おまえはおまえが思っている以上にウンコだ |
同僚のメールを見るたびに心が痛みます。 見るのがつらいです。 なぜそんなことになってしまってるのか、と心配になってしまいます。
ここに転載したいところだが、そうもできないので私なりにアレンジして書いてみるとしよう。 要するに、どのメールにも必ず
「このメールの著作権は××にあります。転売等は禁止させていただきます」
という趣旨が署名の後に堂々と記載されているのです。 個人情報は大事だ。勝手に利用されるべきものではない。 しかし、こういう「著作権」をこういうところ(取るに足らないメールも含め)にまでわざわざ記載しているのを見ると、どうしても「思い上がり」という言葉が浮かんでしまうのです。あるいは「自意識過剰」。どっちでも構わないんだが。 あんたが思っているほど皆あんたのことは考えてないよ、とそっと耳打ちしたくなってしまう。 web上でも日記などを読んでいると最後に「権利!」「著作権!」を付け加えているものがありますね。 あれも萎えるな。田口ランディのような盗作野郎が蔓延るネット上ですから、こういう自衛も大事なんだろうけど「わざわざ書くなよ」と突っ込みを入れたくなる。入れたところでそういう人って正論正論正義正義を振りかざし反論してくるだろうから入れやしないけど。むしろ脱力。読まなきゃよかった、とさえ後悔する。 見当違いかもしれないが「心がすでにアメリカの植民地(本人はアメリカ本土のつもり)」という印象を受けますよ、そういうのを見ると。 (自分を護るためには)片手にピストル、心にいつでも裁判に持ち込む準備〜てな感じで。 ああ、ああ、ああ、ああああああ。
ここ最近「希望格差社会」と「オレ様化する子供たち」を立て続けに読みました。 希望格差社会は皆がわざと目を向けないでいる現実がこれでもか!と書かれていて、非常に恐ろしい本でした。 簡単に言うと、世の中は先の見通しがまったくつかない「弱者」(フリーターとか)とどんどんと成功していく「強者」の二極化がどんどん進んでいるということ。 そして圧倒的多数な弱者のほとんどは今の若者で、その若者が中年になる時日本はやばいぞという警鐘が鳴らされておるのです。 大学を卒業したからといって上場企業どころか就職もできない人が増え 大学院で勉強しようが大学教員にも研究職にもつけない人が増え 企業に就職しようがリストラなどの恐怖に晒され続ける人が増え 収入不安定の生活能力ゼロカップルができちゃった婚をし続け 玉の輿を狙う人は「玉」の階級(高収入)とは結婚できないから未婚が増え ご存知の通り社会に出ることを拒絶する引きこもったりニートになるも増えていく (言うまでもなくできちゃった婚から生まれた子供は家で勉強をしないからどんどん循環していく) というのは最近ほんとによく見かける話(身近にもあるが)だし、非常に頭の重いことなんだが 特に印象的だったのが
「 夢に向かって努力すればその夢は必ず実現するというのはウソ」 「自分の能力に対して過大な評価を持っている人が多すぎ。その過大評価をなくさせる必要アリ」
という指摘。 ほんとにその通りなんだよなー 他人と話をしていると「何故そのような自負があるのかさっぱりわからない」と思うことがたまにある。 私がその人に対して抱いている印象・評価と本人のそれが著しく乖離しているのだ。客観性の見事なまでの欠如。 夢を持つことはいいことだ。希望こそが生きる原動力。 しかし、等身大の自分をなぜ受け入れない。客観性を持たないとハタから見れば単にイタイ人なんだぞ。 主観オンリーワールドの住人は、他人が抱いた評価・印象を告げられる/あるいはそれに則った接し方をされるとすぐさま「この人が私をいじめた」的な被害者意識に入り込む。あるいは「わかってないバカな奴」呼ばわり。 決して自分を曲げない。ついでに上から目線を曲げようとしない。 「オレ様化する子供たち」に書かれていた、幼児の持つ万能感をそのまま持ち続けるんだよな、そういう人って。 いくつになっても幼児。若者のうちはそんな幼児ぶりもある程度許されるんだろうけど(私は他人に対して甘えてくる奴は絶対に許さないが。反吐が出る)それが40や50になっても続くからそら恐ろしい。 しかも40や50になってからじゃそういう過大評価は絶対に治らないからな。 一生イタイ人。そして一生弱者。 もっとも、それくらいになって「私は特別」というアイデンティティを根本から打ち砕かれたらその人、生きていけないんだろうけど。 さらに言うと、そういう人って自分で自分を褒めるだけに飽き足らず、他人にも褒めを強要してくるから鬱陶しい。 いや、褒めてくれる人以外との関係を絶とうとする、のほうが正解か。とにかくフォロワーに囲まれてる状態を好むわけだ。 まあ、実際には周りからdisされている(ヒップホップな書き方だ)わけなのだが。気づかない。自分が否定されるわけがないから。 もちろん頭から強要してくるわけではない。しかし仲間内で褒めあってる人たちって大体そうだわな。(このへんは「若者のリアル」という本で指摘されてた) クラブイベントで受け取るフライヤーの裏に書かれているDJ紹介なんかを見るとまさに褒め合い。賞賛し合い。 むしろ賞賛試合と書いてしまいたいほど互いに褒めまくっている。 他人の価値観を認めることはいいことだ。心が豊かになる。 とは言うが、褒め合っているばかりでどうする。悪い点指摘試合もやったほうがいい。 まあ、何人か人が集まっている場合は褒め合いが転じてけなし合いになったりすることもあるのであまり心配はない。 大概は悪口言い合いなんてのもあるのでバランスが取れているものである。 問題は、自分で自分を賞賛しまくっていて、他人にも自分の賞賛を強要する(無意識のうちに)人って悪いことを指摘したり自分が思っていたことと違うことを言われたりすると全力で扉を閉じるということ。 否定されることに対して耐性がないというか。 ケンカすらもしない。郷ひろみばりに「なかったコトにして」しまう。 そしてこういう人に限って「悪口言い合いイクナイ」などと言い出すんだよなー。自分は散々言うくせに。(概して無意識) 辛いなぁ。心臓グッサリ刺しても「いや、これは殺されたに入らないから」と心臓に刺さったナイフ自力で抜いてそ知らぬ顔ですかしっ屁こいたり鼻ほじったりしてるから。 なんかもう、それって神の領域だ。オレ宗教。
前述の同僚にしてもどんな指摘も受け付けないので、もう誰も何も言わない。 しかし彼はそういうメールを垂れ流し続けるのである。仕事に関係ない「これはすごい情報だからボクが教えてあげる」という内容ばかり。 誰も何も言わないと、読まれているものだと思って「最近は忙しくて頻度が落ちてますが」なんてことを平然と文頭に付け加えたりし出す。 ああ!ああ!ああ!ああああああ! こういう「嫌」ってどうすればいいのだ。自滅を待っていればいいのか。 きっと40や50になろうが、60や70になろうが自滅なんてないんだろうけど。 でも黙っていればその人の壮大なサクセスストーリー(エンディングは一生未定)の読者に勝手に加えられるだけだしなー とりあえず関わるのはやめとこう。全力で逃げよう。
先日のインサイターに「座右の糸井重里」なるものが載っておりました。 エンピツはblogではないのでトラックバックできません。とほほ。 なので引用させていただきますが
>「おまえが思っているほど、おまえはたいしたやつじゃない」。 >この、何もかもをぶちこわしてくれるような最後のひと言を、いまは誰も口にしなくなった。
もう誰も口にしなくなった。ほんとに。自分に対しても。 自分は人と違うなんてのは基本的には誰でも思っていることで、その思いが過剰にならないためにあった言葉なんだがなー。 自己評価が著しく低いのも問題だし、ある程度の自信は持っていなきゃいけないわけだけど、やっぱり過剰思い込みの人のほうが重罪。イタイ。まあそんなのは自己評価が低いってのと表裏一体なんだけどな。 一生イタイ人/弱者にならない為に、これは胸に刻んでおこうと思う次第である。
私はずっと、「自分はスゴイ」ってことを口にすることは恥ずかしいことなんだ、と思って生きてきたんだがなー。たとえ自負があったとしても。 少なくとも学生時代は周りもそう思っていたと思ってたけど。 歳を経ると羞恥心てのは磨り減っていくものなんですかね。 それとも歳を経るとカミングアウトしていいものなんでしょうか。FA宣言のように。
小学生の頃、授業で「人間の体は何でできているか?」という質問があって ウケ狙い男子などは「うんこが詰まっている」と答えていたんだけど、 今こそその思想が必要なんではないかな。 「自分の体内にはうんこが詰まっている」→「私は所詮うんこの塊」と思えば自分など大した奴だと思わないで済むんだけどな。
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2005年10月26日(水)
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