エイズデーわしも考えた |
今日は世界エイズデーだそうです。
なんでMTV(最近ホント、こればっか見てるな)でエイズや性感染症の特番やってるのかなと思ったらそういうことでした。エイズ感染者の勇気ある方々が顔をさらしていろいろ話しているのだけど、
「コンドームをつけて欲しいと頼んだら、断られたわ」 「そもそもつけて欲しいと頼んで断られたらイヤだから、言えないのよ」
などと口々に言ってるのを見て(しかも彼女たちは、そこでコンドームをつけて貰えなかったからこそ、HIVや性感染症に感染してしまったのだ!)、 時代は21世紀なのに「処女である」と告白することと「コンドームをつけて欲しい」と頼むことは、未だに女性を苦しめる発言だよな〜、などと思ってしまいました。女性は皆、この2つ(まあ、処女のほうは最初だけだけど。いや、そうでもないか、男性経験が少ないことを告白するのも一緒か)を口にすることで「だっせえ女!」「めんどくせー女」と引かれることを本当に本当に怖がっているのですよ。そこんとこもっと肝に命じてくれよ男性諸君!
私も遅めの処女喪失でしたが、処女喪失の機会に自分が「処女である」ということを告白するのがとにかく怖かった。引かれるんじゃないか?バカにされるんじゃないか?ということで頭がいっぱいでしたよ。その時は引かれたりバカにされなかったので、まあよかったけど、 4年くらい経ってから当時付き合っていた男が「あいつは俺とヤった時、処女だった」と言いふらしていたことを知りましたがね。 サイテーな男だよねー。生きてる価値ない男だよねー。 まあ、今や何も感じない=私の中では死んでいる男なので、どうでもいいけどさ。事実だし。よかったねえ、私が4年(まあ今はその二倍以上の時間が経っているわけだが)の間に立派に図太い女になってて。おかげで恨まれずに済んだじゃないの。まあ、 そして今となっては、処女は大事にしたほうがいいよ!簡単にヤラせちゃダメだぜ!と若い女性に対して思う日々でございます。20〜25歳の間くらい(私の思う理想的喪失年齢は22歳)に喪失するのがいいと思います。25過ぎて処女だと、セックスに対する幻想が高まりすぎて現実と折り合いがつけられなくなっちゃったりする可能性があるので。 ちなみに、ここ最近20代前半くらいの女の子と話す機会があったのですが、その子がやたらと「私は性経験が豊富なんです」というようなことをアピールしていました。若くして性経験豊富なんて言わんでいいよ。おーい、自分で自分の価値を下げているぞーい。まあ、これも「性経験が乏しいと思われたらいやだ」というのの裏返しだろうな。いいじゃない、それでも。彼女もきっと、いつかそんな自分を受け入れられるようになることでしょう。
話が逸れた。 コンドーム装着問題のほうが話したかったのだ。 いやホント、コンドーム着けたがらない男は多いわな。「着けて欲しい」ということを言うと、なぜか皆さんたいてい、「大丈夫だから」と言いますが、 性感染症/エイズとはちと違うが、生理が来ない!という不安と闘うのはおなごなんだっつうの。実際、生理が来なくて妊娠してたとして、一番心身共に闘うのもおなごなんだっつうの。 何も「大丈夫」じゃねーよ、と言いたい。 その自信は何?どっから来てんの?やりたいだけっしょ! こういう平静時はそう思えるし、言える自信もあるのに、いざ本番の時は言えないものだ。 性感染症に感染した女の子の話で、思わず泣いてしまったのだけど
「検査結果を知った時、『なんで私が?』と思ったわ。そしてパートナーに話さなきゃと思ったの。でも結果が怖くて・・・パートナーに話したところ、相手は告白後、私を避けるようになったわ・・・」
コンドーム装着を嫌がるのは男のほうが圧倒的に多いのに、 感染がわかったら女が悪者扱い。 ほんと、割に合わないよなあ。やりきれない気分になりますよ。 こっちのほうが、性病なんかよりずっと痛いんだ。ずっとずっと傷つくんだ。
まあ、悪者扱いされようと、避けられようと、女はひとりで荒野を闘って生きていかねばならんのだ。 傷つけられた心は治らないかもしれないが、性感染症は治る。 エイズだったら治りはしないが、一緒に生きていくことはできる。 一番大事なのは、自分に誇りを持つこと、なのかもしれませんね。すなわち妥協しないこと。妥協した男とは付き合わないこと、妥協したセックスはしないこと。 でも妥協しなさすぎてもダメだしなあ。全然誰ともしないってのも違うと思うし。さじ加減が難しいのー。 とにかく、自分がしたいセックス(コンドーム装着してもらうセックスな)をするべきだよ、女性諸君!
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2008年12月01日(月)
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