2004年12月18日(土) |
「コールドマウンテン」レニー・ゼルウィガーはじめ脇役陣はお見事、でも主演と脚本、演出がこれじゃなぁ。 |
「コールド マウンテン」【COLD MOUNTAIN(地名の通称)】2003年・米 監督・脚本:アンソニー・ミンゲラ 原作:チャールズ・フレイジャー『コールドマウンテン』 撮影:ジョン・シール 美術:ダンテ・フェレッティ 編集:ウォルター・マーチ 音楽:ガブリエル・ヤーレ 俳優:ジュード・ロウ(南軍の脱走兵、インマン) ニコール・キッドマン(牧師の娘、エイダ) レニー・ゼルウィガー(エイダを助ける農婦、ルビー) ドナルド・サザーランド(エイダの父、モンロー牧師) ナタリー・ポートマン(戦争未亡人、セーラ) レイ・ウィンストン(地主で義勇軍リーダー、ティーグ ) フィリップ・シーモア・ホフマン(ヴィージー) ジョヴァンニ・リビシ(ジュニア) ジャック・ホワイト(逃亡兵、ジョージア) ブレンダン・グリーソン(スタブロッド) キャシー・ベイカー(老農婦、サリー) ジェームズ・ギャモン(サリーの夫) ジェナ・マローン(渡し船の船頭で稼ぐ少女) イーサン・サプリー(パングル) ルーカス・ブラック(南軍の少年兵、オークリー)
1864年、南北戦争は泥沼化。 ヴァージニア州の戦況は最悪だ。北軍の奇襲を受け、南軍は多数の死傷者が出る。 その中に、古びた本に美しいが微笑んではいない女性の写真をはさみ大切にしていた男、インマンもいた。
地獄を見て3年が経った今となっては、戦争が始まった、北軍に目にものみせてやる、と浮かれていた愚かさが悔やまれる。重傷で生死の境をさまよい、どうにか一命を取り留めたインマンは、脱走兵も、匿った者も銃殺されることを覚悟の上で、故郷、ノースカロライナ州のコールドマウンテンを命がけで目指す。
ひと目でいい、故郷に残してきた運命の恋人、エイダに逢いたい・・・・。 知り合ってから言葉もほとんどかわすこともないまま、出征の朝に瞬間、かわしたたった一度の接吻。彼女は待っていると言った。 そして、つらくて微笑むことができないとうつむいている写真をくれた・・・。
エイダは、澄んだ空気を求めて都会から田舎にやってきた牧師の 1人娘だった。箸より重い物は持てない都会のお嬢さまのエイダは、文学とピアノを愛する才女。
そんなエイダと、寡黙で精悍な村の青年インマンがなぜ惹かれあったのか、それは運命としかいいようがない。 共通の話題もなく、ぎこちない2人の会話。 だが、2人は運命の恋人なのだった。 手に触れることすらないまま、戦地へ赴く朝、むさぼるようにかわした接吻を2人は決して忘れなかった・・・。
村の青年たちは皆、戦争から帰ってこない。 毎日届くのは訃報だけ・・・。 村は生気を失う。 エイダも、老いた父が他界してからというもの、収入もなくなり、 奴隷に与える食料もなくなり手放し、食事も作れず洗濯もできず、 枯れ木のようにやせ細りみすぼらしい姿に・・・。
それでもプライドの高いエイダは助けを求めず、1人、することもなく、何百通も戦地のインマンに手紙を書き続けるのだった。
エイダを我が物にしようと、地主の中年男ティーグが付けねらうが、エイダは毅然とした態度で決してなびかない。
そんなエイダを心配し、村の農婦サリーが、知り合いの娘ルビーを よこす。ルビーは酒浸りの父親に苦労して育った。 そんな父親も今は戦地。だがいないほうがむしろラク、ってなもんで、実に逞しく、そのへんの男よりも力持ちで農業や家畜の飼育に詳しい村娘だ。
手当はいらない、寝床と食事があればいい、と住み込んでくれることになったルビーの厳しくも熱心な指導のもと、荒れ果てた家も畑も、少しずつ、息を吹き返してゆく。
どこの州でも、脱走兵を狩るために義勇軍とは名ばかりの血も涙もない虐殺を愉しむかのような連中が、金で兵役を逃れた連中を 中心に結成される・・・・。
コールドマウンテンの義勇軍は地主親子がリーダーだ。 サリーの息子たちも、奴らが惨殺した・・・。
その頃。インマンは度重なる艱難辛苦に耐えに耐えつつ、1歩1歩、故郷を目指していたが・・・。
こりゃ参ったな、というのが本音。 かなり相性が悪い部類の作品だったようだ。
だが、作り手の情熱はよ〜く伝わってくる作品で、助演、脇役 も実に見事で、感想を書かずに放ってしまうのも惜しくて。
先に、こりゃいかんでしょう、と思ったところを。
◆ニコール・キッドマンは、ジュード・ロウとの年齢のバランスはよいのだが、どうみても南北戦争時代の良家の未婚の令嬢にしては薹がたっている。 イメージとしては、「ピアノ・レッスン」のホリー・ハンターのような知的で貞淑な貴婦人なのだろうが、子持ちの寡婦役なら ピッタリだったと思うが、いかんせん、18〜23くらい(コールド・マウンテンに超してきた段階で)の乙女でないと妙なので、 冒頭から軽く30代半ばのハイミスに見えるニコールは痛い、痛すぎる。 まぁ、牧師である父親が溺愛し、また彼女も老いた父を残して 嫁げず、いい年になってしまった、というのならそれもそれだが、 そうすると今度は、いいトシをしてあまりにも乙女チックすぎるでしょう、ということになる。
たった一度の抱擁と接吻だけで運命の恋人と慕い続ける可憐さが ない。 運命の再会時、おびえていたとはいえ、あのドスの効いた声には百年の恋も冷めませんか・・・。
あとは演技の問題。 逞しい田舎の村娘になってゆく・・はずだが、変わったのは衣装と髪型だけで、体型も指の太さも肌の色も変わらない。 食うや食わずで生ける屍だった頃と、畑仕事に精を出し銃も構える南部女になってからの雰囲気にまったく違いがない。 ここが1つの見せ場だと思うので、時間の経過がヒロインから 感じられないのは痛い。
◆繰り返しの多用により、シンプルなストーリーなのにものすごく 長尺で無駄が多い。
故郷の恋人を思う気力だけで一歩一歩、血を流しながら歩む 男か、故郷で待ち続ける女か、どっちかに重点を置いたほうが よかったのでは。
故郷を、母を恋う気持ちで血へど吐きながら、という題材ならば、 すでに「裸足の1500マイル」があるわけで、 恋愛が主題で目指すものは違うものの、題材に斬新さがない。
両方を欲張ったせいで、なぜ南北戦争なのか、時代背景の 意味が薄くなってしまい、いつの時代でも別にかまわない、 悲恋物語になってしまった。
よくいえば、普遍的なのかもしれないが、敢えて時代を設定した以上は、それに即した物語にしてほしい。
アメリカにとって、南北戦争の持つ意味は大きいだろう。 独立戦争とも違う。(※余談だが、独立戦争を背景にした壮大なロマンス映画に、アル・パチーノ主演の「レボリューション」がある、これはすごい)
懸命に作り手がそこを訴えようとしているのがわかるだけに、 なまぬるさが惜しまれる。
◆ジュード・ロウを活かしきれていない。 英国きっての若手名優を起用して、この脚本では・・・。 ジュード・ロウ主演で戦争の狂気とそこではぐくまれるロマンスというところでは、「スターリングラード」が秀逸だった。 ジュードは、喋らせてナンボの、実に見事なセリフまわしをする 俳優だ。 無口な男という設定なだけに、魅力が半減。
◆セリフ関係でついでにもう一言。 ・・・全員、訛りがぐちゃぐちゃ・・・・・。 ジュードはもちろん、それはそれは美しい英国英語。 ニコールはがんばってはいるものの、オージー英語。 100点満点、南部訛りなのはレニー・ゼルウィガーのみ。 すっごく気になってしまったのだ。 南部をあつかった映画は数あれど、訛りにはどれもすごく気を遣っているのに、なんで本作は??
◆地主ティーグ、そこまで血も涙もないコトするなら。 力ずくでヒロインをモノにしてしまうのがふつうでしょうな。 俺の女にならないなら出て行け、といびってヒロインをいじめ、 村を追われたヒロインがどんどんおちぶれてどこかで娼婦になって・・なーーんて展開、ベタすぎますが、ともかく、 あれだけ暴力的な男がストーカーのようにじーーーっと見てるだけってのはヘン。
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気に入らなかったのはそこだけ(だけにしちゃ多いけど)。
もちろん、いいなぁと思ったところもあったわけで。
☆レニー・ゼルウィガーの演技! やりすぎ〜?というくらいの迫力で結構。 なにせヒロインの度肝を抜かねばならないのだから、中途半端じゃいかんでしょう。 アル中の父親にないがしろにされ、自力で生き抜くすべを身につけた男勝りのタフな南部の村娘。 さばさばとした性格、素朴さ、力強さの陰に見え隠れする孤独、 愛に飢えた心。 そして、初めての恋。憎まれ口をたたいても、にじみ出るたった1人の肉親へのやるせない愛。 ルビー役、お見事でした。
☆戦争未亡人を演じたナタリー・ポートマン。 大きくなりましたね、はもう禁句でしょうか(笑) 彼女はすばらしかったですが、そもそも、このシーンはなくては ならないシーンではなく、映画という器には余分だったかも。 連続ドラマで一年くらいかけてやるのなら、あったほうがいいエピソードだと思うけれど。
☆ジョヴァンニ・リビシ。 この人はあいかわらずですね。こういう脇役がいてこそ映画はおもしろくなる。
☆ジュナ・マローン。 大きくなりましたね(もうコレやめよう(^_^;) 彼女の大ファンなので、短い出演でしたが、おおっと思いました。
☆森の老婆のシーン。 ここは実にいいですね。命、未来、犠牲。短いシーンなのに 印象的でした。
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あと30分短く、主演がジョニー・デップで、ヒロインは無名の新人の若い娘さんだったら同じ脚本でももっと好きになれたかも。
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