ 」 ー主観の哲学のためにー 工藤左千夫著 (成文社) ー読書日記 一般的にファンタジーとは、夢 のような空想を元にした小説のことをいい、現代社会から、かけ離れた人物、 事実、世界観がテーマとなる。前回にも書いたが、ファンタジーには、二通りのジャンルがある。 ハイ・ファンタジー とロー・ファンタジーである。 *ハイ・ファンタジーとは、社会構成・環境・文化など、世界観が詳細に設定されたファンタジー小説のことです。 過去にも未来にも、世界のどこにも存在しない別世界を題材にしている。 *それに対しロー・ファンタジーは、現代を舞台にしたファンタジーで、ちょっとした不思議な世界を題材にする。 情報社会の中で合理的世界観から一歩はなれて、非合理的な世界を持つことで合理的社会を 鳥瞰することも必要となる。この本はファンタジー感覚の発祥と変遷について書いている。 初期ファンタジーは、強烈な目的性を志向し、その通過儀礼を特徴としている。 それに対し現代ファンタジーの傾向は、目的よりも存在論的視野を目指す傾向が強い、と論じている。 この本の面白そうなところを、幾つか抜粋してみよう。 ーー P-23 ■ファンタジーの構造 神話的世界の「英雄」は孤独である。孤独は、「英雄」の条件と考えた方がよいほど、孤独である。 これは人間の人格形成において「自立願望」という母子分離の強烈な心理が、人間の属性だからである。 初期ファンタジーの多くは、明確なイニシエーションをかかえている。 それは、「分離」?>「周辺」?>「統合」という物語の構造で表現される。 依存対象から「分離」は、一人で「周辺」に向かうことを意味する。 それは、「依存対象に頼ることができない」こと、それが孤独なのである。 その孤独から自立への物語には、最後に何かを得て、元の場所に戻る精神がある。 元に戻ることが「統合」もしくは「全体性の回復」になる。・・・・中略 P-31 冒険(ゆきて帰りし)とは、無自覚な日常感覚に対する警鐘である。 そして、非日常ー冒険で培われたものが、日常に命をもたらすものであり、 人生の新たな価値を模索する道でもある。この道は困難そのものと言える。 この困難を越えようとする強烈な意志こそ、大人への道標足りうるのである。 作者は、人間の成長において、身内以外の父性的存在がある局面で必要であり、 この父性的存在こそが、「わたし」の深奥に導く一つの契機ともなる。・・・ 我われの周囲には様々な冒険(ゆきて帰りし)の扉が黙示されている。 その覚知なるものは、現実を積極的(主体的)に観ることの意識化を通して、 もう一つの世界(非日常、内的世界)へ向かうことである。狭き門の両側には二つの世界がある。 第一の世界ー第二世界、 日常ー非日常、 意識ー無意識、 平穏ー不穏。 この二つの世界を主役は往復するのである。この往復の困難性が人の心に「なにか」を生起させるのである。 「なにか」を主体化する作業が、現実の深い意味を客観化しうる認識の扉ともなる。つまり、困難を通して、 自らの潜在的力を引き出すこと。しかし、この地平は「英雄」にありがちな慇懃無礼の世界ではない。 自らが拠って立つ精神的基盤を自らが客観化した地平である。 ーーー これを書いていて気がついたが、15年間にわたり年二回平均の秘境ツアーが、ファンタジー小説に近い世界であった。 ー日常に対して、非日常。 意識的世界に対して、無意識の世界。 平穏?に対して、不穏。ーで、夢そのものの中の世界である。 ファンタジー作家のかわりに、旅行代理店が物語を企画してくれている。
・・・・・・・・ 2006年04月07日(金) 1830, あちら側の世界 ?8 (’0’)d おっ w(゜Д゜)w ハァ?
「ウェブ進化論」の中で、「グーグルアース」を紹介していた。地球地図・映像検索である。 早速、グーグルのHPよりソフトをダウンロードをして使ってみた。ただただ驚きである。 月の位置から地球に近づいて、見たい場所に降りていって、家や車や木まで見えるところまで接近できる。 もちろん首相官邸や皇居の中もみえる。これで世界中の都市を見ていると、雲の絨毯で下界を飛び回っている ような感覚になる。 殆んどの大都市の衛星写真が貼り付けてあり、家の屋上や木や池まで識別ができる。 使ってみると、リアルな感覚になる。「グーグルアース」と、グーグルの検索に入れたところ、皇居や首相官邸、 インド沖の大津波の写真、アメリカの本土のステルス(飛行機)まで紹介されていた。 数日前の新聞に、「インド政府がグーグルアースの写真公開に抗議!」という記事が載っていたが、 これでは問題になるだろう。 世界中の政府が衝撃を受け戸惑っているというが、当然である。 北朝鮮など、嫌味か?、かなり詳細の平城の写真があった。原子炉?らしき写真もあった。 大都市圏以外は地形認識までしかできないが、有名観光地には、その情報の入った小さな箱が貼り付けてあり、 クリックをすると見ることができる。検索で「グーグルアース」のキーワードを入れソフトをダウンロードをすれば、 誰でも無料で見ることができる。マウスでズームアップもダウンもできる。 手塚治のアトムの目を持って世界中を見ることができるということだ。 この大本の「グーグルマップス」のAPIを公開しているが、リクルートの不動産関連のHPに、 マップで日本中の都市圏の場所に矢印を当てると、地図がアップででてきて、周辺不動産物件の 詳細を紹介をするサービスがある。現在は地図だが、近い将来は写真になるのだろう。 アフガンやイラクでは、アメリカ軍がこれを多用して勝利に導いたが、実際は顔の認識まで可能という。 スパイモノに出てくる衛星利用のSFもどき内容が、実際に個々人で使えるようになったのである。 「ウェブ進化論」を毎日、繰り返し読んでいるが読むほどに情報化社会の実態がおぼろげながら見えてくる。
ー以下は、あるHPにあった内容だが解りやすく紹介してあったので、貼り付けておきますー (字数の関係でカット2008年04月07日) (v^ー°)バイバイ! ・・・・・・・・ 2005年04月07日(木) 1465, なんじゃい、こりゃ!
またかい!このホームページを見ている常連なら、オーバーな表現と思うだろう。 ただ実感でいう正直な話で、その時書いた文章である。 ?? たまたま日本酒を取引先から貰って飲んだ感想をそのまま書く。 「これは今までとは全く違うほど美味しい酒ですよ!」といって置いていった酒である。 その人から、普段は飲まないような極上の酒を数回か貰っていたが。 そのことも忘れて口に含んだと同時に、その美味さにビックリ仰天。 新潟の土地柄もあり美味しい酒は数限り飲んできたが、これが特別なのである。 早くいえば、今まで飲んだ日本酒で一番美味しい。「嘘だろう、今まで日本酒に関しては美味しい酒は飲んできたのに。 自分が変ではないだろうか」と、飲んで何回も口に含んでみた。 しかし美味しいのである。日本酒に関しては、 この随想日記にも書いたことがあるが、美味しい酒が飲める環境にあった。 地元の人がみている前提で書いているが、美味しいものは美味しい。 そこで、その酒の箱を見てみたら、ヤッパリ仰々しい印刷があった。 「ロンドン開催ー第12回国際酒祭り酒類審査会ー世界第一位受賞」と書いてあった。 「天領盃 大吟醸」が、酒の名前。 メーカーは佐渡の「佐渡吟醸株式会社」。 このラベルにつられて、美味しいと思ったのではない。口に入れた瞬間、ただ水を飲んでいるようで何の味もしなかった。 そして二口目を口に入れたとき、何ともいえない香りと味がしてきた。 朝日山の久保田(万寿)や、吟醸古酒を少し薄口にした味というと、かなり大雑把な表現になるが。 酒の世界の深さを殆ど知らないが、底の知れない世界があるのだろう。 そういえば先日TVで、メーカー名は忘れたが四号瓶で数万円もする日本酒を紹介していた。 数十年かけて醸造したものであった。 どんな味がするのだろうか。 ワインなどは、もっともっと深い世界があるのだろう。 ー酒通がこの文章を読んだら、この程度でと鼻先でわら笑うだろうがー
・・・・・・・・ 2004年04月07日(水) 1100, 撃墜王の秘密
ある本の「撃墜王の戦法」がなかなか面白い。そのまま書き写してみる。
ー第二次世界大戦で「独特の戦法をとった」二人のパイロットは、ハルトマン少佐と その師であるロスマン軍曹。ハルトマンは確認されているだけで敵機352機、ロスマンも80機以上も撃墜している。 その戦法を最初に考案したのはロスマンである。彼はパイロットになりたての頃、完治不能の傷を負った。 普通、接近戦になると体力が勝っている方が有利であった。そこで普通の戦法ではとうてい生き残れないと 悟ったロスマンは、考えつくした末、自分の体力を補うテクニックを編み出した。 彼は体力戦勝負の接近戦をやめて、計算しつくした戦法に切り換えた。 一つ一つの攻撃に、それぞれの計画を練り上げた。敵に実際に銃弾を浴びせることを考えないで、 どうチャンスものにするか、さまさまな情況を分析することに多くの時間を費やしたのである。 彼が攻撃に出るのは確実に勝利が取れるポジションを取れたときだけだった。 理想的な標的となった相手にだけ、ありったけのエネルギーを使って集中攻撃をしかけるのだ。 ハルトマンは、ロスマンの「相手をよく見極めてから集中砲火を浴びせる」戦法が優れていることを、 自らの戦果で証明をした。ー ー以上のことより学ぶことは、完治不能の腕を持ったことで、考えつくして全く違った戦法を自ら作った ことである。色いろな情況の研究に全てのエネルギーを入れたことだ。 孫子の兵法と同じである。 普通のパイロットは、接近戦の銃撃の手法を研究したのに対して、確実に勝利の取れるポジションとりの研究を していたのだ。 チャンスが来るまでエネルギーと知識の保存を充分に蓄積していたのだ。 過去に上手くいったケースを考えると、大体がそうである。勝てるポジション取りであったのだ。 人の真似とか、表面を見て準備不足の事業は失敗をしてきた。 といって、この時代ジックリ準備といっている間にチャンスは一瞬で消え去る。難しいところだ。 一病息災というが,一つ病気を持っていた方が健康にとってよいのも事実である。 ・・・・・・・・・ 2003年04月07日(月) 733, 30年間着ている礼服
現在も着ている礼服は忘れもしない記憶がある。ちょうど30年前になる。 父が「あと2週間の命」と医者に宣告された直後に母にいわれて、「村田仕立て屋」に、 父に解らないように出かけて、つくったものだ。今でもしっかり冠婚葬祭に着ているが、全く古い感じがしない。 私が子供の頃に注文服も扱っていた頃から出入りしていた仕立て職人で、腕がよい人だった。 年に4回位、平均して着ているとしても、120回でしかない。それも大体が半日だから、そういたむものではないが。 しかし身につけるもので30年も使っているものは勿論これだけ。まだまだ十年以上は使えそうなので、一生ものである。 ということは体形が30年変わってないということだ。 当時は体重が56キロ、ウエストは76センチ。 現在は60キロ、ウエストは79センチだ。ズボンの腰周りを20年前に直したが。こうなると愛着がわくものである。 話は変わるが、その時もしかしたら、「父は勘で注文にいっていることを知っていたのではなかろうか?」 とこの文章を書いていて気づいた。何か生々しい話になったが、私が死んだ時にお棺に入れてもらおう。 嬉しいとき、悲しい時に着ていたものだからだ。
・・・・・・・・・・ 2002年04月07日(日) 369,植民地経営
西アフリカに行った時聞いた話しである。 文明国を統治する方法として、次の3つがある。 1、直接統治 2、間接統治でそこの王族と手を組み統治 3、隣国に間接統治の王国に攻めさせ統治
大体がこの3つである。まずはフレンドリーに入って行き、徐々に統治していく。 その前にキリスト教の宣教者を派遣して、内側から攻めていくのが常套手段だ。 秀吉がそれに気づき、キリスト教禁止令を出したのは賢明だった。 戦後の日本も戦犯の天皇や官僚をそのまま温存させたのも王族の間接統治を狙った為だ。 今の日本は王族を飾り物に、戦後から続く官僚の支配がそのまま続いている。 そして悲しい事に、間接統治をされていることに全員満足している。 この不況は「1986年のアメリカのバブル押し付け政策」の結果である。 そして、直接支配に今露骨に入ってきたのは周知の事実だ。 今回の9・11テロは、この間接支配の露骨のアメリカ世界戦略に対するテロである。
|
|
|