2004年11月28日(日) |
「ボクシング・ヘレナ」美女の虜になってしまった男が彼女の四肢を切断し、文字通り“虜”にし監禁する。 |
『ボクシング・ヘレナ』【BOXING HELENA(箱詰めのヘレナ)】1993年・米 監督: ジェニファー・チェンバース・リンチ 脚本: ジェニファー・チェンバース・リンチ 撮影: フランク・バイヤーズ 音楽: グレーム・レヴェル 出演: シェリリン・フェン(ヘレナ) ジュリアン・サンズ(医師、ニック) カートウッド・スミス(ニックの同僚、アラン) ビル・パクストン(ヘレナのセックス・パートナー、レイ) ベッツィ・クラーク(ニックの恋人、アン)
エリート青年外科医師、ニックは医師としての腕前もよく、患者にも同僚にも優しい美青年だ。
彼は裕福な家庭で育った。名医の父、美しい母。 だが、仕事しか頭にない父にも無視され、性的には魅力のない父に 愛想をつかし豊満な肉体をもてあました母は、昼となく夜となく 客人たちと情事にふけっていた。
その美しく妖艶な母の淫らさ、そして邪魔もの扱いされた記憶は ニックのトラウマとなる・・・。
そんな母も年老い、天に召された。 特に感傷はないはずだった。
難しい手術を終え、同僚とバーで一杯ひっかけていると、 奥のほうに妖艶な美女が・・・! ヘレナだ。 たった一度だけ、抱いたことがある。もう何年も前のことだ。 雷に打たれたように怯え、バーを逃げ出すニック・・・。
何年かぶりで訪れた母の屋敷に取り憑かれたニック。 情事の後で、乳房を露わに冷たい目で自分を見下ろす母を 思い出したのだ。 ここで暮らすことに決め、恋人のアンを夕飯に呼んだ。
病院勤務の清楚なアンが料理を作っている間に、 ニックはジョギングに出るふりをして、ヘレナの自宅を覗きに・・・。
精悍な若い男との淫らな行為にうっとりとふけるヘレナの姿を見、 ニックは何がなんでもヘレナを手に入れようと決意する・・・。
もう、ニックは仕事もアンも興味がなかった。 引っ越し祝いと称してパーティを催し、ヘレナも招いたが、 ヘレナはニックになど目もくれず、他の男と闇に消えた。 ニックを鼻で嗤って・・・。
この夜、ニックはヘレナのバッグから住所録を抜き取って隠していた。もちろん、もう一度逢う口実を作るためだ。
怒り狂ったヘレナがニックをののしりながら屋敷の外に飛び出すと、暴走してきた車にヘレナが無惨にも轢かれてしまう・・!!
数週間後。 ニックの屋敷には、両足を切断されたヘレナが女王のように花だらけのベッドに寝かされていた・・・。
ヘレナは悪態をつき、早漏のニックをあざ笑い、車いすで暴れる。 ニックはヘレナの両腕も切断してしまうのだった・・・。
祭壇のように花で飾り立てた椅子に胴体だけになったヘレナを恭しく置くニック・・・・・。
食べさせ、化粧させ、24時間ヘレナにつききりだった。 所有物として愛しているのか、女として愛しているのか はっきりしろと迫るヘレナ。 だが、ニックにはその違いが理解できない・・・。
女として愛しているのならセックスしてみろと迫るヘレナ。 だがニックは崇拝するヘレナに怖じ気づき、キスもできない・・・。
この歪んだ愛に行き着く果てはあるのか・・・・。
残念ながらビデオもDVDも発売されておりません・・・・。 レンタルビデオ屋さんにはけっこう置いてあります。
マドンナが出演を拒否、キム・ベイシンガーが途中降板して その訴訟費用がとんでもない大金だったことなどもこの作品の本質とズレたところでイメージを悪くしている。
でも、キムは出なくて正解ですね。
1994年のラジー賞でワースト監督賞を受賞(?)。 D・リンチの娘だけあって、倒錯愛の描き方と官能美に関しては 文句なし、だが、 あらかじめ、申し上げておきますが、映画の展開で最も嫌われる 「妄想(夢)オチ」です。 なんでわざわざバラすかというと、例えばクローネンバーグ監督の映画のような凄惨なラストや、逆に「ミザリー」のような逆転勝利を期待してご覧になると、この2時間を返せ〜〜!!と 叫ぶことになる可能性が高いから。
一応、オススメの映画を紹介するというスタンスでいますので、 ストーリーが面白いのか、ディティールが面白いのか、テーマ性が面白いのかを明記しておかないと、いかんと思ったのですよ。
あまりにもおすすめ度数の低い(あくまでも主観で)ものは、公の場でけなす必要性を感じないので、日記に載せないことにしています。
ここで書いているということは、好き嫌いのいかんに関わらず、 紹介しておきたい、と思うからです。
映画全体の雰囲気は、 (「ミザリー」+「コレクター」=愛から監禁)÷「ZOO(P・グリーナウェイ)の美意識」かな〜?
「ZOO」の世界観にかなり近い美学かなぁ?
事故以降が彼の妄想であろうことは、予測がつきました。 なぜなら、すべてが彼の望み通りであるから。 好きな女を監禁し、かつ、彼女に“罵られ続けること”。 母にされてきたこと=“罵られ軽蔑される”こと。 歪んだ究極の愛情表現であり、ヘレナに股を開かれて受け入れられてしまうことは、言葉とは裏腹に、ニックの望むところではないのです。
だから、ヘレナに求められたとき、妄想は幕を閉じます。
もうちょっと物理的なところからゆくと、 キスもできない女神的な(実際、ミロのヴィーナスと混同している)存在の彼女の、シモの世話ができると思います? 彼女の股に触れておしっこやウンチの世話ができるはずがありません。見たとたん、早漏の(実際にはたぶん違う、そう自分を卑下している)彼はお漏らししてしまうでしょう。
常に新鮮な大量の花が飾られていること、収入はどうした、 ヘレナの着せ替え人形のようなドレスはどうした、 越してきたばかりの母の家に大手術が行える研究室などあるわけがない、車いすを動かせないようにするだけなら、手を肘掛けに縛ればよいだけのこと、2週間以上行方不明になれば自宅に警察の強制捜査が入るのが普通、洗濯はせず、一度来た服は二度と着ない、など、あまりの現実味のなさに、これは 妄想だなと予測しつつ見ていました。
そういう意味で、ミロのヴィーナスが倒れて(理想の崩壊)、 夢が終わる、というのは理にかなっているというか無理がないというか・・・。
もっと薄汚い雰囲気だったら(クローネンバーグみたいに)、 とことんの破滅を期待できたのだけどね。 両手両足のない人は、あの椅子では倒れずに座るのは不可能。 実は、計算されつくしているのじゃないかしら?と思ったわけです。
いきなりの、なんちゃってね、妄想でしたw っていうオチとは ちょ〜〜っと違う。
ストーリーは、確かに妄想オチ。 だけれども、映画が描こうとしたのは、その妄想の部分なのです。
結末よりも、主人公の心の世界をメインテーマに描いた作品だと 考えていいでしょう。
ジュリアン・サンズの妖しい美しさと哀れさ、シェリリン・フェンの、冷たい気品と生臭いフェロモン臭が同時に漂う不思議な魅力、 きわどいバランスの上にあぶなっかしく儚く存在する映画なのです。
ごく個人的な趣味を言えば、最後まで堕ちてほしかったけどね(笑) 「ZOO」じゃないけど、両足を腿で切断された娼婦は足を決して 閉じられない。死ぬまで股を開き続け愛され続ける。 両手をも失ったヘレナは自慰にふけることも許されず、ニックに 悦ばせてもらうしかない。 そのへんまでつきつめれば、R-18指定のすげー作品になっちゃったでしょうねぇ。
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