ある大学院生の日記

2003年04月14日(月) 『職業としての学問』読了

マックス・ウェーバーの古典『職業としての学問』をこっそり読んでいたのですが,読み終わりました.見た目うすっぺらいのですぐに読み終えるかなあと思っていたのですが,論理というか表現というか,が込み入っているところがあるのと,内容もときどき考え込むところがあるので,ちょと時間がかかってしまいました.ウェーバーが言っていることはそんなにびっくりするようなことではなくて,アタリマエといえばアタリマエのことのように思います.とりわけ大学においては教師は学問を授ける(教授!)に過ぎないのであって指導者ではない,とか.たしかに小品と呼ばれる本ですが,気になるところに線を引っ張ったりページを折ったりしていると,本がへにゃへにゃになりそうなくらい,いろいろとおもしろいことが書いてあります.ふむ.こうじゃない,という人もいるかもしれないとおもっていくつか書き留めておくと,

思いつきは作業の役をつとめるわけにはいかない.しかし,他方では作業が思いつきのかわりをしたり,またこれを強いたりすることも不可能である.同様に,情熱だけで思いつきを生み出すこともできない.
統計ソフトをいじってりゃいいってもんじゃないですな.実際のところ.
ある研究の成果が重要であるかどうかは,学問上の手段によっては論証しえない
ふーむ.「やったらでてきました」では論文にはならん,とは指導教官がよくおっしゃることではあります.
それが真でありうるのはむしろそれが美しくも,神聖でも,また善でもないからこそである
「美しい論文がいいのだ」てなことは言う人がいるんですがそこらへんはどうなってるでしょうか.


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