堀井On-Line



2923, 中沢新一の『三位一体モデル』 −2

2009年04月06日(月)

  
『三位一体モデル』中沢新一著       −読書日記
 
 *「霊」は何か?
ここでいう霊とは、英語でスピリッツ、ドイツ語でいうガイスト、日本語で霊(たま)という。
語り得ない「神」とか「霊」をどう表現するか興味を持って読んだが、
神を三位一体モデルとして、「父」「子」「精霊」と構造的に分解している。
一つの見方だが、それを思考法として利用したり、この世界を理解するには有効になる。
その一つの「霊」を、ひとことで「増えていくもの=増殖するもの」としている。
「父」たる普遍的なことを、現実の姿として「子」キリストなどの現象とし、
霊(増殖するものとして)を使って世界中に布教していく便利な存在?である。
この霊を組み込んだキリスト教が、<増殖>現象を自分の中に抱えこんで世界に
爆発的に布教していくことになる。それが西欧資本主義の出発点になるのである。
ここが、イスラム教と、もっとも深い対立点になる。
 ーー
 * イスラム教との「増殖」をめぐる対立とは?
イスラム教は、キリストが神の「子」という点、そして増殖原理である「霊」を
唯一神の中に組み込むという点については、絶対に認めない。
イスラム教にとって、神と人間のあいだに立つ媒介する存在など、あってはならない。
イエスなど、ただの預言者でしかない。 ただひとつの神に霊を組み込むなどということは、
絶対にありえないこと。なぜなら、霊は「増殖現象>を起こすなど、唯一の神アッラーは増え得ないからである。
イスラムにとって、アッラー自体は変化しない。しかしキリスト教徒は、じつに微妙なかたちで、
「増える」という原理を組み込んでしまった。
イスラムにとって、「神の本質が増えるとはどういうことなんだ」ということになる。
キリスト教は、増殖という現象を内部に組み込むことによって、その後の奇跡的な
勢力拡大の基礎をつくっていったのである。
 ーー
結局は、キリスト教は欧米人の世界からの略奪行為の尖兵として、情報機関として
建前として使われてきたのは自明だったが、ここで、その宗教の歪みの部分を解明している。
この世界恐慌も、その崩壊の一つとみてよい。 霊を増殖するものという見方は初めてである。

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2559, 印度放浪 ー3
2008年04月06日(日)

 ー語録ー2

人間の身体を見ていて神々しいと思ったのは、一ぺん沈んで浮かんできた水葬体だね。
水葬にしていったん沈むんだけど、沈んだあと底につかないのはそのまま浮かばないで流れ浮かばないで
底についたのは必ず浮かんでくるんだ。そうやって浮かんできた時の顔とか身体というのは、
不純なものがいっさい流れたような美しいものなんだね。半眼微笑の仏像そっくりな場合すらある、
それが二、三日経つとだんだん膨らんできて、中の血管の血がバッーと表に出て、まるで不動明王や
五大明王みたいに赤黒くなる。それからまた血が引いて漂白されたようになって行く。
水に投げられたひとつの死体をずーっと見ていると、人間のもっているすべてが見えるよ。
日本でも死ぬ時に、これは単なる比喩的な言いまわしだろうけどさ、死ぬ時に一回苦しんだか二回苦しんだか、
三回苦しんだかで、その人の生前にもっている業みたいなものが出るということを言うじゃない。
それとは違うけど、水葬死体も人間のもっている生前のことを全部見せてくれるような気がするね。
 解)日本人は死体を特別に大事に考えている影響が40年前の著者に残っているようだ。
  こういうのを読むと、さっさと重油をかけて焼いてしまうのも良いと思う。その方が余程ドライである。
ーー
犬が水葬体を食っているのを見て、法華経に出てくるクンパーダカをふっと想像したんだ。
クンバーダカ鬼は架空の生きものだから見たことはないが、そういう感じがしたんだ。
広角で撮ろうと死体を食っている中洲の犬に近づいたら、そこにいた一匹が逃げたんだ。
それが遠くから十二、三頭を連れてきた。砂けむりを舞い上げてね。
僕がエサを取ってしまうとおもったのか、全部がうなりながらにじり寄ってくるんだよ。
人間を喰っている犬ににらまれたんだから、かなり危機感を持ったね。
眼を離して逃げたらワーッと襲われてやられるとおもったから、こっちも動けない。
川の中洲だから人間は誰もいない、助けも呼べない。カメラを持って投げつけるような恰好しながら、
それでもこれを投げたら壊れるからやめとこうとおもったりしながら、投げるものを探したわけね。
そのへんは写真にも写っているように頭蓋骨とか骨がけっこうあるんだ。
で、犬の目から目を離さないようにしながらゆっくりとしゃがんで、頭蓋骨を四ツくらい集めて
これをかかえて投げるかっこうをしながら、頭蓋骨もったまま少しずつあとずきりをして
川の中に胸まで入ったんだ。犬は向うでウロチョロしている。
奴に向けて力いっぱい投げつけたんだ。暫くするとあきらめて、
また向うの死体を喰いはじめてくれたんだね。こちらは川づたいに三脚のあるとまでやっと辿り着いてね、
これでやっと安心して、この三脚を持てぱこれ殴れるから何となく大丈夫だと思ったわけ。
これは後で考えると、地獄で何かしていたような気がするんだ。
 解)インドでないとこういう経験は出来ない。宗教で、かくも文化が違うかが理解できる。
ベナレスのガンジス川の底には骨が重なっているというが。その骨についている貴金属をあさっている子供もいる。
ーー
インドはね、撮りすぎるとダメなんだ。インドってのは撮れちゃうから。まわリ三六〇度ぐるりと
一回転して三十六枚押したら、一本フィトストーリーができてしまう。
だからインドへ行った人の写真ってのはみんな同じになる。写りすぎるってことは、
全部撮ってもダメということなんだね。インドは「何を撮らないか」というマイナスの作業でしか
自分の視点が出てこないのね。 加算とかブラス信仰の社会から行うた人からは、
撮らないということも表現であるという発想がなかなか生まれない。
 ?解)これって写真だけを言っているのでなく、全てにいえることじゃないですか。

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2007年04月06日(金)
2194, 大人のファンタジー読本
    おはよう!♪? ヽ(´π`)ノ            
                  ー読書日記 
 ー未知なる扉をひらく180選ー  出版:マックガーデン
この本の副タイトルが、そのまま当てはまる内容である。1Pか2Pに一つの小説の概要が書いてある。
その概要だけで大きくイメージが広がるから不思議である。
わずか数分の間、ユックリと読んでいるうちに日常を超えてファンタジーな世界に引きずりこまれるのである。
この本は10年前のパソコン通信の時代からあったネット上の仲間が出会い、ネット上の語らいからつくり上げた本。
180選を45人が要約した共同執筆で10年がかりのエネルギーが入っている。
1P?2Pの要約の中に好きな人の魂が詰まっているから、要約というエキスに引きずりこまれるのだろう。 
これこそ現代の本と云えよう。「エネルギーを使わないで、いつ読んでも現実を忘れられる本がないか?」
と言われれば、間違いなくこの本を勧める。何せ一ヶ月間新幹線の列車の中で読み続けていた本である。
初めは図書館で借りて読んだが、アマゾンでさっそく発注をした(中古本だが)。
ファンタジー本は、1980年代にアメリカで「指輪物語」が一大ブームとなり、「ナルニア物語」
そして「ゲド戦記」などが映画化されている。それと最近のブームはやはり「ハリーポッター」映画化である。
これがファンタジーの世界を変えたと言えよう。この前と後というほど、大きな影響を与えたという。
 ファンタジーは、ハイ・ファンタジーとロー・ファンタジーの二つに分けられる。
・ハイ・ファンタジーとは、まったく架空の世界を創りあげて、そこで色んな人物が登場して
 冒険や旅をする形のもの。『指輪物語』や『ゲド戦記』など・・
・これに対して、昔の伝説をちりばめたり、歴史上の出来事を舞台にして語り直したものをロー・ファンタジーという。
 この本の母体になっている翻訳クラブのファンタジーの定義がある、「現実にはありえない何らかの法則に従う
 世界に従う世界を舞台にした物語。あるいは、現実のはありえない何らかの法則に従う世界を法則に従う現象を
 主な構成要素とした物語」である。それが、SFやホラーや御伽話とは違う。
 この本は、ハイ・ファンタジーだけでなく、ロー・ファンタジーなども多く紹介されていて、
 ファンタジーの魅力のブックガイドの本といえる。
 先日、その中で紹介してあった「トムは真夜中の庭で」を読み始めたら、これが面白い!
 小説でファンタジーを読むのが初めてであるが、なるほど、ファンタジーのイメージ世界は何とも夢がある。
列車の中で「獄中記」と交互に読んでいることもあり、内容が極端な段差があるから互いに刺激的になる。
                              (^o^)ノ バイ! 
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2006年04月06日(木)
1829, あちら側の世界 ?7
    「ウェブ進化論」読書日記 
           (ヾ(。・ω・)ノ☆゚+.オハヨゥゥゥ゚+.☆
ー「アマゾン」とはー

 =この本から「アマゾン」という会社とは何かを要約しながら、考察してみる。
 (このウエブ進化論ー3・ロングテールについてーに重なるが敢えて取り上げる。 
 ロングテールが書籍以外の商品群に広がるからだ。それは全ての流通経路の大変革を予感させる)
 IT革命の地殻変動を実感させる、もう一つの会社が「アマゾン」である。
 アマゾン・コムの「ロングテール現象」が、その象徴といえる。 本の流通の関係者といえば、
 インターネットが登場するまでは、出版社と流通業者と書店であった。
 今までの流通経路は店舗や倉庫や在庫といった固定費を抱え、ある程度以上売れる本ーつまり「恐竜の首」で
 収益を稼ぎ、「ロングテール」(恐竜の尾の部分ー80%以上の売れない部分)の損失を補う、事業モデルであった。
 2004年秋にロングテール論が脚光を浴びたのは、「アマゾン」が、この構造を根本から変えてしまったことである。
 日本での年間出版点数は約7万点であるが、アマゾンは230万点もの書籍を取り扱うことができる。
 売れない本には価格競争がないから利幅も大きい。2005年に入って、アマゾン・コムは全売上の約3分の1を
 リアル書店が在庫を持たない本から上げていると発表した。 
 インターネットの世界に異変が起こっている分りやすい事例である。
                    (字数の関係でカット2008年4月6日)
 ー
以上だが、最近、本以外の分野に枠を広げてきたが、アマゾンの本当の恐ろしさが出てくるのは、これからである。
世界中の人が、このネットで本格的に買い物を始めるのは、これからである!
間違いなく、あちら側の世界が、こちら側の世界を大きく変えようとしている。
                   ー (*"・∀・)ノバイバイ!
・・・・・・・
2005年04月06日(水)
1464, 発想名人 ?読書日記

最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、また「発想名人」を借りて読んでみた。
内容は前の本からみると軽いが、表紙裏の言葉がなかなかよい。
ー『ネガティブな意見を言っている暇があったらアイディアをだせ!』
これが私の最近のスローガンである。すべての現実の困難は、具体的な
アイディアによって乗りこえるものだと私は考えています?
ネガティブな意見を出すのは簡単である。相手の正反対の視点を設定して正面から突き刺すのである。
私も独りで考える時に、正反の問いかけを何回かしてみる。その繰り返しの中で問題を掘り下げる。
それが、考えることである。したがって、肯定だけでなく否定の視点も必要である。
計画を練ることは、正反合を繰り返し繰り返ししていくことである。
ネガティブの意見も「異見」として正の立場を逆に見直すことになる。
チームで計画を練ると、否定だけの人がいる。ネガティブはエネルギーを殆んど使わないで済むことを知っている。
ただ、アイデア・バスターをしていれば済むからだ。 ほぼ対案を持ってない。特に女性に多い。亭主の否定をして、
稼ぎを当然のように取りあげれば済む。それも自覚してないケースが多いから泥沼に陥ってしまうケースが多くなる。
(字数制限のためカット 09年04月06日)

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2004年04月06日(火)
1099, 「80対20」革命 ?4

「自分の20?のスパイク(強み)を見きわめる問い」が考えさせられて面白い!
 ー以下に書き写してみる。
△あなたが心底興奮するのは、どんなことに対してか?
 一番熱心になれることは、どんなことか?
△自分が有名になったと想像してみる。
 どんなことなら有名になれるか?
△自分の個性でもっとも特徴的なことは何か。
 人と一番変わっているところは何か?
△何をしているときがもっとも幸せで充実していると思うか?
△一番得意なものは何で、他の人より得意なものは何だろうか?
△どんな役割や仕事がもっとも適していると思うか?
△別の分野や活動で、自分が優れていることがないか、あらためて考えてみる。
 できるだけ現在とかけ離れた意外なものがよい。あまり深刻にならない方がよい。
△もし新しいベンチャーを始めて驚くほど成功するとしたら、どんな事業であろう?
 想像力をはたらかせて考えてみる
ー以上であるが、現在の自分について考えてみて書いてみた。ここでは書けないが、
如何に深耕があった部分と、無かった部分がよく見極めることができた。今回は内容を書くのは控えるが、
この随想日記に殆ど書いてあることばかりである。まあバカの壁を辛辣に見えてしまって
いるからだ。もう見せているから今更だが。全て反省の言葉が多いのが人生と思っているが。

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2003年04月06日(日)
732, 「こうすれば良くなる」

いまの日本の議論で大部分が「こうすればよくなる!」という発想が基点となっている。
これに対して「もうこの発想から脱却すべきではないか?」という論が新聞にあった。
その内容を私なりにアレンジをして書いてみたー誰もがいまの日本は縮小すべき時期にきていることを知っている。
それを回復とか現状維持を前提に議論しているから、ますますおかしくなる。
失業率だって今の倍の2?3倍になってどこが悪い。それで西欧並みでしかない。
日本をとりまく環境が変わってしまったのだから失業が増えて当然である。
 デフレもグローバルになったのだから仕方がない。
どうして日本の経済規模を縮小していくかを真剣に議論すべき時期である。
そうしなくては、自然の暴力にもろに破壊されてしまう。 恐慌というやつにだ。
 いまや株価や土地が20年以上前になっているなら、政府の予算規模も
縮小すべきである。それができないなら、恐慌が起こるのが当然である。
「良くするなどと考えている非常識」がまかり通っている。
思い切って、国家規模ー予算を20年前に戻すべきだと宣言すればよい。
それにしても、箱物や道路や橋や新幹線を造ってしまって、その借金をもあるから単純にはできない。
このジレンマからいつ抜け出る事ができるのだろうか?
 ー以上になる。
人の意見をこうアレンジして書いてみると、これが自分の意見になるのだ。
なるほどと、自分でも感心する。大体がこんなものだから批評家が存在するのだろう。

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2002年04月06日(土)
368,リオのカーニバル

いまTVをつけたら、NHKのハイビジョンで「リオのカーニバル」をやっていた。
2時間があっという間に過ぎてしまった。7年前に行った内容をコピーしておくが、本当に素晴らしい内容であった。
今見ている内容は当時に比べ、かなり豪華にかつ派手になっているようだ。
カーニバルは元々はヨーロッパで行われていた、キリスト教のお祭りである。
南米の農園に売られていった奴隷が、一年に一度のカーニバルに与えられる休日に輪を作って
歌い踊ったという。普段でも彼らの楽しみは歌と踊りだけで、それが段々サンバに変わっていったという。
1888年に奴隷制度が廃止された時、彼らはリオに仕事を求めていった。
彼らはグループを作って踊っていたが、そのそのトップクラスと準トップクラスが正式に会場で競う。
それぞれチームごとにテーマがあり、それによってストーリがある。それにより、衣装や歌や踊りが決まってくる。
上位のチームにそれぞれのチームにスポンサーが付いているという。それぞれ項目があって、
厳格の審査のうえで順位が決まる。去年から見ているが、ハイビジョンのせいもあるが素晴らしい。
一年は全て、カーニバルを中心に回っている。
ーーーーーーー
H0703ブラジル旅行記

“行って吃驚!玉手箱”主観をこめて現地の実感を書いてみる。
カーニバルはリオディジャネロだけでなく、全国津々浦々の都市で行われており、
四日間全国がお祭りの為休みとなる。その最も有名で世界的に知られているのがリオのそれ。
リオのカーニバルのランクがA・B・CとなっておりAランクが9チーム、
Bランクが15?16チーム、Cランクは数十チームとなっている。
AとBチームが特設スタジオのメーン、ストリー850mを80分の持時間で
踊りながら行進する。そこは六万人の観客席があり、審判席で厳格に審査され、
その年の優勝等順位があらそわれる。そのチケットは一般の人はほとんど入手不可能である。
我々のTV新聞等で目にするのはCチームが街頭で行進するものでしかなかった。
チームは四千名が1チームで構成されており、それが約500名×8チームに細分化され、
統一のコンセプトのもとに仮装が華やかにつくられている。
音楽も各チームごとに毎年新しいコンセプトのもとに有名作曲家が名誉をかけてつくる。
その作曲も採点の大きなポイントになるという。一日6〜8チームが夜の七時より翌朝の七時まで
延々と踊りの行進が続く。観客席もその行進曲にあわせて半数以上が踊っている。
音響もすさまじく隣の人の声は全く聞こえない。上位数チームが翌週の土曜日に優勝をかけて再び
行進がおこなわれる。優勝チームは10億以上の賞金がつき、かつ翌年に向けてのよいスポンサーが約束される。
その年の山車とか衣装は翌年に持ちこさずすべて破棄するという。
カーニバルをみていて“気”とか“色即是空”とか“禅の悟り”がすべて含まれており、
東洋的なこのような言葉が小さくみすばらしくさえ思えるくらいだ。
 ブラジルの印象として残ったイメージとして、キーワードを書くと
“サッカー”と“サンバ”(カーニバル)と“森林”と“イグアスの滝”
そして“汚職まみれの国”である。  さらに加えるなら“まずしさ”である。

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