マイ・バカんなってパーんなってGO・バレンタイン |
略して「マイバカ」 ケヴィン・シールズも思いつくまい。
昨日はバレンタインでございました。 私もサラリーマン兼OLのはしくれでありますので(世間的には後者のはずなんだが、なぜか後者だけだとは言い切れない)前日は会社の女子らとともに袋詰めをやりましたとも。 妙にキャリアウーマン志向の強い女性は 「バレンタインなんて不公平!やらないべき!」 「女が群れて男に媚びているようで不愉快!」 などと声高に叫んだりするみたいですが、私はキャリア志向でもなんでもないし、女子ばっかで会議室でワイワイしながら作業するのは楽しいもんだ。途中チョコ食ったりして。 私は文化祭前日みたいなことが好きなのですよ。そういう性質なのですよ。 毎年このイベントに参加しているのも、この前作業が楽しいからといっても過言ではない。この買出し→袋詰め→雑談のためにバレンタインのチョコを配っているのかもしれない。いや、絶対そうだ。
わたくしの隣の席の自称「バリバリ働くキャリアウーマン志向」「バリバリ働きたいので結婚は絶対しません!」という女は 「へーこの部署ってそういうことやるんですかーお金なら出しますけど」 と上から目線で言い、金だけ出して商品選び、袋詰めなどの共同作業をすべてボイコットしてました。こちらとしても女子でワイワイと作業しているところに彼女が混じってくると一気につまらなくなる(自分の自慢しかしないから)のでそのスタンス大歓迎なのですが、なんつーか、この
「私は群れない女!男に媚びない女!アナタたちとは違うわ」
という上から目線が鼻につくんだよなー。 別に群れない女主張はしても構わんけどさ、アティチュードとしてそれを持っているのもいいんだけどさ、たかだかバレンタインのチョコ袋詰め程度のものにそれを引っ張り出してきて得意顔ってどうなの。安い。安すぎる。 「私は群れない女/媚びない女」主張の女って、「いやそんなとこでそれ主張しなくてもいいだろう、どっちでもいいこったろう」というレベルのところでそれをアピールするんだよな。もっと他でやれよ。他の大事なところで主張しろよ。 前にも書いたけど女も群れる生き物だが、男だって群れる生き物だ。というか、群れる事に関しては性差はないと私は思っている。あくまでその人の気質なのだ。かくいう私も女だろうが男だろうが友人や同僚、先輩後輩らとわいわいやるのが楽しくて好きなのでハタから見れば「群れる生き物」だ。ハタから見ないでも自分でもああ、私は群れる(好きな人たちだけと)のが好きだなあと思っておりますとも。
隣の女の群れない主張と言えば、先日、彼女が
「私、女どうしでいるのが大っ嫌いなんです。だって女って話がつまらないから」
と吹聴しているのを耳にしました。 デター!自分はそこいらの女とは違うの発言! しかも男に向けて言ってやんの。 きいてもないのに 「女ってー、月9の話か化粧品の話しかしないじゃないですかぁ〜」 とも言っていた。 いやー。この人、女の友達いないんだなーと冷静に思った。 そんな表面上のことしか話さない女は、私の人生で出会った女の中でもほとんどいない。もちろんドラマの話も化粧品の話もするけれどたいていはそれ以外の話だって沢山しているものだ。ドラマと化粧品と同じくらい生理痛が重いだのアノ男きもいだの最近俳優の誰それが気になってしょうがないだのあのマンガおもしろいだの昨日うっかり散財しすぎただのセックスめんどくせーだの自分がいかにだめんずであるかだの仕事どうしようかだの、そういう話をするものだ。 男だって最近体調悪いだのあの女とやりたいだのグラビアアイドルでこいただのマンガがおもろいだの昨日キャバクラで散財しただのセックスしてーだの付き合ってる女が地獄女だの転職を考えているだの、そういう話もするだろう。 そう、話の内容に男女の大差はない。 くだらん話も当たり障りのない話もエロ話も重い話も質量はすべて同等だ。なのに女はダメだという。わけがわかりません。 ここぞとばかりに 「私、化粧品の話だったら何時間でもできますが、何か?」 と言いましたよ。これは事実である。 化粧品の話とおんなじくらい他の話も何時間でもできますけどね、あなたと話す以外では、とは言わないでおいた。(仕事の話除く)
同僚が「じゃあ××さんは男とどんな話をするんですか?」と尋ねていたのだが この答えもなんとも言えないものだった。
「うーん、旅行の話かな?」
つ ま ん ね え 女。 旅行の話こそ女がよく話す話なんだけどなーそれこそ表面上の女たちが。
ちなみにこの人の会話はどんな方向の話であろうと100%カレシの話に繋がっております。仕事の話をしていても 「あ、それはうちのカレシが知ってるんできいておきます」 といい、マンガの話をしていても 「うちのカレシのおすすめのマンガはですねぇ・・・」 と聞いてもないのに話し出すし、ダイエットの話でも 「カレシは10キロ以上痩せたんですよ〜」 と自分ごとのように自慢してくる。 話がつまらない女と言うものは確かに存在する。私もその存在を知っている。 そして、私がもっともつまらない、私には必要のない女だなーと思うのがまさにこの、
「趣味:カレシ」「カレシ=自分」
の女なのです。逆ももちろんだ。 ねえ、なんでそんなに自分がないの?と思うことしきり。好きになりすぎるあまり、興味がすべて彼氏に向かうことはあるだろう。好きであると言うことは相手のことを自分のことのように考える、相手を受け入れることだから。 しかし、口を開けば「彼氏が」「彼氏が」、あるいは「彼女が」「彼女が」言う男女ってその本人自体は驚くほど薄っぺらなんだよなー。確かに彼氏/彼女は素晴らしいのかもしれない。だけどその相手とあなたは決してイコールではないから。イコールにするために自分の内容物をすり減らして、ほとんど無の状態を彼氏/彼女で埋めているのだけど、それはあなたじゃないから。 あなたには何もないんだね。と思ってしまうよ。 で、思われてかまわないなんて全然思ってなかったりすんだよなー厄介だ。
誰かに夢中になることは素晴らしいことであるし、夢中になれば誰かに話したくてたまらなくなるのはごく自然なことだろう。好きであると言うことはそういうことでもある。 しかし私は、それは恥ずかしいことだなあと思ってしまうのですよ。 あまりにも無防備。あまりにもバカ。 まー好きになること自体が「イカれる」という表現もある通り、バカにもパーにもなってる状態なのだからしょうがないけど。でもバカにもパーにもなってる状態であるのなら、「周りからもバカでパーだと思われてもかまわん」くらいの気持ちというか覚悟がなきゃ。私は周りから「あいつバカになってら」「くるくるパー状態だわー引くわー」と指差されるのが恥ずかしいのでダダ漏れさせることができません。 その他のことでさんざん「お前バカ」と言われているけれどな。
ああ、バレンタインの話が全然違う方向に転がっていってしまった。 本来書きたかったのはこんなことじゃなかったんだよ! 毎年職場全体の義理チョコ約60個分に併せて、個人的に仲良い人々15〜20人分くらい義理チョコを配るのですが、これはチョコといっても全然チョコじゃありません。 3年前:どら焼き 2年前:仙台まころん 1年前:博多にわかせんべい というような感じです。 で、今年は 「えびせん」 にしました。 えびせんでもちゃんと一個ずつ包装してるんだよ手前で。(包装得意なのです実は) しかし先輩や同僚には 「おまえのプレゼントだけバレンタインじゃなくて地方のお土産のよう」 「なんでチョコじゃねえんだよ」 と文句を言われた。「バレンタインがチョコじゃなきゃいけないなんて誰が決めたんだよ!?」と逆切れしておきましたが。しょせん義理なのだから文句いうなっての。 そもそも今年は久方ぶりに本命というものをあげたのですが、それだってチョコつけるつもりは最初なかったくらいだし。相手に指摘されて、ああそっか、チョコもつけたほうがいいのか!と気づいたくらいだ。
って最後がバカでパーな話になってしまった。 すいません。ほんと、すいません。誰に向かって謝ってるのかよくわからないけど。 自分がバカにもパーにもなっている状態は自分で重々承知しておるので「プ、お前ホントにバカ状態だなー気持ち悪いわー」とかは言わんといてください。ほんとすんません。私はバカでパーでつまらん女ですすんません。
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2007年02月15日(木)
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