スクール水着でワイルド・サイドを歩け!〜フジロック記録その1 |
♪テイクミーア〜ウト、トゥナーイィイ〜 とスミスを歌いっぱなしな夜間作業中のヤツザキでござんます。ほんと誰かここから連れ出してくれ。布団で寝たい。八百屋のちいちゃんにもお医者さんのアッコちゃんにも静かに夜は来るのに、作業員のマサコちゃんの上には静かな夜は来ねぇんだよ!なんでだよ!
というわけでフジロック回顧録だ。 7/29(木) 会社を6時半ごろに出て東京駅へ。寝袋だのカートだのを引きずって「おつかれさまでしたー」と帰ろうとしたら、「フジロックに行くの丸出しでむかつく」と先輩に言われる。まあ存分にむかついてくれ。 東京駅でりえ坊とふぁる姐と合流。ふぁる姐はわざわざお見送りに来てくれたのだった。いやぁ、出発前に何かとお世話になりましたふぁる姐。とくにりえ坊関係で。(あえて明記しないでおきますが) 新幹線出発間際にみやらさんも合流し、一路越後湯沢へ。 越後湯沢ではバスに乗り換える時にみやらさんが戻ってこないというアクシデントもあったが、なんとかバスに揺られて苗場到着。寒い。皆のカッパを買ってくるといいながら買い忘れた私なんだが、道に落ちていたカッパを発見し一人分はなんとか確保。ちなみに、カッパ、皆の分は買い忘れたけど自分のはしっかり持っていたのだった。なんとでも言え。 この日の朝一から苗場にやってきてテントを建てておいてくれたオオツボさんと合流し、さっそくビールだのメシだのを食う。オオツボさんと一緒に来ていたMさんも起きてきて酒を酌み交わす。この時にりえ坊(今、日本でもっともパンクな女)が朝から苗場に来ているオオツボさんに「なんでそんなに早く来たの?」みたいなことを平然と言っていたり(イイ位置に俺らのテントを建ててくれたことなどを度外視)、首から提げるプログラムを失くした!あたし持ってないからヤツザキが持ってるんじゃないの?と言われ、リュックの中を探すも見つからんと思っていたらりえ坊カバンの中に入っていて「はい(はぁと」と可愛く出してごまかそうとしたり、東京駅で買ったばかりの携帯灰皿をなくしたりとしょっぱなからいろいろやってくれたのだった。今思えば「リエボー・ショー」はこの時もうすでに始まっていたのだな・・・
7/30(金) 朝、腹痛で目が覚めてトイレに駆け込み、戻ってきて二度寝。 起きたら10時過ぎで「朝一でTシャツ買いに行くぜ!」とひそかに思っていたんだが見事に失敗。のそのそと起き出して、オレンジコートの赤犬を見に行く。 ちなみにりえ坊はスクール水着を着込んで出陣。やるなぁ33歳。 苗場での赤犬は、登場時にライオンキングのコスプレをするなどパワーアップしていた。ショーはいつものテンションでハッスルでしたが。あ、フジロックではじめてチンコ露出しているのを見たな。それはフジロックの歴史の中では確実に刻まれた一ページなんだろう。(その前に誰か出してるのかもしれんが。マイク・パットンとか。いや、マイク・パットンはフジロック自体に出てないか) 赤犬終了後もオレンジコートでダラダラし、ルースターズを見に行く組が移動したのでいったん一緒に移動し、再びオレンジコートに戻って想い出波止場feat.DJおじいさん。山本精一が大暴れで、打ち込みドラムドカドカな曲でパフォーマンス(?)を披露したり、パンクの曲(曲名わすれた)のカラオケをしたり、サイケで不思議でトランスするような曲をえんえんやったり、DJおじいさんはただレコード廻しているだけで、最後に「中島らもに黙祷!」と黙祷タイムを設けた後にレコードプレイヤーを蹴りつけてライブを終了するという唐突ぶりがたまらなかった。想い出波止場はパーティーバンドですよ。崇高でも神秘でも癒しでもないのが素晴らしい。もっと見たいな想い出波止場。 急いでグリーンに戻ってルースターズ。おおお、全員揃っているよ。スーツだスーツ。大スクリーンに映し出される大江の顔がコワイヨ。何かが憑いたかのような切羽詰り感というか緊張感がみなぎっている。ああ、この男は本当に、「ギリギリのところ」でロックを発しているのだな。そのギリギリがどこにあるのかわからないが、初期衝動だとか反抗とか不良とか反体制としてのロックなんてもんじゃなく、まさに狂うか狂わずにとどまるかの瀬戸際なところでギラギラしてやがる。いや、一度狂って帰還しているのだから二度と戻らないように必死で闘っていたのだきっと。まさに命がけ。 でも闘っている大江を前にして言うのもなんだが、普通にレッツロックのダッダーンダダダダンダンを聴いた途端、私は気分が高揚したよ。苗場中でやりたいだけ!が連発される光景もなかなか不思議なモンだった。そして池畑潤二があまりにかっこよすぎてポワーンとなった。 その後、楽しみにしていたPJハーヴェイは・・・Tシャツを買いに行ったら戻ってこれなくて音だけしか楽しめなかったという失態。しかし、赤いドレスに前髪のある姿、細い筋張った身体から発されるうめき声のようなポーリーの声はやはり情念を経血で溶かし、燃え上がるような情熱で煮詰め、潤うことのほとんどない心の渇きで乾かされたまさに女の業そのもので(いや、ポーリー自体が赤いドレスを身に纏うことでこの上なく「女」を体現していた)、これをきっとグリーンステージでビニールシートの上でダラダラしながら直撃していたら、「おまえはどうなんジャー」と突きつけられるような感じになっていたのだろうきっと。ダラダラ見ることすらおこがましかっただろうに。 そしてほどなくしてピクシーズ。 デブハゲの掻き鳴らす轟音ギターと身をよじらせながらの絶叫は聞いてて気持ちいい。ああ、私はやっぱりこういうインディーギターバンドが大好きだ、本当に心から大好きだ。なによりもキム・ディールがいい。髪を短く切り、体型も立派な中年オバハンになってはいたが相変わらずのガハハ姉御キャラは健在だった。高校の時、友達と「自分を洋楽アーティストにたとえるなら誰か」というくだらないことをやってたんだが、私は友達に「キムディールみてぇだ」と言われたのとかを思い出した。ガハハなとことかな。キム・ディールの性別超越ぶりはピクシーズよりもブリーダーズで顕著になったと思うんだけども(要するに男女問わずに皆でガハハやれるってことか)さらに性別超越ぶりに拍車がかかっていたのは見習わねばならんと思った次第。さあ、これから私は大きくなったらキム・ディールになるぞ。 そしてトリでルー・リード。 バスに揺られている時点から「ああ、ルー・リードの泊まっている苗プリに泊まりたい。フェラがんばるから」と言い、サイテーと言われ続けたわたくしではございますが、ルー様が出てきた時には、もうホントに「むしゃぶりついてもいいですか?」と「生意気盛り」の「おっぱいさわっていいですか?」ばりに尋ねたくなったよ本気で。60のオッサンですよ。腹も出てましたよ。ビーチクも(おそらく寒さによって)勃ち気味でしたよ。あろうことかジャージパンツにスリッパという出で立ちでしたよ。それでも底なしに漂ってくる色気はなんなんだ!あれがフェロモンてやつか。声だけでも聴いてると心の根っこの部分をガッシリと掴まれてしまう。なんつうか、もう、声で胸を踏まれているような気分になり胸がいっぱいになった。英語がネイティブでわかればなおいいのだが。毛皮のビーナスなんかも演奏してましたが、やっぱしパーフェクト・デイに尽きるな。この日は天候も悪く、雨が度々降ってきて散々だったがルー様のおかげでパーフェクトデイとなったのだ。
ちなみに、この時りえ坊さんはビニールシートに包まり、死体のようになっておりましたが。スク水、死体・・・フジロックって「りえ坊チキチキ七変化」の舞台だったのか?
長くなったので次回に持ち越し。
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2004年08月04日(水)
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