【5周年記念】ポワーンチャンピオンカーニバル その1 |
一日早いのですが、9月30日はわたくしがwebで日記をつけ始めて5年目となる日でございます。 ってもエンピツで書き始めてからはまだ4年弱で、「股・戯れ言」の前身である「続・戯れ言」を大塚日記(懐かしや。ブロガーには馴染みがないことだろう)で書き始めたのが2000年9月30日。大塚日記消滅(ライコスに統合された、もっともライコスも消滅したけど)とともにエンピツに移ったのです。 エンピツが消滅した時にはブログに移るかもしれないが、それはないだろうな。いちいち他のサイトに移るのが面倒くさいから。
で、久々に過去ログを読み返したんだけど、 日記が短くて清清しいね。今の地獄のような長さを考えると。 「長い日記は読むのが面倒くさい」と評判なので、ここらでひとつ、短い日記に戻したい。
というわけで、5周年記念日記はスパッと 「この5年間でポワーンとなった男たち」について簡潔に書いていくシリーズを決行する事にしました。 第一回は「ワイフビーター」でございます。
って、いきなり「ワイフビーター」と言われても誰?そもそもそれは名前?という具合でしょう。 ワイフビーターというのはアメリカ人のプロレスラーです。 最近はめっきり見に行かなくなってしまったが、大学生の頃の私は毎週プロレスを見に行っておりました。 もともとプロレス好きなのであります。 その頃毎週見に行っていたプロレスは、今をときめく総合格闘技系ではなく流血系プロレスで、団体名で言うと大日本プロレスでした。(あ、後半はDDTも毎週見に行ってたっけ) 大日本プロレスと言えば、過激デスマッチがウリの団体。リングの下に五寸釘を敷き詰めたり、ピラニアの入った水槽を敷き詰めたりしたデスマッチがおもしろくてたまらなかった。でも、私が見に行ってた頃はそのようなデスマッチがウリではなく、アメリカからやってきたハードコアプロレス団体「CZW」対大日本プロレスという対抗戦真っ盛りでございました。 このCZWにいた、ヒゲ面で下半身はジーンズ、上半身はいつも裸、背中にガラスが突き刺さってばかりのワイルドガイがワイフビーターなのです。 もう、純粋にかっこいい。 なんつっても登場時は必ず芝刈り機をブンブン言わせてる。振り回している。 蛍光灯でスコーンと殴られては、肌に破片がささったままやいやいやってる。 こんなに流血しているベストジーニストは他にいない。当たり前だが。
裸の男が血を流している姿って、たまらんですね。 この背中の煤け具合! 男の経血は背中から流れるものであって欲しいのよ。
たぶん、普段はものすごく無口な人なんだろう、と匂わせるあたりもいい。 ワイフビーターってのは和訳すると「妻殴り」ですから、ドメスティックバイオレンスをやってる男というのを彷彿とさせますが、実際はどうなんでしょう。 あくまでプロレス的ポーズだとは思うけど。 ま、実際に妻殴りだったら魅力ゼロですけどね。
2001年の12月、横浜アリーナで大日を見た際に、目の前で「CZW日本撤退宣言」が行われてた。深い絶望。「いきなり最終回とは、こういうことを言うのか!」と間違った解釈をしてしまったほど。 それを機に、大日から足が遠ざかっていったのだった。 その後のワイフビーターはどうなったのか知らない。 何年か前に、ふと思い出したように調べてみたら、読み慣れない英語サイトに 引退した旨が書かれていた。 今回もまた「どうしてるかな」と思って調べてみたけれど、引退した、以上の回答はどこにも載っていない。 今頃、アメリカの片田舎のガソリンスタンドとかで働いてそうだな。 もしかしたら刑務所にいるのかもしれない。 実際のところはよくわからない。 ま、ワイフビーターにキャーキャー言ってた私が大学生からエンジニアになっているんだからな。
一体、ワイフビーターのどこにポワーンとなっていたのだろうか。 間違いなく顔でございます。 精悍。体も精悍。マゾっ気ありそうだけど。 CZWは強いし体もデカいが、まるでフリークス?というような様相の方が大目だったもんで。 でもあの顔で、あのヒゲで、あの筋骨隆々ぶりだったら理由とかそういうの以前に本能で「姫ダッコされたい」とか思ってしまうものでしょう。 なんだか普通に20代前半女子が「この人カッコイイ」と思う理由だ。 もう私はそんな歳もそんな女子だった時代も通り過ぎてしまったな。
流血系ベストジーニストが、今もどこかで元気に暮らしていることを心から祈る。
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2005年09月29日(木)
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