あなたは女の子の一番大切なものをあげすぎだわ |
こないだの飲み会である先輩女子が 「いちいちカンに触る女が『カシウーくださあぁい』って言ってて腹が立った」 と言っていたのだけど、カシウーってサークル/合コンノリでホントに腹が立つ言葉ですね。それを全世界の共通語であるかのように使うあたりが。
ちなみに当方、現在絶賛カゼコジです。無駄に省略語にしてみました。 声が出ないんだよ。耳が遠いのだよ。痰が出て出てしょうがねえんだよ。 そんなわけで本日は休業。 なぜならば言いたいことも言えないこんな状態だから。らーらーら ららーら言葉にできないから。 家で寝ていたのですが、ずっと寝ていなきゃいけない状態はしんどい。というわけで寝ながら年末のAV掴み取り大会で貰ってきたAVを見ていました。なんかすごく男子学生っぽい行為だな。 こんな注釈を今更つけるのもイヤなんだが、わたくしは女子ですが(未だに男性だと思われていることがある)、AVは普通に見るのだよ。インターネットの世界を泳ぎ始めて6年以上経つわけだが、何がどうしてそうなったのか今や思い出せないけども何故か知り合う人はAV関係者だったりAVファンだったりが多い。それは男性に限らず女性にも当てはまることで、特に女性のAV関係者/ファンは濃い人ばかりだ。一筋縄ではいかない人しかいない。そんな特殊荒波の中で育ったせいか「女がエロ話を平気でする」「女がAVを見る」ということはもう当たり前のことなのである。 いや、特殊荒波うんぬん関係ないか。うちのじいさんの家には昔、ビニ本販売機が置いてあったし(よくSMグラビアのエロ本を見ていた幼少時代)、小学校の頃友達の家でエロテレホンに何度もかけて聞いていたし(今考えればQ2だったんだよなー何回もかけていたけど請求は大丈夫だったのか)、高校のときは友人とジャンケンで負けたほうがコンビニでエロ劇画誌(ボンとかシャワー)を買ってくるというゲームを繰り返していたもんだ。ハタチを越えてからも会社を休んで荒川に行き、久々に友人と濡れたエロ本を読んだりもしたっけ。 すなわちいつ何時もエロがコンスタントに存在していたわけである。お隣のエロさん、という間柄だったわけである。余談だがうちのじいさんちの前には昔、某フェチ系AVメーカーがあった。ホントにお隣さんだったということだ。
しかし巷ではまだ「女がエロを普通に(音声にして)話す」というのはタブーのようでありまして、わたくしも飲み会で男性とエロ話で渡りあってドン引きされた経験が何度もあります。 それに関しては異議アリを申し立てたイ! だってweb上には女性のエロ話が溢れているではないか! なんで音声で「中田氏イクナイ!」とか「あの女マンコ臭そう」とか言うのがダメで、「今日はヌレヌレで困っちゃう」などと書いているようなブログがアリなのか。 私ならばエロ日記/エロブログをつけている女性に会ったら引いちゃうだろうけどな。 生々しい話を音声に乗せて話しているわけではないのだからいいではないか。生々しい話なんか音声でも文字でも書きやしねえけどな。 AVだって見てもいいではないか。何かが放出されるわけでもないんだし。
で、今日見たAVってのが「石橋渉の素人生ドル(ナマドル)」というシリーズものなのですがね。 私はそんなにヘビーにAVを見ているわけではないのだが、素人モノというジャンルは非常に興味深いのです。そのへんを歩いているおねえちゃんたちがちょっと声をかけられただけでついていってしまって、あっという間に服を剥がされちゃって、場合によってはコトにまで至ってしまうというドキュメンタリー。どこまでヤラセなのかなどはよくわからないが、こういうものを見ると付き合いいい子って多いんだなあと思うのと同時にセックスって「やりたい」だけじゃなく「やられたい」ってのもあるんだなあ、としみじみ思う。 だいたい明るいあっぱっぱーなギャル女子は「えーこれ以上はムリー」といって下着見せ、胸見せで終わるんだよな。明るく抵抗しながらフェラまでしてるのもあったが、決して挿入までは至っていなかった。フェラも挿入も一緒じゃねえかよ、という見解もあるが入れるか入れないかの違いは大きいと思うのでそれは寸止めだろう。 そうではなくて、一見地味な、ギャルでもない女の子の方が最後までいってしまうのだよね。 特に印象深かったのが、髪の毛も染めていない地味目な女の子(クラスの女子だとしたら廊下から2,3列目の2番目あたりに座ってそうな子)がプリクラ撮影の機械の前で最後までやってしまうというもの。抵抗というものは何もせず、体を強張らせながら男のなすがまま。痛々しかったなあ。「無抵抗の女の子を無理矢理なんて!キー!」という痛々しさではない。 なんというか、この子には 「女として求められる機会なんだからそれに応えなきゃ」 「相手として求められている=ちょっぴり不安だけど安心」 という気持ちが少なからずあったのが見受けられたのです。はー。打ってて切なくなってきた。俺、ちょっと泣いていい?涙出ないけど。
10代の頃抱いていた不安の中に 「私はこのまま一生処女のまま終わってしまうんではないのか」 「このまま一生男に相手にされないんではないか」 というものがあった。 私は今でもスカートを履くのが恥ずかしい、と思っている部分がある。(こないだりえ坊と飲んでいた時にりえ坊が同じことを言っていて心底同調した)昔はそれが今以上で、化粧をすることすら縁がないと思っていた。「男にモテたい」「男にモテるためにがんばりたい」という気持ちは、髪も伸ばしていないしダイエットもしていない、芋くさい自分がやってはいけないことなんだ、と何故か思っていた。そういうステージに立てる人間ではないという自覚。あまり認めたかないが、音楽やプロレスにのめりこんでいったのは「自分の立ち位置はそのステージではないから」という気持ちがあったからなのかもしれない。 そういう風に諦めながらも、先述の不安は常にあった。だから高校一年のときにバイト先の人に眉毛を描いてもらった時、自分の中の何かが開けたような気がした。世界が変わった気がした。それでも不安は常にあったのだが。 時が経ち、処女でもなくなり、いろいろな経験を経て現在に至るわけだが、今でも「この先私は男に相手にはされないんだろうか」という不安はある。昔ほどでかい比重ではなくなったし、それなりに楽しい毎日を送っているし、男に相手にされる/相手にすることは楽しいことばかりではない、辛くて苦しくて面倒くさいことばっかりだということがわかっているので普段はあまり考えないが。
私のような人間ですらそう思っているのだから、正統派女子道(普段は基本スカート、結婚して専業主婦になるんだろうなと思っている)を進む女子にとってはこの不安は相当なものなんじゃないだろうか。自分から意思表示できない女子ならばなおさらだ。 地味でおとなしい女子ほど経験人数が多いのは「断れないから」だけでなく、「男に相手にされること、すなわち安心」というのが絶対にあるはず。でなきゃ声かけられて15分後に挿入なんてないよなあ。 ナンパされてついていってしまう女の子はいい人が多い、とも思うが、それ以上に私を相手に選んでくれるなんて、ってそれだけで感激しちゃってるんだろうなあと思ってしまうよ。ああ切ない。 こういうノー自分が選ぶスタンス=相手に選ばれるスタンスの子ほどダメな男(浮気男、病的な嘘つき、借金持ち、DV常習者など)とくっついて苦労してしまいがちだからなー。 私が言うのもなんだが、女であることはそれだけで価値があり、優位に立てることなのだから自分がやりたいと思った男だけを選ぶべき。自分を安売りしてはいかんよ。(それでダメ男にはまったら自己責任だが) あと、そのような「相手にされ方」をモテだと勘違いする人も多いな。信じられないほどのブスやデブが「経験人数100人以上」と言っているのは、「経験人数が増える=モテている証拠」だと思っているんだろう。勝手にしろ。
先述のプリクラ機械前でやられちゃってた女の子の去っていく姿もご丁寧に映されていたのだが、もう筆舌に尽くしがたいほどの虚しさ。男らは放出して金を払えばそれで終わりだが、彼女はきっと、また男に相手にされるかどうかの不安の日々に戻っていくのだろう。ギャラなんてその場しのぎでしかない。 素人ナンパものはこういうのがあるからなあ。侮れん。おセクシーン抜いたら立派な「NONFIX」だ。
まあ、こういう女の子のが一番エロかったりもするんだがね。結局素人ナンパものって、いや、ナンパ自体が女の子の側とも需要と供給が成り立っているということなのかな。
【お知らせ】 2006年になったので新しくブログを始めることにしました。 今までココに書いていたCDや映画やマンガや小説の評は 今後コチラでやることにします。 ↓
キタコレ!戯れ言
このブログは今までと違うよ! 何故なら! 毎週火曜日更新だから。 という割には第一回はこないだここで書いたものをそのまま貼っただけなんだけど。すまぬ。 どうか生暖かい目で見守っていてくださいませ。
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2006年01月17日(火)
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