アイム・ノット・ダウン(オレオレ主義に対して) |
わたくし、図々しくも人の夢に出現したらしいですよ。 しかも20歳のギャルの夢にだ。 わざわざメールで「昨日の夢にヤツザキさんが出てきたんですよ」と教えてくれたのだった。ありがたし。 で、肝心の夢の内容はどんなものだったのかというと(以下転載)
>どっかの呑み屋。 >みんなでヤツザキさんお薦めのイカを食べるの。 >あたしは西村と恋愛話をして >ぼーずくんがみんなの茶碗にイカをよそう係。 >ヤツザキさん「ななこチャンも食べて食べて〜おいしいから! >しかもコレ保険きくんだよ〜!」 > >イカに保険きくことにビックリして飛び起きて爆笑。
爆笑はさておき、保険きくってのを実際に口にはしないと思うのだけど、なんか夢っぽくない話だな。 これに準ずる無責任発言はするし。 て、私、イカのお薦めは知らないのだけど。イカ好きではあるけれど。 この夢の話を聞いたら無性にイカ墨汁が食いたくなりました。 食いてー!
はてさて、話は変わりますが、人間関係というものは大変難しいなあと思う今日この頃。 私は属性で語りたがる人が苦手だ。 って書くとわかりづらいが、要するに帰属をすべてだと思っている人な。その中には肩書きで生きている人も入る。私は肩書きがないのでそれで大変苦労したり、帰属をなんとかして手に入れなければ!と奮闘したことがあったがそれは大変バカらしいことだということに気づいてしまったので今は比較的平穏だ。私はしがないサラリーマンですよ。それでいいよ。どんなにあがいてもそれ以外の何者でもないしな。 社会的帰属はこの際どうでもいいし、「〜の友達」「〜の恋人」「〜の夫(あるいは妻)」的な帰属もまあいいとする。実際にはどこに帰属していようが個人は個人であるので、帰属があろうがなかろうが関係ないことだと思っています。 ただ、私が厄介だなあ、とか、面倒くさいなあ、と思うのは
「帰属に則って関係を築こうとする人々」
である。社会的帰属に則って関係性を持とうとしてくるのはまあしょうがないだろう。 しかし、個人と個人の関係ってゼロから始まるはずなのに、帰属に則って、というか乗っかって関係を築こうとする人はいきなり図々しいところから始まったりする。話がわかりづらいが、要するに 「〜の友達だから失礼な態度をとっても平気」 みたいなやつのことですよ。 おまえの友達とは随分前から仲良いけど、おまえとはついこないだ知り合ったばっかだろう、なのになんでそんな図々しいんだよ、みたいなのはつらいなあ。私も会っていきなり打ち解けるなんてのはよくあるし、打ち解けたらいきなり図々しく話す時もあるけれどさ。でもそういうのってフィーリングとか、雰囲気とか、ウマがあうなどがあってこそ成立するものだと思うのですよ。 ウマも合ってない状態なのに 「私、〜の恋人ですから、〜と同じように接してもいいわよね?」 「俺、〜の恋人だから〜と同じ言い方しても文句ないだろ」 みたいなことを強要してくる人は本当につらい。いや、本人たちからすれば決して強要ではないのかもしれないけど。単に接する自分のほうが違和感を感じて、勝手に気を使って勝手につらいと感じているだけなのかもしれないけど。 百歩譲って勝手に心を狭めているのは接するほうの自分だとする。 そうだとしても、「狭められている」という事実に対して気を使わないんだろうか。私は「あ、気使われてる」なんて気づいちゃったらその場に居づらくてしょうがないけどなあ。 それはまあ、先日友人に指摘されたけど、私が「変なところで自意識過剰」だから感じることなのかもしれないけど。
そうだとしても、私は「人に気を使わせる」人間にはなりたくないんだよなー。 自然に、皆平等にわいわいとしたいのだよ。そういう雰囲気を自然に作ることができる人間になりたい。 よく話の中心になりたがる人がいるけれど、話も中心なんてなくて構わないと思うております。気持ち悪い平等主義(世界で一つだけの花のような)ではなく、本当に心から「俺が」「俺が」「私が」「私が」の人間が嫌いなんだよ。オレオレワールドの人間には屈しないと心に決めておりますので。あんな奴らのいいように世界を回すつもりはこれっぽっちもない。
先日もローカルな呑みの場でオレオレな女子が「さあみんなで私の話をきいて!」とばかりにオレ節を披露しておりましたが、私は彼女のことは嫌いではないけれど、こういうところは認めちゃいけないと思った。違うと思うことには屈しません。気を使えることが大人なのかもしれないけど、間違っているものは間違っていると思う。そして受け入れられないことだってあるのだ。だから私はその話をほとんど流し続けていたわけだけど、それはそれでしょうがないと思って欲しい。 全ての話、すべての感情が万人に通用するわけではないですから。それはこの日記とて同じことだが。
なんかまあ、いろいろと目まぐるしく変化する日々が続いておりますが 変化ってのは外から来るもんなんだなーということを強く実感した一日でした。 その変化は取り様によってよかったりもするし、悪かったりもする。人によって交通事故だったり、道でお金拾っただったりもする。私にとって今日の話は笑っちゃうくらいにラッキーな話だったな。もう、おもしろい方向に話が転がってるなあ、と。人生はネタだ。 って、周りはそうでもない人多いからあんまりラッキーとは騒げないが。 しかし先輩(この日記に出てきた兄ちゃん先輩)には 「アンタ、喜びすぎ」 「テンション上がりすぎ」 と怒られましたよ。そんなにテンション上げてないはずなんだがなー しかし喜びというものは滲み出るものだからしょうがないのかもしれん。
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2007年02月28日(水)
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