ある大学院生の日記

2002年11月27日(水) ロールズが

「A Theory of Justice」や「ロールズ型厚生関数」で知られるJohn Rawlsが24日にお亡くなりになっていたようです.うーむ.こんな顔の人だったんですねえ.

そういえば,スタニスラフ・アンドレスキー[1983]『社会科学の神話―通説にごまかされないための18章』日本経済新聞社を読み終わりました.非常におもしろい本ですがすでに「取り扱い不可」だそうです.残念.図書館にはあるようですが.社会学者が書いた本のようで,いまの経済学にはあてはまらないところやあてはまるところが多くありますし,社会科学全般について考えるうえでもおもしろいと思います.勧めてくれた元上司に深い感謝をささげます.

あんまりおもしろいうえに入手が困難らしいのでいくつか引用しておきましょか(いいのかな?著作権には触れないていどの引用だと思うんですが).たとえば社会科学における「客観性」について:

どんな経験的現象であっても,その特質の総体というものは無限であるから,その経験的現象について記述しようとする人は誰でも,何を書いて何を書かずにおいたらいいのかということと,論述する各項目や側面にどれだけの着目とスペースをさくかを,(意識的にせよ無意識的にせよ)決めなければならない.……客観性の基準が分かりにくいことや,客観性に完全に到達するのは不可能であるという事情にもかかわらず,客観性(それは中立性とは区別される不偏不党性をも含んでいる)は,依然として,われわれの努力目標となる,不可欠の理想でなければならない.
第8章:客観性を装った逃避,120〜124ページ
自然科学・精密科学の分野から「なにがなんでもデフレはいかん」と言っているひとに聞かせてやりたいですな.
あるいは経済学について:
経済理論が,統計的技法と数理モデルという非常に高度の手法を持っているにもかかわらず,インフレーションというような飛び切り経済的である現象を,いまだに予測できないでいる.これは,経済理論が,みずからの議論の世界から,測定は不可能であるが因果的には重要な要因を放逐してしまい,それらの要因を社会学や政治学のなげやりな取り扱いに任せてしまうか,「他の条件が等しければ」として扱われるカテゴリーにこれらの要因を閉じ込めてしまっているためである.……現実には,計測になじむものなら,それが重要性と一致するに違いないなどと考えるのは何の根拠もない.そんな誤った仮定のおかげで,経済学者は,これまでも頻繁に,一面的な統計を吹聴し,審美的な人道的な価値の擁護者を沈黙させることによって,精神を破壊し世界を汚染していく商業主義と官僚主義的拡張発展論という破壊行為の道を歩んできたのである.
第10章:カムフラージュとしての数量化,146〜170ページ
最後のほうはちと言いすぎかもしれませんが,シカゴボーイズとかが念頭にあったんでしょうかね.しかしこんなこと言われると実証の解釈がしにくくてかないませんね.
研究資金について:
研究助成金の馬鹿げた申請用紙に記入することに執着している人々は,通例,低い知性の人に違いない.なぜならば,もっと知性のあるひとならば,単調な繰り返しの仕事には耐えられなくなってしまうからである.…研究資金を有効に利用する力が一番ないような人々に研究資金を割り当てるのを一層助長しているのは,次のような事実である.すなわち……財団や研究団体の官僚たちは,科学者や学者として成功するだけの才能や意思の力に欠けていたかつての大学人がほとんどだ,ということである.
第14章:学界で出世する法,241ページ


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