お茶の間 de 映画
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2004年12月15日(水) 「ポーリーヌ」花の国ベルギーの、小粒だけど本物の真珠のような映画。知的障害のある60代の姉をめぐり、妹たちがてんてこ舞い。

『ポーリーヌ』【PAULINE & PAULETTE(ポーリーヌとポーレット)】2001年ベルギー=仏
★2001年カンヌ国際映画祭 監督週間キリスト教会賞
監督:リーフェン・デブローワー
脚本:リーフェン・デブローワー/ジャック・ブーン 
撮影:ミシェル・ファン・ラール
音楽:フレデリック・ドゥヴレーズ/フレデリック・デフレーセ 
 
俳優:ドラ・ファン・デル・フルーン(知的障害のある老女、ポーリーヌ)
アン・ペーテルセン(すぐ下の妹、ポーレット)
ローズマリー・ベルグマンス(末の妹、セシール)
ジュリアンヌ・デ・ブロイン(ポーリーヌの姉、マルタ)
イドヴィグ・ステファーヌ(セシールの恋人、アルバート)

ストーリー用ライン


ベルギーの小さな村、ロクリスティ。
知的障害がある66歳の老女、ポーリーヌは、独身4人姉妹の上から二番目。
かなり高齢の姉マルタが、手厚く手厚くポーリーヌを世話していた。
歌いながらお花に水をやることと、紙に書かれたメモをもっておつかいにいくこと、花の写真や絵をちぎって集めてはコレクションすること、それがポーリーヌの日課だ。靴ひもも自分では結べない。

近所に住むぽってりとふくよかな三女のポーレットは、小さな洋品店を経営しながら、夜は素人オペラのディーヴァをつとめている。
薔薇色のものにかこまれて花のように華やかなポーレットは、
ポーリーヌの自慢で憧れだ。
しょっちゅう、店にふらふらと来ては、妹にくっつく。
ポーレットは鬱陶しくてたまらない。

だがある日、とうとうマルタが帰らぬ人となってしまう・・・・。

葬儀の直前に、やっとこさ駆けつけた四女のセシール。
50代で子供のいないセシールは、ずっと前にこの田舎を捨てて
都会に飛び出してキャリアウーマンとして生きている。
インテリの恋人と同棲中だ。

さて、数分も1人きりでは置いておけない幼児のように手のかかるポーリーヌをどうするか。

毎日現実を見ているだけに、施設に預けると言い張るポーレット。
そんなの可哀想だと口先ではいいつつ、自分が面倒をみるのはイヤだと言い張るセシール。

ところが、マルタは遺書を遺していた。
公証人に内容を告げられ困ってしまう2人・・・。

施設に預けるのなら、遺産はすべてポーリーヌに。
妹のうちどちらかが手厚く世話をするのならば、財産は三等分に。

う〜〜ん。

当のポーリーヌは、大好きな、大好きな、お花のようなポーレットのそばがいい。
でも、仕事に趣味に多忙なポーレットにはつきっきりで世話は無理。
セシールは、妹といえど、十数年も逢ってなかった。顔も覚えていない。都会のアパートはとても狭く寝室1つとリビングだけだ。
だいたい、気むずかしいインテリの恋人が首を縦にふるはずがない。

う〜〜ん、困った。

資産家ではなかったから、財産たって血眼になるほどのモンじゃない。別にこだわるわけじゃないんだけど・・・・。
「姉妹仲良く暮らすこと」それがマルタの遺言だった。

とりあえず・・。ポーレットの家に身を寄せるポーリーヌ。
マルタと何十年も暮らした家は、売りに出した。

だが、予想した通り、次から次へポーリーヌがやっちゃってくれる
こと、逆にできないことの多さにポーレットはノイローゼ寸前に・・・・。

ついにキレてセシールのところへ押しかけポーリーヌを置いてきてしまうのだが・・・・・・。


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コメント用ライン


知的障害のある兄弟の面倒を見なければならない状況に追い込まれ、ふりまわされながらも、やがて自分の人生に欠落していた
大切なものに気づいてゆく、というあたりは、往年の名作、
「レインマン」 1988年・米 によく似ている。
また、知的障害者とのふれあいが人生の見方を豊かにしてくれた、という普遍的なテーマの名作に、
血の繋がりどころか縁もゆかりもない知的障害者になつかれてしまいてんてこまい、でも(以下、レインマンのテーマと同じ)、という「八日目」 1996年・ベルギー・仏
がある。

ベルギーの映画は、今まで観たものすべて、深い人間への慈愛と
ユーモアに満ちた、温かい映画ばかりだ。
ちなみにベルギー映画で一番素晴らしいと思うのは、
「トト・ザ・ヒーロー」。

お国柄なのか、そういう映画を選んでバイヤーが買い付けているのかはわからんが。
でも、国をあげて緑化、園芸に取り組んでいる“花の国”の精神
なのではないかな、と思うのだ。

「八日目」は、幸福感と悲劇が同居する結末にショックと、他に
どうしようもないのかな・・・という諦めが入り交じり、ちょっと複雑だった。
コッポラの「雨の中の女」もそうだった。
身寄りのない赤の他人の知的障害者を一生世話は現実的に
できないわけで、悲劇にもっていってしまいがち。
「八日目」は神様のお気に入りとなって天に召されるのだから
単純に悲劇とは片づけられないが、信仰心があるかないかで
あの映画の感想は両極にわかれるだろう。

前ふりが長くなったが、本作は、赤の他人ではない。
「レインマン」寄りの物語と思って大丈夫。

ただし、状況は全然違う。
全員独身、高齢4姉妹(末娘は50代くらいでまだ若いが)。
ポーリーヌに、特殊能力はなし。
映画のはじめは、障害ではなく老人性痴呆症かと思った。

「レインマン」はめちゃめちゃどシリアスな映画である。

本作は、老人問題、知的障害者を抱える家族の問題を描きながら、
・・・・コメディの要素がかなり強い。
誤解しないで頂きたい、可愛らしすぎる行動をとるポーリーヌを
笑うのではない。
彼女が、チャイコフスキーの「花のワルツ」を口ずさみながら
花に水をやる姿や、美しいものに見入る姿に目尻が下がることは
あっても、可笑しくなんかない。

姉の言動に振り回され、自分を見失っている妹たち、特にやはり
ポーレットが可笑しいのだ。
そして、自分だったらどうするべ?と思うとき、深刻にずもーん
(-ι-;) と悩む方向にはゆかないんだな、この映画。
ずもーん(-ι-;) ときたのは真正面からアルツハイマーを
患った高齢の妻を介護する高齢の夫を描いた「アイリス」
問題が身近すぎて・・・。

この「ポーリーヌ」、高齢である、ということが、問題をかなり身近にしているように思う。特殊な問題、でありながら、実は普遍的じゃないか?

知的障害者の施設を、老人ホームにおきかえてみると、
家族、兄弟姉妹のいる人は、いつか直面する確立が高いはずだ。

でも、この映画の優しさと明るさは、ポーリーヌ、という女性の人間性によるものだ。
大事なこと。それは、知的障害者=ポーリーヌ ではないし、
ポーリーヌ=知的障害者 ではない、ということ。


障害があったってなくたって、人格とは別物だ。
この映画が微笑ましいのは、ポーリーヌがステキなレディだから。
そして、その妹のポーレットも、大輪の薔薇のようなレディだから。

みんな、自分が生きるため、誤魔化しなしの本音で話す。
一見すると偽善者のように見えてしまいがちなセシールだって、
施設に入れたら可哀想だから(実際には、ポーリーヌ、施設で
とても楽しい日々を過ごし、同じ趣味の友達もでき、成長もするのだから、セシールの勝手な思いこみなのだが)、誰か身内がひきとるべきだ、でも私はできない、というのは本音だ。
姉を愛しているから、出る言葉だ。

愛してなかったら、スズメの涙の財産なんかにこだわらず、
施設に預けなさいよ、と言うだろう。
何十年も、家族と故郷から逃げていたセシールの後ろめたい気持ちが、腫れ物に触るようにポーリーヌを扱う姿の滑稽さで際だつ。

セシールがしてあげられたこと。一番お金持ちで一番若くて元気だけど、してあげられたのは、ポーリーヌの大好きな花のカーペットを見せてやり、「花のワルツ」のオルゴールを買ってやれたことだけ。でも、それも彼女なりの愛。

この映画を観ると、同じ知的障害というキーワードからも、
その「選択」というキーワードからも、を「アイ・アム・サム」
思い起こす。

ポーリーヌにも、ポーレットにも、一番よい選択(グッドチョイス)を。
ラストは、ほぼ「アイ・アム・サム」と同じととってよいだろう。

一緒に暮らすことだけが愛じゃない。仲良しの証拠じゃない。

映画という枠を離れて、何年か後に、ポーレットが先に他界しても、あるいは、高齢によりポーレットが老人性痴呆も出て
シモの世話が必要になったその後、突然、施設に放り込まれるよりもずっと幸せなはず。

ファンタスティックな映像と、とても現実的な物語。
愛に満ちている。
それはうわっつら、何でもしてあげるわ、大好きよ、というものではなくて、姉妹1人1人のポーリーヌに対する愛情表現が本物だから。
マルタは世話を24時間やき、手厚く守った。でもポーリーヌの自立は妨げられた。でも、それも愛。
ポーレットは怒るしグチもこぼすし、24時間かまっちゃいられない。施設にも入れる。でも、おかげでポーリーヌは靴が自分で
はけるようになり、パンにジャムを塗ることも覚えたし、
家族以外に、「友達」もできた。彼女の自立を無意識にでも促したのだ。これも愛。
2つの愛を比較なんてできない。どっちも本物だから。
セシールは、オルゴールを贈ることしかできなかったけど、
そんな自分を責めている。それだって愛。

なにかすることだけが愛じゃない。
何もできなくて優しい言葉をかけるだけでも、手をかさないことも、愛だったりする。


大事な人がいるなら、逢いにいこう。そして話そう。
モノを贈るのでもなく、つきっきりでもなく。



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