ヘレンの日記
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2004年08月17日(火) 朝市そして独立記念日。

朝、早く起きれるなら「海で朝日を見たり
早朝マーケットを見るといいわ。」
女主人から、そう言われていた。

言われたら、即実行! 地元民のすすめを
私は忠実に守る。その方がガイドブックより、
貴重な経験ができることが多いしね。

朝6時に起き、海辺に座る。
少しずつ白んでくる水平線を見つめる。
無心に眺める自分がいる。
海って光って、自然って本当に不思議。

日も上がった所で、朝市に向かう。
大通りに出てヒッチハイクのように親指を立て
ベモをひろう。「ケ マルケット。プラパ?」
と慣れてきたインドネシア語で話しかける。

観光客だし。ここで税金を払い生活してるわけじゃない。
倍払うのは当然と思うよ。けど5倍はないでしょ。
そんなに高いなら歩くよ。「サヤ ジャラン」
と、手に持っていたお金をしまうしぐさを見せると
「2000ルビアで良い。乗れ」って言われる。
交渉成立。早速、乗り込み。「スラマットパギ」
と挨拶や、簡単な会話を交わす。こういう一時って幸せ!

歩けば20分くらいかか所も車だとすぐ。楽ちん。
マーケットの入り口の、割れ門が見えて来た。
バイクがたくさん止められ、地元民が颯爽と
食材やチャナン(お供え物)の材料などを持ち
歩いている。私は生活感の垣間見れる、こういう
空間が大好きである。

昨日、女主人のユーディアナさんはデンパサール
の市場に野菜をたくさん買出しに行っていた。
デン(北の)バサール(市場)はバリの州都で
あると共に、市民の台所。

スーパーマーケットの価格は地元民には高い。
だから私たちは市場で食材をそろえるの。
サヌールのために、朝市の仕入れや野菜の販売に
私も関わってる。だから私も明日、早朝に
市場で野菜を売るわ!彼女は、昨夜そう言っていた。

それほど広いわけではないが、店も人も多く、
非常に活気がある。生の肉や魚も売られ。
独特の香がする。

私の訪れた目的は2つ。好奇心から見たかったこと。
もうひとつ。金曜日から、アノムさんの家に一週間も
寝泊りさせてもらう。その時のお土産を買いが欲しい。
「りんごやドゥリアン、メロンあたりが喜ばれる。」
と、地元民から聞いていたのでフルーツ売り場を探す。

観光客らしき人は、誰もいない。
時々、英語を話す人もいるが、基本的に英語の通じ
にくい空間。当然、ものに値札などついてはいない。
ちゃんと買えるのかな私? インドネシア語の本で
数字を再確認し、値段を交渉するシュミレーション
を頭の中で繰り返す。

りんごはキロ買いの様子。おしりの色を見るとイマイチ。
バナナは日頃食べれるだろうし、目の前にあるのは青すぎ。
ドリアンは匂いが強烈。これおをあと2日、部屋に置い
たら私の体調がヤバイ。好き嫌いもあるだろうし却下。
メロンをコンコンとたたくと結構、良い音。

よし、これにしようかな? けど、よその店も見たい。
重たいから、後でもう一度、来よう!
そんなに複雑なことまではインドネシア語で言えない。

「メロン(これ)重い。後でまた来る。」
重いが分からないよ。本を出す。
たどたとしく「イニ」と話出すと「英語分かる」と
隣の店の子が助けてくれる。「家のバナナも買って」
とおまけの言葉が着いて来るが。笑

状況を説明し、また来ることを約束し、市場をゆっくり
見て回る。「ボレ サヤ アンビル フォト?」と
写真を取りたがると皆、好意的に応じてくれる。
「お供え買う」など営業はされるが
「今日はメロン買うの」と意思表示すれが分かってくれた。

無事に一周し、さっきの店でメロンを約60円で買う。
これは言い値である。多分、値切れるんだろうが
私はその気にならなかった。

日本円に比べてどうという問題ではない。
このメロンを育てたり、ここまで運んでくる手間、
彼女の時給を思うと「値する」いや、本当は
それ以上の金額ではないだろうかと思ったから。
売り手と買い手の間で値段が決まってくる交渉。
これが、くせになりかけてきたかも。笑

朝食を取りながら、独立記念日だよねって話になる。
「式典を見たいからデンバサールに行こうとした
けど言葉分からないし」と伝えると
「中に入ってテレビを一緒に見よう。
ジャカルタの式典が放送されるはず」とありがたい
言葉を頂く。お礼を言い、お言葉に甘えることとする。

今日は独立記念日。どこからの独立か、日本からである。
8月15日、哀悼の念で追悼をする国があれば
日本からの支配を盛大に喜ぶ国々がアジアにはある。
アジアに行くと私が何よりも辛いのが戦争。
歴史を思うと胸が痛むが、これが事実である。
1945年8月17日、この日はインドネシア建国記念日である。
とは言っても事実上、日本が侵略する前から支配を
続けたオランダ(約300年間の統治)の支配下にまだあるのだが。

この手の話題に切り込んでいくのは、辛く悲しい思いになる。
しかし、今日だからきいてみたい。
「自分の国が侵略したことは申し訳なかったと私、個人は
思ってる。」という言葉を皮ギリとし、戦争のことなどを
話し出す。この時をどうというより、彼らは今後の自国の
平和を心底、願っている。

祖国を思う日。それが独立記念日みたいだ。




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