街角はいつでも人いきれ、ではないけども |
ここ最近「いい酒キター!」という日記を書いておりませんが、単にそういう飲みをしていないだけです。(安酒飲んで泥酔ってのはよくやってるが。もうやらないよ、ケミカルの味がするし) やっぱり会社が家から5分圏内にあると飲みに行かなくなるのね。 心底飲みに行きたいナーと思ってもわざわざ電車に乗って夜から出かけるのはなんとなく面倒くさくなってしまうのだ。
しかし私は「寄り道大好き人間」なのである。 小学生の時からまっすぐ家に帰るのはなんだかもったいないなーと思って西友などに寄り道していたなそういや。 中学高校は池袋だったからほんとに寄り道以外したことなかったと言っても過言ではない。タワレコで洋楽雑誌をせっせと買ったりしてたなぁ。鉄拳タダゲーでやってたなぁ。 ああ、お茶の水のユニオンによく寄った。高校の時はなぜか神保町のユニオン溺愛だったけど。西新宿にも足を伸ばしたなー。 大学。 横浜川崎途中下車ばかり。 友達の家にも随分いたもんだ。酒飲んでねぇ。友達はあまり飲めなかったが。 これくらいから地方に行くことも多くなってきたが、帰り道に寄り道どころか、行きに温泉に寄り道とかしてたくらいだ。 そして社会人。 ほんとに会社帰りは飲んでばかりだ。寂しがり屋かよ。 出張に行けば古着屋や中古レコード屋に寄り、なんかよさそだなと感じる飲み屋に寄り、県を跨いでまでも友達のところに寄る。 寄り道が本当に好きなのだ。 むしろ私は寄り道ばかりしているうちに本道がどこだったのか忘れてしまいっぱなしの人生なのだ。いままでも、これからも。 寄り道ついでに知り合ったりする人々、めぐり合ったりする一品ばかりがいとおしく思えるものな。 NO 寄り道 NO LIFE ってタトゥー入れてもいいくらいだよ。入れないけど。
そんなわけで寄り道ができないのは本当にしんどかった。 禁酒、禁煙なみにつらいぞ、禁寄り道。 もうこの町には四半世紀も住んでいるから「なんもねぇよ」という事実も十分知っている。「昼メシ食うとこねーよ」と言われてもごもっともです、としか答えようがない。ないもん、どこも。 山本直樹の「フラグメンツ」に収録されてた「この町には行くところがない」ってフレーズが繰り返されるマンガを思い出す。 山本直樹のマンガほどエロいことも何も起きないんだけど。
と思いながら土曜日にちょいと出勤。 いつもとは違うルートで帰ってみることにした。 生まれてこの方ずっと住んでいる町だから当然自分の出た小学校もある。 小学校の門の前なんか何年ぶりに通ったのだろう。 懐かしいとかそういう気持ちは皆無だ。ずっと住んでるし。
いやあ、驚いた。 小学校の横にレコード屋ができてるんだもの。
私の住んでいる町にはレコード屋というのが一軒しかなかった。 レシートを持っていくと15%引きしてくれる店だった。 まあ、私の世代にとっちゃ「レコード屋」ではなく正確には「CD屋」なのだけど、そこでプリプリとかを買った子が次の日カセットにダビングしてきて自慢したりするわけよ。 時が流れ、大型モールのようなスーパーができてその中に新星堂が入って、皆新星堂に行くようになった。 けどもロッキンオンを繰り返し読んで、すっかり増井修に啓蒙されていた私が欲しいCDは新星堂では売っていないことに気づいて、池袋に通ううちに外資系CDショップの存在を知り、ディスクユニオンの存在を知り、西新宿あたりの中古レコード屋の存在を知りどんどん遠くに行くうちに町のレコード屋のことはいつしか忘れてしまった。
ある時、その町で唯一のレコード屋の前を通ったら違う店に変わっていた。 新しい店がなんの店なのかも思い出せない。 それくらいどうでもよいことだった。
もう、アナログも扱っているような店じゃないとレコード屋と認識できなくなっていたのだろう。おそろしいな成長って。戻れないんだな。 だからアナログやCDでも中古レア盤みたいなのが置いてある店だけがレコード屋くらいの認識なのである。 そしてそんな店はこの町にはできるわけがないと思っていた。いや、思ってない。 無意識の中でそういうもんだと感じてた。
それが、どうだ。 小学校の横にできていたレコード屋はほんとにアナログしか扱っていないレコード屋だったのだ! ビッグ・サプライズ!
ほとんど震えながら入店。 入ってすぐに「いつできたんですか?」と失礼な質問をしてしまうほどである。
歓びに酔いしれながらレコードを見る。 うわぁ、なんという品揃え! 数は多くないんだが「おさえてあるッ」という感じ。 いきなりポップグループの「ハウマッチロンガー」見つけて狂乱。 自分の町でポップグループが売ってるなんて! そして値段がべらぼうに安いんだ。 VINYLのバカは見習ったほうがいいぞ。
試聴をさせてもらってすっかり居心地がよくなってしまってたのだけど仕事のアホ電話がひっきりなしにかかってきて鬱陶しい。 やめろよ!こっちはダブ聴いていい気になってるってのに! (仕事の電話なのに後ろでダブ流れてるってのも向こうからしたらバーカと思うような状況かもしれないが)
その時持っていたかばんがレコスケバッグだったこともあって、店の方と話をしたりしてなんだかんだで1時間くらいお邪魔してしまった。 ほんとにいい店なのですよ。中古アナログ屋なのにソファがあったりして。 中古アナログ屋って通路がないくらいに段ボールにアナログが入れられていて、元祖ドンキホーテなのかここは、と思うほど雑然としているところが多いからな。 そして客も一心不乱に箱の中からバタバタとレコード取り出して、おい、そんなんじゃ底が抜けるぜ、と思うような「修羅場」状態。 レコード屋は戦場である。 俺VSレコードの場である。 だから雑然としているのも殺伐としているのも修羅場であるのも当然なのだ。 友人とレコ屋めぐりをする際など、レコ屋で待ち合わせだけど「じゃ!」と言って全然違う棚に一目散に散るということのほうが多いし。 「友人とレコ屋めぐり」って、「学生時代のマラソン大会」と似ているなぁ。 一緒にゴールしようね、とか言っておきながら相手を見捨ててラストスパートを賭けたりするのなんか、レコード屋において「今日はあんまり買いすぎないようにしよう」と言っておきながら「俺、すげーの見つけた!買うわ!」「いやいや、私なんかボックスセット買っちゃうわ」と戦利品を得意げに見せ合うのとまるっきり一緒だから。 こう書くとホントにレコードって人生だよなー「無人島レコード」ってのも無人島生活なんて生死の関わる状況なのになぜレコードなのか。それはレコード=おのれの人生(ナンシー関に言わせると「私はこういう人間です」という表現としてのレコードというチョイスらしいが)だからなんだな。勝手に納得。
だけど、まあ、そこまで真剣になりすぎるのもいかがなものか、とも思っていた。 もっと余裕があってもいいと思うのだ。レコードって嗜好品だから。 そもそも親や友人に「たかだかレコード/CDなのに何故そこまで真剣になるのか?」と言われたりすることはないだろうか?私はある。親に「そんなもんばかり集めてるから部屋が片づかないんじゃないか、捨てちゃえ」と週に一度は言われてる気がする。CDがなくなっていたりすると人を疑ったりするし。 ここまでくると病気の域だけど。 でも人に言われるまでもなく自分でも「それはやりすぎだなぁ」とはわかってるのだ。やりすぎな自分に自己嫌悪したりもするのだ。嗜好品だけどさ、結局モノなわけだしさ。 そんな「レコードとの真剣勝負」にちょっと面食らったりする時もあるという人はほんとに私の町のレコード屋に来てみて欲しい。 ゆったりした勝負ができるから。 結局レコードと向き合うって勝負になってしまうのは否めないな。まあ、レコードハントって言うくらいだからなぁ。
そんな私の町のレコード屋は「ダウンタウンレコード」というお店です。 http://downtownrecords.jp/ 下町のレコード屋ですよ。 このへんに来る機会があったら是非。 シュガーベイブでもEPOでもいいが歌いながら繰り出してきてください。 私も寄り道場所ができてうれしくてたまらん。
ちなみに私のレコードマラソン友人、おかもっちゃんに「おらが町でいいレコード屋発見」と報告をしたら 「チクショー、負けたー!俺もレコード屋のある町に住めばよかった!!」 と嘆いていた。 レコードはどこまでも勝負を呼ぶ。 私たちはこのままずっと,こうやって円盤の上をぐるぐると走らされ続けるのだ。 でもね、たぶん、きっと。(でもねの意味わからないが)
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2005年05月16日(月)
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