ベドラナを一人にしたくなかったので、フェスには付き合うつもりだったけど、彼女が途中でスペイン人の友達に会ってくれたのでラッキーだった。「なんで今になって用事を思い出すのよ!」と文句を言われながらも帰ってきてしまった。でも今日はぐっすり眠れたのでよかった。徹夜明けでなお眠れないあの気持ち悪さを味わわずにすんだ。自分の体調変化の予感は自分が一番よくわかっている。
その前日も、ヴェドラナ、シェリル、イギリス人のイアン、K君(日本人だが彼は外国人よりも外国人らしい気がする)と飲んでいたので、このへんで少し一人で休みたい。イアンとは会った瞬間「ああ、合わないタイプだわ!」とぴんときた。そして本当にお互い合わないタイプだった。まあ、こういうのを我慢しているのも勉強かな。 アメリカ人は文法というものを知らない、とずいぶんアメリカ英語を馬鹿にしていた。
私は人付き合いが上手なほうではないので、他国人との距離が上手に測れなくて、随分とまどって迷ってしまう。 最初(高みから?)距離をとろうとするイギリス人Iに違和感と居心地の悪さを感じつつ、急速に距離を縮めようとするギリシャ人S、チリ人P、オーストリア人H、チュニジア人Mからも引いてしまっている。(もちろん国の問題では全くないが) なんだか今ずいぶんコミュニケーションに対して臆病になってしまっている。もとから臆病だったけど。
こちらでほっとするのは、ポーランドのピョートルやトルコ人のトバ。一緒にいるとほのぼのと話すことができて、今日の晩何をするとか次いつ会うという約束に心を砕く必要もない。たった15分の短いパオゼの間になんだか慰められている。 感傷的過ぎるに違いないが、推定年齢45歳のピョートルと27歳の私と17歳のトバのあいだにやわらかい共感があって、それが心地いいのではないか。相手を質問攻めにする必要も、自分のことについて数時間話す必要もない。
思えばアメリカ人とつきあっていたときも、いつも何か気の利いたことを話さなければ、という脅迫感みたいなものがあったのだな。話さなくていいと思うと、いくらでも言葉は出てくるけど、話さなければと思うと何も出てこない。ずいぶん自分が馬鹿になったように思う。たぶんそうなんだけど。
糸山秋子さん(漢字違って申し訳ない)の「イッツオンリートーク」をあっという間に読んだ。面白かった。何度か笑った。すきだな。
深夜バスで3時ごろハイリゲンシュタットについたはいいが、タクシーが一台もとまっていない。たまたま会った地下鉄の職員さんに聞くと、4時にならないとこないという。彼は親切にも自分の携帯でタクシーを呼んでくれて助かった。最近ウイーンの悪口を言うようになったけど、親切な人もたくさんいてほっとする。深夜の駅前のロータリーで、髪を振り乱したおばあさんが、すごいだみ声で叫び歩いていた。なにやら呪うようなことを叫びながら、ときにはジェスチャーを交えた芝居みたいなことをしていた。地下鉄の職員さんが「あれはどこどこのなまりがあるね」なんて話しているのを聞きながら、ふと気づいた。この声聞き覚えがあるぞ。もしや、うちの上に住んでいて悪魔信仰だかなんだかをしているあの婆さんではなかろうか?彼女はいつも窓をあけっぱなしにして呪いの言葉を叫んでいるので、まる聞こえなのだ。本人かどうか確信はないが、いつも声だけ聞いていたあのばあさんはこんな姿をしていたのかと思うと、感慨深いもの?があって、タクシーが到着してもしばらくは気づかなかった。
ネットカフェで働く人と友達になったので、コーヒーなどをサービスしてもらえてラッキー!!彼の人生の物語を聞くことになるが、そんなの全然苦痛でない。どうせ時間ならたくさんあるんだし。
ずっと不安定だったかなこちゃん、引越し先が決まって晴れ晴れとしている。いいな、いいな、一人暮らし。
カラオケバーをのぞいてみたが、すごい代物だった。あれはカラオケではなくてスナック!みなの前で歌っていたオーストリア人が超歌下手で笑えた。
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