アダルト・ディープ・インパクト |
幼少の頃、どうしてもやりたいことがあるが今は叶わなくて、大人になったらいつか叶えてやる、と誓った経験がある方は多いかと思います。
先日、友人であり尊敬すべき洋ピンの生き字引こと夏やんに「ディープスロート」を見せてもらいました。
今公開中の「インサイド・ディープスロート」の元ネタのほうです。わたくしは映画ならばドキュメンタリーものが一番おもしろいと思っているので(NHKドキュメントもよく見るのです)、どうしてもこの映画が見たかったのだ。 しかし東京での上映は六本木ヒルズの中の映画館だけという事態。六本木は行きづらいんだよ。 六本木で大ハッスルといえば、3年半前のワールドカップの時期を思い出すなぁ。イングランド対アルゼンチン戦、今は無き同期の方々が「スポーツバーで見てるから!」というんで慌てて六本木に駆けつけたところ、 スポーツバーではなくなぜか沖縄料理屋 でっかいスクリーンではなく14インチテレビ(しかも画像がザーザー) 音を大きくすると「すいません店内のBGMが聞こえなくなるんで」と注意される というわけのわからなさ。
あ、話が脱線した。 とにかく六本木ヒルズは行きづらいし、なんだかんだでヒマがなくて見にいけなかったのです。これはビデオ発売を待つしかねーなと思っていた矢先に見せてもらった本家ディープスロート。 洋ピンなのでストーリーはないんだろうと踏んでいたのだが(私の初めてのエロビデオ体験は、父親がアメリカから持ち帰った洋ピンでした。それが気持ちいいくらいストーリーがなかった)、とんでもない! 簡潔ながらストーリーがありますのよ。 「オーガニズムを経験したことのなかった女性が、病院で受診してもらったら喉の奥にクリトリスがあることが判明。 デカマラを咥えることでオーガニズムに達し、そこから性に解放的になっていく」 というもの。 たったそれだけのストーリーなので1時間足らずで終わってしまうんだが、これが荒唐無稽で滅茶苦茶おもしろい。 特にデカマラの男性(ハリー・リームス)がドッピュン昇天してしまう時の描写は、「毎度おさわがせします」のチロチロリンやとんねるずのコントの源流なのでした。 鳴り響く鐘!打ち上げられる花火!発射するロケット! ゲラゲラ笑ってしもうた。 あとマンコにグラスを入れてワインだかコーラだかを注ぎ、すんげえ長いチューブでそれを飲むというのもくだらなすぎ。味全然わからんのではないのか。
そんな笑いの部分もさることながら、この映画は全編を通して音楽がかっくいーのです。ファックシーンは大音量のサイケロック。ファズギターが冴え渡る。 クンニされながら絶頂に達する夫人の顔にギター音が巻きつくようだ。 唸るような「ディーープスローーートォォォ」という歌声。あれは完全オリジナルの曲なんだろうか。 ま、アヘ声は聞こえないのですがね。そんなことはNO問題だ。
前ににっかつロマンポルノを何本か見に行ったことがある。その時も見に行くまでは昭和のじめじめした、苦痛と快楽だらけのザーメンがどろどろしたような映画ばかりなのだろうと思っていて、いい方向に期待を裏切られたんだった。 コミカルな芝居や矢野顕子の曲が多様に使われる演出など。 昔のピンク映画は洋邦問わずおもしろいな。エロじゃない部分にばかり目が行くからなのか。ま、エロにすべての重心を置けなかった時代背景なんてのもあるのかもしれないが。
って、私が見せてもらった「ディープスロート」は夏やんが宅配ビデオ(!)で注文したものだったので、無修正でしたけどね。 ついでに字幕もナシ。しかしエロは海も言葉も越える。
で、冒頭の「大人になったら」というのは、夏やんが 「中学生の時、ディープスロートを知ったんだけど見られなくて。 大人になったら見てやろうと思ってたの」 と言っていたのを受けて、なのです。 「見たら大したこと無かったんだけどね」とも。 大人になるって、そういうことなんだよなー すべてがたやすくなってしまうのだよなー
私にとっての「大人になったら」のひとつに、 「他人に注意することに躊躇しなくなるんではないか」 というものがあった。小学生の頃の私は妙に恥ずかしいなどを気にしていて、人に注意したり教えてあげたりすることにためらいを持ちがちでした。その羞恥心をどこで忘れてきたのか、今となってはさっぱり思い出せないんだが。
で、先日、深夜作業を行っていた時のこと。 わたしらの仕事ってのは床に這いつくばってPCを叩くことが多いのですが、そうすると自然と目線が低い位置になるのです。 その日も低い目線で機器を見上げたりモニターと睨めっこしたりを繰り返しておりました。 すると、ふとお客さんが立ち上がってこちらに近づいてきたのです。 何やらトラブルがあって穏やかじゃないという事情を話してきたのです。
しかし私は、耳に入ってくる話よりも 目の前にある「注意しなければならない事項」について気を取られてしまいました。
社会の窓が全開だったんだな。
小学生の頃、「社会の窓開いてるよ」指摘というのがひそかに流行った頃がありました。私も指摘されたことがあったが、私はなぜか指摘ができなかったのです。 股間ばかりを注目している→エロ という図式に当てはめられてしまうのが恥ずかしかったのだ。 大人になったらこんなことはためらいもなく言えるようになるんだろうと思っていた。実際、エロと思われることに対して「恥ずかしい!」なんて気持ちはもう、ない。残念ながら。 しかーし。
大人になった今でも、「社会の窓開いてますよ」って注意というか指摘は恥ずかしいものなんだなぁ
こんなものはサラっと言えるものだとばかり思っていたのに! 結局指摘はできませんでした。 むしろ気づいているのがその場に4人いたのに私だけ、ということに押し潰されそうになりました。 名誉のために言わせて貰うが、股間ばかり見ていたわけではない。
大人になってからわかる重大さというのもあるのだな。
明日から沖縄行ってきます 週末は電メリなんで戻ってきますがね
|
2005年12月07日(水)
|
|