ある大学院生の日記

2003年12月15日(月) 大理4:移動日

またまた朝早くから昆明に移動して,ちょっと寺などみて,ちょっと買い物などして,バンコクに移動しました.昆明で寺に行ったとき,同行で通訳もしてくれた女性が「信じているのか?」などと聞いてきたのでびっくりしました.彼女の英語力が高くないことを差し引いても「なんちゅう質問かいな」と思ってしまいました.さて,バンコクでは大学のクラブの先輩が空港まで来てくれたので,深夜に東京へ向けて出発する飛行機の時間まで,ごはんなど食べに行きました.緯度が突然下がって,高度も1900メートル前後から0メートル前後まで急降下したので,気温が上昇してちょっとふらふら気味でしたが,なかなかおもしろいところでした.バンコクは首都だけあって(?)えらくきれいなところで,まるで先進国でした.街中もきれいだし.仏教国だけあっておおむね礼儀ただしそうだし.街中のマナーも普通だし.

たしかに,日本人だって寺を訪ねるからといって仏教徒であるわけでもないし,クリスマスで騒いでいた中国人やタイ人を笑うことはできないわけですが,しかし,中国におけるマナーの悪さというかなんというか,街の汚さというかは,やっぱり宗教的,あるいは道徳的な背景があまりに欠けているというのに起因しているような気がしました.最近お会いしたかつての高校の先生で修道士である方は,中国からそこらへんの事情を克服する目的で招かれているようですが,そういうのも当然のような気がします.寺を訪ねる人に「信じているの?」などと質問をするメンタリティはやっぱりまともではない気がします.文化大革命あたりから儒教の精神は抑圧され,宗教的なものを排除しすぎた弊害かなあとも思います.その後の資本主義自由主義の流入が,それまでの宗教的背景の欠落とあいまって,個人主義の悪い面ばかりを顕現させているような気がしました.その点では,タイのひとたちの礼儀のよさみたいなもの・街のきれいさが印象に残りました.やっぱり,宗教的なものや道徳的なものは,資本主義や自由主義に必要なものなんではないかなあ,というと大げさですが.現在の日本の若いほうの世代がいえた立場じゃないんですが.やっぱし,如何に生きるかとか,よく生きようとすることとか,大切なんじゃないかなあと.うん.ま,衣食足りて礼節を知る,というくらいなので,単に所得水準があがれば町だってきれいになるのかもしれませんがね.今回見たのは雲南省の大理と昆明だけだし.大きなことは言えませんが.


 << past  Index  will >>


べべべ [MAIL] [HOMEPAGE]