少年犯罪うんちタレダンディズム撲滅運動 |
すっかり日記ゴブサタデーになってました。 最近読んだ本とかの話でも。
「青の炎」 読みましたよ、別に嵐おっかけでもあややファンでも蜷川フォロワーでもないけど。 話の筋自体は最後まで見捨てることなく追えたんだけど、主人公のディテールが鼻につくのが難。 しっかりした高校生って設定にしたって、バーボンとか自転車とかの銘柄にやたらこだわったりするあたりとかどうなんだ。深夜の風見しんごの通販番組の熱狂的視聴者っぽかった。 あとクラスメートに対するあだ名のつけ方とかもなー「ナル」ってあだ名は当然のように「ナルコレプシーからつけた」とか言ってたり、「ザー」とかいうあだ名も「スターゲイザーからだ」って。 シラネエヨ。殺人の作戦にもいちいち「スティンガー」とかつけとるし。湾岸戦争からつけたんだと。 やたらと説教垂れたり、落ち着き口調を連発したりふと自嘲的な笑みを浮かべたりだの、高校生の皮をかぶったうんちく系カッコツケ30代って感じがしたな。やたら雑学に詳しいうんちく垂れの高校生って確かにいるけど、そういうのって高校生の時点で32,3歳に見えるような外見の奴だよな実際は。決して二ノ宮ではない。 極めつけに聴く音楽がサラ・ブライトマンって。作者の趣味じゃねーの。 ほかの箇所を「同世代との差別化を図りたがる思春期少年の背伸び」として納得することはできても、サラ・ブライトマンはリアリティなさすぎ。そこだけはモンパチで十分だったような。 でも、10代の「自分は万能、カンペキ」勘違い爆発ぶりは十分に書かれてた。そしてその10代の万能勘違いなんてのはたやすく崩されるもろいもんだ、と暴かれるのもちゃんと書かれてたのはよかった。で、そんな現実に対抗する最後の手段が思いっきり自己中心的な自暴自棄だったのも納得。最初から最後まで本人の主張は「家族のために/愛する人たちのために」でありながらすべてが自己中心という徹底のされ方はよかったですよ。映画のふれこみは「こんなに切ない殺人者がいただろうか」だったけどせつなかない。ちょっと頭が良くて、そんな自分を過信してて、自己中心的に(身近な)世界をまわそうと思った奴が切ないか?(だから解説の「やさしさがきっかけの殺人」とかいうのは全然同意できなかった) まぁ自己中/プライド死守/そしてきわめて保身なラストはあまりに10代の短絡ぶりが全開で、10代のときに勘違いしてた自分をふと思い出さされたけど。(全然関係ないのに)
「社会派くんがゆく!」の2巻 アスペクトのHPとか全然見たことがないので知らなかったんだけどこの社会派くんがいくってweb連載してたんだね。これからは仕事中にガツガツ見られるじゃないですか。 前回に引き続き村崎百郎の毒舌がすごかったけど、唐沢俊一頑張ってるなー。前回のあとがきで「村崎百郎の勢いに押されてすごく地味になってしまった」とかなんとか書いてたけど、それを意識してるんでしょうか。唐沢俊一って全然似てないんだけど私の中ではターザン山本とダブっているのはなぜだ。 内容は鬼畜・サブカルの人たちによる時事評論。なんだけど、ものすごく真っ当なことしか書いてない。世の中のほうが鬼畜だなぁ。つうかサブカルってなんだろうな。サブカル優越感みたいなのがウゼエだけなんだけどさ。 あと、上の「青の炎」では10代のワケあり殺人を書いてるけど実際の10代の殺人なんて短絡的なもんだよなと改めて思う、この本で取り上げてるバカ10代の犯罪見てると。美化なんかさせちゃだめだホント。
しかし今日は春っぽくなってしまって焦り気味。 今月末スノボ行くのに!まだ行きますよ。
あと戦争はなぁ。誰かブッシュ(バカ)を暗殺しないかな。 なんで開戦のとばっちりで嵐の大野の記者会見が中止なのか不明。 ついでにテレ東で始まる「最高!ウギウギナイト」とかいう番組は70年代、80年代のディスコ再現らしいけど司会が三宅祐司で脇を固めるのがビージーフォー(って今は言わないのか?)ってどうよ。夜もヒッパレ再生?ディスコソングを渡辺真知子とかが歌うんじゃねえだろな?庄野真代がドナ・サマーとか得意げに歌ってる姿が浮んでくるんですけど。 しかも赤坂の位置を務めるのが小林克也だって!なんか買収された感が。。
剣客商売で大治郎役やってる山口馬木也って人、昨日火サスで見たらぜんぜん感じが違ってた、剣客商売のときと。当たり前か。
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2003年03月19日(水)
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