恋なんかしなくたっていいじゃない |
「キタコレ!戯れ言」、更新しております。 http://d.hatena.ne.jp/maaa55/ 回を重ねるごとに自分の興味がどこに向かっているのかがわかってくるな。 よろしかったらどうぞ。
そういえば先日の「ガールズタイフーン」は無事終わりました。 来てくれた方々には本当に感謝。 セットリストはこんな具合。
THE UNDERTONES「TEENAGE KICKS」 うる星やつら「PLASTIC ASHTRAY」 THE SMITHS「THIS CHARMING MAN」 MONACO「WHAT DO YOU WANT FROM ME?」 岡村靖幸「どぉなっちゃってんだよ」 REVOLTING COCKS「DA YA THINK I’M SEXY?」 POP GROUP「SHE IS BEYOND GOOD AND EVIL」 山本リンダ「どうにもとまらない」 BAMBOOS「TIGHTEN UP」 DODGY「GOOD ENOUGH」 WHAM!「CLUB TROPICANA」 CKB「GT」
前日夜7時から当日朝6時まで某所で仕事してて、慌てて家戻って8時にはまた会社出勤して、 仕事こなしてそのままDJになだれこんだので、どうなることやらという事態でしたが おかげでかけたかったCD忘れたり大変であったよ。 俺はクラッシュがかけたかったんじゃー ロックザカスバがかけたかったんじゃー 最近自覚したけど、長らくの間「クラッシュはサンディニスタ!主義」を主張してきたが コンバットロック主義だったわ。いや、サンディニスタ!愛してるけど。 ああ、どっちも好き過ぎてなんとも言えんな実際のところは。 やー「白い暴動」以外はほぼ等しく好きだ。これだけは確実。 そしてだいぶ返事が遅れましたが、ちょっと前にクラッシュのことを書いたときに日記上で反応してくれた由織さんありがとう。
CD入れるファイルっつうかケースちゃんと買わないとダメだね パン屋の袋に入れて持ってきましたからな。「袋くらいちゃんとしようぜ」と友人にダメ出しされた。
さて、角田光代の「愛がなんだ」という本を読んだのですが、こいつがあまりにもどぎつい代物だったのでキタコレ!戯れ言ではなくこちらで取り上げてみようと思うのです。 もうね、読んでて本当に痛々しい。つらい。 裏表紙に書かれたあらすじ転載
>「私はただ、ずっと彼のそばにはりついていたいのだ」―OLのテルコはマモちゃんに出会って恋に落ちた。 >彼から電話があれば仕事中でも携帯で長話、食事に誘われればさっさと退社。 >すべてがマモちゃん最優先で、会社もクビになる寸前。 >だが、彼はテルコのことが好きじゃないのだ。テルコの片思いは更にエスカレートしていき…。
要するに恋愛至上主義の女の子の話である。 私が痛々しい、とかつらい、と思うのは「ああ、こういう女まじでイテー」と思うからでなく、自分にもそういう部分があることを十分わかっているからである。そして私は、そういう部分が自分で恥ずかしくて情けなくてたまらないのだ。 相手に誘われるのはうれしい。ありがたい。無理にでも時間を空けようと努力する。 それは「嫌われたくない」から。 しかし、実際には「×日の夜がいい」だとか「×時に○○に来てくれ」だとか「今平気?」なんて言われると、おお、大丈夫かも、とか、あ、その時だったら平気、だとか反射的に答えてしまう自分がイヤだ。本当は大丈夫じゃないし平気でもない時のほうが多い。何か予定があるわけでなくても、その日は面倒だなとか時間的に無理だろうとかわかっていても、そういう答え方をしているのは「相手を喜ばせたいから」という自分の魂胆が見えて脱力してしまう。 相手に合わせるという苦痛を「でも相手に会えるのだからそれだけでありがたい」に変換して頑張ったこともあったが、結果的に無理であった。 私は相手に合わせられない人間だった。 いや、まあ、結果的には私は「自分が会いたい時に会っていた」人間だったんだけどな。会いたいから時間を作って、それを無意識のうちに「相手に合わせている」なんて思うようにしていた。むしろ「合わせてやってんのになんで断るんだバカヤロー」くらいに思うときもあったな。なんという尊大な態度。 しかしそれは、 「相手が自分の中心になることによって、自分が激しく落ち込んだり、傷ついたりしたくない」 ための防御策だったのかもしれない。 要するに相手が自分の体だけでなく、心や、生活や、人間関係や、仕事やその他わたしのものだったものを侵食してって、食い尽くされて、自分がなんにも残らなくなるのが嫌だったのだ。自分が好きだから、ではない。 そんな風に食い尽くされるのは空しいからだ。食い尽くされていく自分がみっともないからだ。 私は相手に全てを捧げられるほど純真ではない。会いたい友人がいるし、生活のペースがある。仕事は失いたくない。何よりも自分がありすぎる。 そういうことに比べれば、男なんて優先順位が全然高くない。すべてを投げ出すまでの値打ちはないと思っているのだ。 私という名のビーカーに液体が注がれることはずっと待ち望んでいるけれど、実際に注がれると容器の中に元からあった液体と混じらないのだ。そして、その違和感を「「かまいやしねえぜ」と気にしないでいるが、結局最終的には拒否してしまう。混じってないからビーカーから流しだすのも簡単だ。 最近は俺ビーカー内の液体はどうやら油というかガソリンのようなものだったことがわかってきましたよ。固まってきてやがる。また液体化することはあるんだろうか。別のガソリン補給はウェルカムだが。
この小説の主人公や、その他大勢の恋愛至上主義の人たちは相手に体も心も、生活も人間関係も仕事も、そういうすべてを侵食されて食い尽くされていくのを「愛されている」と感じてしまう人たちなんだろう。 先ほどのビーカーの喩えで言うと、自分のビーカーを相手の液体で満タンにされることこそがこの世で一番最高の状態というような。 だから彼女たちは驚くほど簡単で、空虚で、ぞんざいに扱われすぎる。 私はそういう女の子たちを見ているのもつらい。 冷静に見れば大したことのない相手の行為を過剰にありがたがったり、そんなことしてあげる必要ないだろうということを積極的にしてあげたり、へんな時間に呼び出されれば駆けつけたり、時には相手の浮気を赦したり、そしてお金すらも出してあげたり貸して上げたりする。 そういうことをしてしまうのもよくわかるんだ。よくわかるゆえにつらいんだ。 私はそういうことが自分にはキツイ、つらい、と感じ、そういう不愉快がいやだから自分にマイナスなことはすぐに断ち切ったけれど、もしそうじゃなかったら、同じようなことをしてしまうだろうってのがわかるんだよ。だから彼女たちはすべてを食い尽くされていくことを愛されているどころか悦びと感じているけれど、本当はそんなのは悦びじゃない。つらいだろうよ。空しいだろうよ。恋愛なんて全然楽しくないと思うときのほうが多いだろうよ。 でも彼女たちは投げ出さないんだよな。それしかないと言わんばかりにしがみつく。 なぜならば、彼女たちの自分は相手だから。ビーカーの中身は相手の液体だから。液体じゃなくてザーメンでもいいけどさ。相手にしがみつくよりどころは大抵の場合、「彼とセックスしているから」だからな。 ああ、そうなんだよ、セックスなんて全然たいしたことねえんだよ。ルースターズも歌ったように、男の場合は「俺はただオマエとやりたいだけ!やりたいだけ!やりたいだけ!」なことのほうが多いんだ。もっとハッキリ言ってしまうと「オマエ」なんてないことのほうが多いんだ。 この小説の主人公も、会社をクビになってまでも青白くって細い海老みたいなどうしようもない男に会いたくてたまらなかったのは、その男が自分をセックスの相手に選んでくれたからだろう。(正確には最初はしてないが、最初からそういう性的方向の誘い方をしてた) 前にも書いたが、セックスの相手にされることなんかで舞い上がって、安心しちゃってしまっても、それは恋ではないよ。 それは自分が選んだ相手でもない。ただし、恋と錯覚してあとで苦しむのは他でもない自分なんだが。 それを恋だと思ってしまう気持ちもよく知っているから、余計にそう言わずにはいられない。でもそんなのは恋ではないことを知ってしまったからかなあ。今やそんなものが恋だとしたら、恋はいらないや、と思ってしまうからなあ。
恋ってそんなにしなければいけないものなのか? 恋していないのはそんなにさみしいことなのか?
私は昨今の「恋人がいる=上がり」みたいな風潮がいやんなっている。恋していなければ人は輝いていないみたいなヘンな刷り込み。だから恋をしていない人は変に卑屈で過敏になりがちだし(「侮辱された!」「バカにされた」的なヒステリーを起こす人もいる)、恋している人間(というより恋人がいる人間)の優越感もわけがわからないレベルにまで達していたりする。 でもそんなことどうでもいいだろうよ。 ちなみに言うと、前述の恋の部分はセックスに置き換えてもいい。 今時セックス抜きの恋なんてないだろうし、恋をすればセックスをしたくなるもんだ。でも、当然のことだが恋はセックスとはイコールではない。さみしいって気持ちとセックスもイコールではないし、さみしいと恋もイコールではない。なんでか知らないがそのへんが一緒くたになってしまっているから、こういうつらい事態が起こってしまいがちなんだろうけど。 さみしい→セックスする(相手に選ばれる)→恋するっていう順序が、えんえんとループしてしまうんだよな。恋してもさみしいから、セックスで繋ぎとめて、まだ恋してるんだって再確認して、でもさみしくなって。さみしいと思うこともセックスすることも恋をすることも一向に構わない。 構わないから、せめて自分の選んだ男とやるべきだ。自分を安売りなんかするな。食い尽くされるのを待ってるなんてやめちまえ。いいことなんかなんもありゃしない。食い尽くされたくない何かを持ってくれ。
と、まあ、こんなことを書いても「でも、私にはこの人しかいない」「それでもこの人のそばにずっといたい」などと思い込んで、ずっとそこから抜け出せない女もいるわけだ。自分でぞっとするほどの口実を駆使してまで、今の状態のままを保とうとする。 その人のために、自分が言いたいことは何もないかのように口をつぐんで、向こうからの連絡をじっと待って、怒らせないように必死になる女。男を甘やかすだけ甘やかす女。そして、別の男女を巻き込んだり、時には(あてつけ的な)性的関係をもったりまでする女。 こうなると「女」というより「母」だ。私は「ずっと見守っててあげたい」「世話してあげたい」「困ったら助けてあげたい」「赦してあげたい」と思うことがあまりないので、母性が薄いんだろう。まあうちは父親が2人いるような家庭だったのでしょうがない。 だから寛容である、どこまでも尽くしてくれるなどの点で母性がある女性をうらやましく思うこともあるが、やっぱり損しているよな、と思ってしまうよ。息子は母が必要だけど、大抵の場合母には恋とセックスはしないものだからなー。
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2006年03月08日(水)
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