ティーネイジちょい過ぎファンクラブ |
前回の日記に「甲子園賭け、そろそろ本腰入れてやらねば」と書いておりましたが10日間忙しくやってる間にすでに甲子園賭けの決着つきました。日記書かないと途中経過がわからんね。 結果から言いますと、いつものローカル賭けも今回新たにやった賭けも両方勝ったよ! 縁起のいい春であるなあ。 賭けは毎日の生活を潤わせますね。 ちなみに次回のローカル賭けのお題は「都知事選」なのだそうです。 もはや「賭けの対象はなんでもいいのか」というレベルである。しかしこら難しいわ。 わたくしのおうちは「ほかの選挙は一切行かなくてもいいから都知事選だけは行ってくれ」という方針の家なのですよ。というわけで都知事選だけは必ず行かされる訳だが必ずミッションとして「現知事以外に投票しろ」というのが課されるのであった。我が家の一部からね。私は東京に執着も愛もねえんでどうでもいいのであるが。(甲子園賭けは帝京のおかげで勝てたけどさ)
という具合であるのに、実はわたくし、今回の都知事選の候補者を一切知らないんだよなー 不勉強で申し訳ない。不勉強なのもなんなのでココで調べてみたよ http://blog.livedoor.jp/samuzorahadaka/ いろんな人がいるのだな。 しかしほとんどが犯罪者写真にしか見えない罠。
あと東京都の選挙ホームページに載っているイメージキャラクター「権さん」と「リッキー」が意外にかわいいです。権さんは「年齢:不詳ですが、おそらく、40歳〜50歳」の江戸っ子でリッキーは本名「りえこさん、エリさん...色々な説がありますが、不明です!」というゆるキャラ。全然かわいくないんだが、「意外にかわいい」と思ってしまうんだよなー。何故だ。
話はだいぶ変わりますが、ここ最近21、2歳ぐらいの女の子と話す機会が増えております。 男も後輩君など23くらいの子と交流する機会が多いな。 今まで「ヤツザキはここいらで最年少」「妹分」「弟分」などと言われておったのですが(弟は間違っていると思いますが)、まあ私も今年で28ですからね。年取ったわい。 そして年下の子たちと話すのは楽しいなあ。 「ヤツザキさーん、聞いてくださいよ〜」とたわいもない話されたり相談事されたりするともう全力で抱きしめてあげたくなるね。取るに足らない悩みなら笑い飛ばしてやるし、そうでないものであれば何とかしてあげたいと思ってしまう。間違っていることは間違っていると告げるし、こうしたほうがいいんじゃない?とアドバイスしてあげたくなる。 それくらいの年齢の子達がかわいいのですよ。 私のようなダメな大人を慕ってくれるとは!感謝ですわ。 そもそも、私は「自分は高校の時から変わってないのではないか」「大人になりきれてないのではないか」と疑問を抱いていたわけだが、若い子らにいろいろ話をしてもらうことによって「ああ、私はとっくに大人なんだなー」と自覚できたのであった。既に十分歳を取ってるよなーそら。 なんでそこがスムーズに自覚できたのかというと、まあ今に至るまでの間にわたくしも年上の方々と交流してきたからなのだけど、年上の方々には二通りいましたな。
1.年上として、人生の先輩として接してくれた人 2.同い年の感覚として接してた人
最初はどっちも私から見れば「年上」にしか見えないのだけど、だんだんとこういうのってわかってくるのだよね。そして私が今、年下の子らがかわいいなあと思えるのは前者の人たちのおかげであることがようわかる。 もちろん同い年っぽい感覚も大事だと思うのだ。年齢関係ない感じで接してもらえることもありがたいことだと思うのだ。 しかし、
「同い年の感覚=年下側の歳に照準を合わしている=自分はまだまだ若いと思っている」
人はなー。 ぶっちゃけ厄介だったなー。 私は年上の方々が同い年感覚で接してくれている場合、「年上側の年齢のほうの扱いをしてくれているのがありがたい」と思っていたが、皆がそうではなかったんだよな。たとえば私が24の時、「ああ24の扱いしてくれないのが心地よい」と思っていたのだけど相手側は「むしろ私は24と話が渡り合える。まだまだ若い」などと思っていたフシがあったと気づいてしまったよ。(それは当時は気づかないが自分が年を取って気づいた) 自分で「私は若い」と思うこと自体は一向に構わないことだと思うし、周りから「若く見える」と言われる事もいいことだと思う。若いという自意識と周りの「この人は若い」という認識がイコールあるいは自意識<周りの認識くらいだとちょうどいいのだけど、 自分のことまだまだ若いと思っている人はあからさまに 自意識>>>>>>>>>>>>>>>周りの認識 なんだよね。 そう思っている人は必要以上に実年齢をアピールしたがるがそれはある種のカモフラージュでしかない。というか「自分で申告しているのだから周りは言ってくれるな」というサインだな。 あと自分を若い!まだまだイケル!と思っている人って疲れるんだよなー。図々しいなこの人、と思うことが多いであるよ。それを笑い話の感覚で「アンタ図々しいよ!」と指摘できる間柄ならいいのだが。指摘したらした途端に「若造の癖に生意気な!」というような年上オーラ出したりする人のほうが圧倒的に多いから厄介だ。 うちのおばはん(本当に血が繋がってる人)が言ってたけど
「女は、20から25までの間に女性ホルモンが沢山分泌されて女らしくなるのよ。 25が頂点なの。肉体の女性化に伴って頭の中も25で女ざかりになるのよ。 だけどね、25を過ぎたら下り坂。女性ホルモンはどんどんショボくなって 女としての機能もどんどん失われていくんだけど、 厄介なことに頭の中だけは25のままで止まっちゃうのよね〜 でもちゃんと25を過ぎたら女下り坂ということを理解しておけばいいんだけど 理解できないとか理解を拒否する女はね、 30になっても『アタシまだまだイケル。まだ平気』って思って 35過ぎた時に衰えを実感するのよ。で、時間がないって焦りだすの。 そしてもっとも哀れなことは そういう女って永遠に頭の中が25だから衰えを認めないのよね〜みっともないのよね〜」
これ、私の作り話じゃないから。 わたくしの叔母の発言ですから。 これは「あなたももう27だから、下り坂なのよ!全然若くない!まだまだ大丈夫、とか、いつかそのうち、はないから!」という私に対するハッパかけの発言だったのですが(十戒ばりに)、聞いてて膝打ったわ。やわな生き方を変えられない限り限界なんだわ嬢ちゃん、イライラするわーというメッセージでしたよ。私も25で頭止まってたらいかんなーと思った次第。時間は無限にあるわけではない。
まあそんな人たちとの交流の経験よりも、人生の先輩としていろいろ相談に乗ってくれたりアドバイスしてくれたり話聞いてくれたりした人たちがいてくれて私は本当によかったですよ。昨日もわたくしのゴッドねえちゃんが「ヤツザキはかかえてやる」と電話で酔っ払いながら言ってましたが。 つまるところ、私はそうやって助けられたり支えられたり導いてもらったりしてここまでこれたので、年下の人たちには同じようにしたいのだよなー。私のようになることは決しておすすめできないが、私がしてもらってきたことはおすすめしたい。そうやって年上の人たちと交流していくべきですよ。そのうち自分にとって有益な人や無益な人、害悪のある人などが自然にわかるようになるし。今21,2の子がいつか私と同じくらいの年になって「あーヤツザキの言ってたことたいしたことなかったなー」と思ってもいい。それでも交流していくことは大事なことだ。会話することは大事なことだ。若いうちにたいした交流や会話をしなかった人は、自分だけのわけわからない考え方に辿り着いていることが多いからな。そういうのは相手にしなくてよろし。そしてそういう風にはなっちゃいけない。
最近話す21,2歳の子は何人かおりますが、彼女らが共通して言うのは 「私、人見知りで(知り合いが増えない)」 ということでありますね。 ヤツザキさんは人見知りしないですよね、知り合い多いですよね、という前提で言われるわけですが、かといって私が人見知りでなかったわけではない。最初から知り合いが多いわけでもない。まあ、実際今は人見知りしなくなったわけだが昔はそうでもなかった。 私は元・人見知りなのですよ。 私の場合は近親者に幼少時から 「あんたは人見知りで引っ込み思案。友達がいない」 と言われ続けてきたのでこれは克服せにゃいかんものだなと思ったわけです。昔炭酸が飲めなかったのを「炭酸飲めないなんてダッセエ」とバカにされていたので克服したのと同じ理論ですな。 克服したとは書いたけど、とりわけ「人をみかけたら話しかける」「人に出会ったらあだ名をつける」「いきなりタメ口で話すようにする」などという努力はしたことなかったなー。んなこと努力することではないけれど。小学校低学年くらいまでは人と話すのが苦手であった。前も書いた気がするが小学校低学年までは「なんで友達と遊びに行かないんだ!」「なんで家にいるんだ!」とよく怒られたものです。今考えると怒りの方向性がよくわかりませんが。(あと家に友達呼びなさいってのもなかったなーそういや。家にいたり家に日人呼ぶのを怒られるてどんなんだ) あとすごく覚えているのが、小学校低学年時に近親者と歩いていたらクラスの男子たちの遊び現場に遭遇したのだけど、当時は男子と 「男子便所/女子便所に閉じ込める合戦」 をしていたので敵対の意味で素知らぬふりで通り過ぎたら 近親者に 「そうやって人見知りして!キーッ!何照れてんの!恥ずかしい!」 と道端で大声で言われたことがあったなー。 私はほかの女子の持ち物を奪還する為に男子便所に閉じ込められた屈辱があったので(女子便所と繋がっている物置から脱出した記憶がある)話さないのは精一杯のプライドであったのに、頭の固い大人はそういうことが理解できない。まあ子供は何も考えてないって思いたかったんだろうけどさ。いろいろ考えてましたよ。今と同じレベルのことを考えることもあったさ。(ということは今の自分がまだ幼いのか?ようわからん)
しかし中学年以降は自然に人見知りでなくなった。何がきっかけだったかは思い出せないのだが。むしろ遊びに行き過ぎて怒られてたわ。チャリンコで錦糸町行き過ぎて怒られてたわ。 もともと人見知り気質ではなかったのだろう。「あんたは人見知り」と言われ続けて自分でそう思い込んでいただけなのかもしれない。呪いは信じた人にかかってしまうからね。 人にかけられる呪いも厄介だが、自分で自分に呪いをかけてしまうのはもっと厄介なことだ。 「私は人見知りなんで」 というのはまさに自分で自分に呪いをかけている状態だと思うのですよ。 そもそも誰でも知らない人に話しかけたり、知らない人と打ち解けるのは怖いもんですから。相手は自分じゃないのだから。そら勇気がいることですよ。 世界を広げたい、知り合いを増やしたいと思っているのに「人見知りなんで」なんて呪いで諦めてしまうのはもったいないなと思うのです。待っているだけの状態のところにやってくる知り合いや世界はロクなのがないからな。キャッチとかダメ恋愛とかそんなんばっかだ。 ほんの少しでもいいから勇気を持つつもりがあるのなら、自分の呪いを解きたいという気持ちがあるのなら私はいくらでも世界を広げるきっかけを与えますよ。私はたいしたことないが、私の周りにいる素晴らしい縁を紹介しますよ。ただ、私に出来ることはそれだけだけど。道を進んでいくのは自分自身ですから。
私もハタチやそこらの頃は知り合い少なかったなー。 何をやりたいのかはっきりすらしなかった。自分に何ができるのかもわからんかった。のわりにはプライドだけいっちょまえでタチが悪かったな。そういう頃に知り合ったのが今でもお世話になっているライターさんであったわけだが、それがきっかけでいろんな繋がりができましたよ。更に会社入ったりいろんなとこ出かけたりで広がったし。すべてがその方のおかげで広がった縁ではないが、あの時きっかけがあったからこそ今の人間関係が築けたと思っております。 20代も後半になって思うことだが、ハタチや21なんて十代とさして変わらないのですよ。年が一個二個増えただけで不毛の時代であることには変わりない。でも十代と違うのは「このままではいけないな」「これからどうなるんだろう」と思えるようになることだと思う。思うだけでなんにもやらなかったり、思ってはいるが何していいかわからなかったり、思いすぎて間違った方向に突っ走っちゃったり。 いろいろあるが、そのくらいの年齢で「まだそんなことで悩んでるのが恥ずかしい。もう20代なのに」と思っている子が私は大変いとおしい。飲みに連れてってあげたくなる。そして奢ってやりたくなる。(自分があまり金持ってないときは多少出してもらって申し訳ないなと思ったりする)とにかくあがいたりしている子を応援したくなるのだよ。
きっと、今まで私に「それくらいの年齢の時はそうやって悩むもんだよ」「もっといろんな人に出会ったほうがいい」「ヤツザキはこういうことに向いていると思う」と飲みの場でアドバイスしてくれた方々は同じような気持ちだったのだろう。そっちの心境がわかるようになれてよかった。頭ん中25で止まってないのも実感できてよかったよかった。 ま、もう20代も後半なのに悩みはいっぱいですけどね。お恥ずかしながら。 目下の悩みは「部屋の片づけが進まない」ことですかね。これ悩みじゃなくて自分の努力不足だけどな。 部屋が片付かないと「はいからさんが通る」の続きが読めない罠。青江冬星カッコヨス!
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2007年04月02日(月)
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